第17話 眠れない巡礼娘
若い客ほど、疲れを疲れと言わない。
夕刻、表戸の隙間から冷たい風と一緒に、小柄な巡礼娘が入ってきた。年はミアと同じくらいか、少し上かもしれない。外套の下の服は濡れた跡が残り、肩掛け袋だけを妙にきつく抱えている。
「一晩だけ、泊めてください」
そう言った声は細かったが、崩れそうではなかった。崩れないように無理に立っている声だった。
ユナが部屋を確認しに奥へ向かうあいだ、フィオナは娘の手を見た。指先が赤く、爪の縁が荒れている。水仕事というより、冷えた紐を何度も握った手だ。袋の口紐をしめ直しながら歩き続けたのだろう。
「お名前をうかがってもいいですか」
「ルシェ」
それだけ言って、娘は袋をさらに抱え直した。中身を奪われる不安ではない。手放したら、そのまま力も抜けそうな持ち方だった。
サラが一瞥して小声で言う。
「寝かせる前に座らせろ」
フィオナも同意した。立ったままの緊張を寝台へ持ち込むと、身体は横になっても眠りへ入れない。
食堂の隅へ通し、温い湯と薄い蜜水を出す。ルシェは礼を言って椀を受け取ったが、飲む前にまず匂いを確かめた。怪しむというより、嗅ぎ慣れた何かと比べる癖だ。
「巡礼路、長かったんですか」
ルシェは少し黙り、それから答える。
「予定より」
その言い方で十分だった。遠回りをしたか、休む予定が狂ったか、その両方か。
フィオナは袋の角から覗く布に気づいた。祈り布ではない。薬包みを包む時の折り方に似ている。巡礼娘に見えて、道中で誰かを世話し続けてきた手だ。
「眠れていますか」
問いかけると、ルシェの目が初めて揺れた。
「寝るつもりはあります」
「寝られていますか」
言い直すと、彼女は小さく首を振った。
「目を閉じると、遅れた時間のことを考えます」
フィオナはその感覚を知っていた。追いつかなければならない時間が頭の中で鳴り続けると、身体だけ横にしても眠れない。
部屋へ案内したあと、フィオナは寝台の脇の小机を片づけた。荷袋を床に置かず、手の届く位置へ置けるようにする。持ち物を離せない客には、それだけで少し効く。
「袋は、そこに置いても見えます」
ルシェは一瞬驚いたあと、ようやく袋を手から離した。離せたのは、置いても消えない位置だからだ。
「香りは苦手ですか」
「強くなければ」
「では、今日は湯だけにします。匂いを足さない方がいい顔をしています」
ルシェは苦笑に近い息を漏らした。
「顔でそんなに分かるんですか」
「眠れない人の顔は、少しだけ」
窓を閉めすぎず、灯りを低くする。外の音が完全に消えると、かえって頭の中の音が大きくなる客もいる。今夜のルシェはそちらだとフィオナは踏んだ。
退出しかけた時、ルシェがぽつりと言った。
「わたし、休むのが下手なんです」
若いのに、ずいぶん古い告白だった。
「上手い人は、最初からあまりいません」
フィオナは答える。
「だから、休み方を借りる場所がいるんです」
扉を閉めたあと、サラが廊下で待っていた。
「また面倒そうなの拾ったね」
「面倒なのは、眠れない理由の方です」
「それを分けて考えられるのは、お前のいいところだよ」
珍しく、まっすぐな言い方だった。フィオナは少しだけ面食らったが、素直に嬉しかった。
夜半、見回りに行くと、ルシェはまだ完全には眠っていなかった。それでも、椅子に座ったまま朝を迎えそうだった入宿時とは違い、横になって呼吸を整えている。前進としては十分だった。
若い客の「大丈夫」はたいてい、大丈夫ではない。朝霧亭はその嘘を暴く場所ではなく、嘘を吐かなくてもよくなるまで持たせる場所でありたい。
フィオナはそう思いながら、廊下の灯りをもう一段だけ落とした。




