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第13話 干したままの夜着

 宿の裏庭に干された夜着は、風が強い日ほど宿の内情をよく喋る。


 朝霧亭の物干しには、洗った布が思ったより少なかった。泊まり客はいる。働き手もいる。それなのに、夜着と薄布の数だけが足りない。乾ききる前に、また誰かが着ているのだ。


 フィオナは手を止めて、一本の細紐に目を留めた。ほつれた寝間着の袖を、急ごしらえで結び直した跡がある。縫う時間もなく、使い回している証拠だ。


「見ないでほしいものでも見つけた?」


 ユナが背後から声をかけてきた。大きな籠を抱えたまま、笑っているようでいて少しだけ肩をすくめている。


「夜着が足りていません」


「ばれたか」


「隠せる量じゃありません」


 ユナは籠を下ろして、物干し竿を見上げた。


「客の分は優先するからね。働く側は、乾いてるやつから着るしかないの」


 軽い調子で言うが、軽い話ではない。眠るための布が足りない宿は、眠りを売る宿としてはかなり危うい。


「買い足せないんですか」


「買えば済むなら、とっくに買ってる」


 横からサラが来て、濡れた布を力強く絞った。


「街道の宿は今、客の毛布と油布を先に押さえられる。夜着なんて後回し」


 働き手の消耗は、帳簿に最初から入っていない。だから後回しにされる。神殿で見た景色と同じだった。違うのは、朝霧亭ではそれを恥じる目がまだ残っていることだ。


 ルド婆さんが洗い桶の前でぶつぶつ言った。


「夜着が足りないと、夜中に冷える。冷えると咳く。咳くと客が起きる。起きるとまた湯を沸かす。ぜんぶ繋がってんだよ」


 その通りだった。夜着はただの布ではない。眠りの連鎖を切らないための道具だ。


 フィオナは濡れた袖口を指先で触れる。布の薄さに、何度も洗われた回数が残っている。白さが抜けて、元の色も分からなくなった布だ。


「このままだと、働き手から先に崩れます」


「だから困ってるんじゃない」


 サラの返事はぶっきらぼうだったが、苛立ちの向きはフィオナではなく状況そのものへ向いていた。


 フィオナは干し場の隅に、寝台用の古布が畳まれているのを見つけた。裂いた端布ではあるが、重ねれば夜着の下に入れる当て布くらいにはなる。


「これ、内側に入れれば少し保ちます」


 ユナが目を瞬かせる。


「寝間着の継ぎ当てにするの?」


「見た目は良くありません」


「今さらそこ気にしてる場合かなあ」


 言いながらも、ユナはすぐに針箱を持ってきた。こういう時の手の早さは立派だ。


 その日の午後、裏庭の縁台で三人が並んで古布を当てていくことになった。フィオナは縫い物が得意ではない。だが神殿で寝具の応急補修くらいは覚えた。眠る場所は、綺麗さより破れないことが先だ。


 ミアも途中から加わった。まだ本調子ではないが、座って針を動かせるくらいには戻っている。夜番補助の少女が、細い指で一生懸命に裾を縫う姿を見ると、フィオナは少し複雑な気持ちになった。本来なら、こういう手当てはもっと余力のある者がすべきなのに。


「変だね」


 ミアが笑う。


「寝るための服を、眠れない顔で縫ってる」


 ユナが吹き出した。


「ほんとだ。笑えないけど、笑っちゃう」


 そういう笑いが、今日は必要だった。


 日が傾く頃には、五着だけ当て布入りの夜着ができた。新品には程遠い。けれど、今夜寒さで目を覚ます回数は少し減るはずだ。


 サラは出来上がった夜着を受け取り、布の内側を確かめた。


「見た目より、ちゃんと暖かい」


「見た目は明日に譲ります」


「明日も足りなかったら?」


「明日も縫います」


 フィオナは即答した。神殿では、足りないものの名を言うだけで終わることが多かった。ここでは、足りないなら埋める手を出せる。小さい差だが、その小ささが生き延びる側には効く。


 夜、エナの部屋へ新しい当て布入りの夜着を届けた時、彼女は指先で布を確かめた。


「継いであるのに、前よりあたたかい」


「継いだからです」


 フィオナが答えると、エナは少しだけ笑った。その笑みは、昨日より生きている人の顔だった。


 足りない夜着を数えることは、貧しさを数えることに似ている。だが、足りないまま黙っているより、継ぎ当てて一晩持たせる方が、宿の仕事としては正しい。


 朝霧亭の夜は、そういう細い布の上でかろうじて繋がっていた。

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