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第14話 香草棚の空白

 足りないものは、使った量より先に、棚の空き方で分かる。


 薬草棚の前に立った時、フィオナは違和感を覚えた。香りの弱い眠り草と、身体をゆるめる葉だけが妙に減っている。胃にやさしい煎じ葉や、風邪向けの乾燥花はまだ残っているのに、眠りへ寄せる草ばかりが薄い。


 宿に眠れない客が多いから減る、というだけでは説明がつかなかった。減り方が急すぎる。


「若女将、最近まとめて買えなかったことはありますか」


 帳場で布巾を畳んでいたユナが顔を上げた。


「買えなかったっていうか、そもそも並ばない日がある。うちだけじゃなくて、街道の宿みんな困ってるみたい」


「神殿に寄ってますね」


 口に出した瞬間、サラが湯桶を置く音が少し強くなった。


「また神殿か」


 うんざりした声だったが、否定ではない。


 フィオナは棚の段差に指を走らせる。今朝まで何本あったか、誰が何束持ち出したか、目録がなくてもある程度は分かる。職場というのは、繰り返し見る場所ほど、乱れに敏感になる。


「寝つきを助ける草が先に押さえられているなら、向こうも眠れていません」


「いい気味とは言えないの?」


 ユナの問いは冗談半分だった。だがフィオナは首を振った。


「眠れない働き手が増えると、結局いちばん困るのは具合の悪い人です」


 自分を切った側が苦しむことに、まったく痛快さがないわけではない。けれど、それで弱い者が余計に眠れなくなるなら、歓迎できる話ではなかった。


 その午後、街道商から小さな包みが届いた。乾燥香草の代用品として使える川沿いの葉だという。癖はあるが、うまく混ぜれば落ち着きには使える。


 ルド婆さんは包みを開けて顔をしかめた。


「これだけじゃ草臭いよ」


「強すぎるんですか」


「強いっていうより、眠る前に『知らない匂いだ』って身構えさせる」


 なるほど、とフィオナは思う。眠りに必要なのは薬効だけではない。安心してもいい、と身体に思わせる匂いでなければ意味が薄い。


 エナが廊下から声をかけた。


「少しだけ、前の草と混ぜた方がいい。施療室でも、急に匂いを変えると患者が余計に眠れなかった」


 まだ本調子ではないはずなのに、そういう助言は早い。仕事の身体が残っている人の声だ。


 フィオナは古い瓶の底に残っていた眠り草を少しだけ使い、新しい葉と混ぜる配合を試した。香りは丸くなるが、効き目は少し弱い。効き目だけを取れば失敗だ。けれど、客が嫌がらずに飲めることまで含めるなら、こちらの方がいい。


 その夜、ベルトに代わる新しい御者客が、初めてぐっすり眠れたと言った。完全な解決ではない。それでも、空の棚の前で手を止めているよりは前へ進んでいる。


 サラは香草袋を結びながら、低く言った。


「神殿が押さえてるなら、向こうも焦ってる」


「焦る理由があるんです」


「フィオナがいなくなったから?」


 その問いに、フィオナはすぐ返事をしなかった。自分一人が抜けただけで、何もかも崩れると考えるのは傲慢だ。けれど、見て、並べて、眠る側を先に考える手が減ったのは確かだろう。


「私がいたから、ではありません」


 そう答えてから、フィオナは棚へ目を向けた。


「そういう手を、少なくとも一つ減らしたからです」


 その言い方なら、少しだけ正確だった。


 空白のある棚を見ると、フィオナは神殿の保管室を思い出す。必要な物ほど、規則や体面や上申の順番で遅れる場所。朝霧亭はまだ貧しいが、空白を見た時に埋め方を考える人間がいる。それが、今の自分には大きかった。


 眠り草の瓶を棚へ戻しながら、フィオナは新しい紙片を作った。代用品の配合と、客の反応を簡単に記すための紙だ。


 足りない時ほど、次に迷わない形を残す。そうしないと、空いた棚はただの不足で終わる。


 宿の香草棚は、その夜、少しだけ静かな知恵を持った。

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