第二十八話 戦端
美濃攻めの手配が進む中、先に動いたのは一色だった。今川に降ったばかりの柴田勝家や丹羽長秀ら旧織田家臣たちに対し、密かに内応を促す書状を送ったのである。
「今川は他国者。信長殿の仇を共に討ち、尾張を織田の手に取り戻そうぞ」
義龍は、勝家らの「主君を討たれた無念」が、義元の「法」よりも強いと信じ込んでいたのだ。
しかし、犬山城に届いた書状は、勝家の手によって直ちに光秀、そして義元の元へ運ばれた。
光秀は書状を一瞥し、不敵に微笑んだ。
「義元公。これこそ、美濃の喉元を食い破る好機にございます。勝家殿が義龍に呼応したふりをし、一色軍を挟撃しましょう」
義元は黄金の扇子を叩き、豪快に笑った。
「良かろう、十兵衛。勝家にはそれまで不満を募らせ、今川に反旗を翻す『不忠の臣』を演じさせよ。義龍を犬山まで誘い込み、余の法という檻に閉じ込めてくれよう」
犬山城の柴田勝家から届いた密書には、今川への恨み言が連ねられていた。
「今川は我が殿を討った不倶戴天の敵。義元は我が軍を『今川随一』と持ち上げるが、それは使い潰すための甘言に過ぎぬ。義龍殿、某と共に今川を破り、美濃・尾張の平穏を再び我らの手に取り戻そうぞ」
信長の忠臣であった柴田勝家から「内応」の書状を受け取った時、義龍は歓喜した。義龍はこの書状を火に翳し、低く笑った。
「今川は尾張を手に入れ増長しておる。信長の遺臣が裏切るなど思ってもおるまい。柴田勝家から援軍の要請があれば、奴らは疑いもせず犬山を救いに駆け付けるだろう。そこを、我らと勝家で挟み撃つ!」
義龍は、勝家へ挟撃案を返信する。
「犬山を攻めると見せかけ、救援に駆けつける今川軍を誘い出す。こちらは劣勢と見せかけ、今川勢を美濃側に誘因する。その時、城内から打って出て、今川の背後を突かれよ」
末席で、このやり取りを静かに見つめる若き将がいた。竹中半兵衛。 彼は地図上に並べられた駒と、主君・義龍の顔に浮かぶどす黒い執念を眺め、違和感を覚えていた。
(……この勝家殿の書状、一見すると情に訴えているが、文面の隙間から『理』が匂う。明智十兵衛殿が筆を貸したか。あるいは、今川義元という巨大な器が、すでに勝家殿の忠義すら飲み込んだ後か)
義龍が「半兵衛、この策どう思う」と問うと、半兵衛は扇子で口元を隠し、視線を落とした。
「……策としては、理に叶っております。なれど、あまりに上手く運びすぎる話には、往々にして毒が混ざるものにございます」
半兵衛はそれ以上、強くは口を出さなかった。今の義龍は、諫言を聞き入れる器ではなく、ただ「自分を肯定してくれる言葉」を求めていることを知っていたからだ。半兵衛の沈黙は、主君への忠義というより、訪れつつある一色家の「斜陽」を見届ける者のそれであった。
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