第18話 夜番表の折れ目
人手が足りない職場は、紙の端から先に悲鳴を上げる。
その日、朝霧亭に立ち寄った行商人が、神殿前の掲示板が妙に静かだったと話した。施療案内ではなく、夜番表ばかりが頻繁に貼り替えられているらしい。
「静かなのに落ち着かないって、嫌な感じだね」
ユナが言う。
フィオナはその話に、胸の内側を薄く引っかかれるような感覚を覚えた。夜番表をいじる職場は、たいてい人が足りない。足りないのに、足りないと書けない時ほど、紙は折り目を増やしてごまかす。
夕方、エナが表門から戻ってきた。顔色はまだ良くないが、歩き方は以前より真っ直ぐだ。
「見てきたわ」
そう言って差し出したのは、神殿前に貼られていた夜番表を走り書きで写した紙だった。
名前の並びは一見整っている。だが、同じ手が別の日に何度も入っている。休みのはずの名前が、欄外の補記で戻されている。折り直した紙に書き足した跡まである。
「休ませるつもりがない」
サラが即座に言った。
「そういうことです」
フィオナは紙の端をなぞった。夜番表の折れ目は、ただの保存癖ではない。急に作り直した時の折れだ。しかも何度も。
「誰か一人が抜けたからではなく、足りない所へ足りない人をまた詰めてる」
エナの言葉は、自分のいた場所を切るように鋭い。
フィオナはその紙を見ながら、朝霧亭の夜番の組み方を思い返した。少ないなりに、次の日に動ける者を残すよう回している。神殿は今、その余白ごと食いつぶしているのだろう。
「それで香草も減る」
ユナが呟いた。
「眠れない働き手が増えるから」
フィオナは頷く。眠り草の不足と、夜番表の折れ目は繋がっている。
その夜、ミアの仮眠明けがいつもより遅れた。寝坊ではない。ようやく深く眠れたからだ。良い変化のはずなのに、フィオナはそこで逆に、神殿に残った働き手たちのことを思ってしまった。深く眠ることすら許されない人が、向こうには増えている。
客の一人が夜更けに湯を求めて降りてきた。足の冷えた巡礼夫人だ。フィオナが湯を渡すと、その人は言う。
「ここは夜の顔が柔らかいね」
その言葉は、褒め言葉であると同時に、外の夜がそうではないという証でもあった。
フィオナは帳場の脇で、エナの写しをもう一度見た。神殿の夜番表は、まだ崩壊してはいない。だが、崩れ始めの紙に見える。ひと目で壊れているものより、こちらの方がよほど怖い。
「向こうは、しばらく持ちます」
エナが静かに言った。
「でも、持つだけです。持ち直しはしない」
フィオナはその言葉の重さを受け止めた。朝霧亭は、ぎりぎりでも持ち直すための工夫をしている。神殿は、ただ持たせる方向にしか進んでいない。その差は、すぐには見えにくい。だが後で必ず、人の顔に出る。
夜番表の折れ目は、その予告だった。
フィオナは写しの余白に、ひとつだけ書き加えた。
休みを抜かれた職場は、やがて施療を抜かす。
紙に書いたその一文は、未来の記録というより、自分が忘れないための釘だった。




