第二十五話 米と木綿
義元は、清須城の静まり返った一室で、長秀の目をじっと見据えた。 そして義元はさらに深く、信長という男の本質を突く問いを投げかけた。
「長秀よ。其方は先ほど、信長が其方を『友とも兄弟とも思う』と言ったと申したな。……ならば聞きたい。織田の命運を懸けた桶狭間の出陣に際し、なぜ信長は、最も武勇に秀でた勝家と、最も差配に長けた其方を連れて行かなかったのだ?」
義元は黄金の扇子をゆっくりと閉じ、言葉を継いだ。
「死を覚悟した乾坤一擲の奇襲ならば、一騎でも多くの手練れが必要だったはず。だというのに、信長は其方たちを清須に留めた。……その真意、分かっておるか」
長秀は一瞬、言葉を詰まらせた。あの朝、信長が「敦盛」を舞い、わずかな供回りだけで飛び出していった時の背中が、鮮烈に蘇ったからだ。
「……信長様は、ご自身が敗れた後の『織田』を、我らに託されたのでございます」
長秀の声は微かに震えていた。
「信長様にとって、桶狭間はご自身の命を燃やし尽くす可能性のある戦場でした。もし勝てば良し、もし敗れれば……。その時、後に残るお市様を、奇妙丸様を、そして尾張の民を守り、今川という新たな天の下で『織田』を繋いでいけるのは、某と勝家殿しかいないと。……あの御方は、死地へ向かう瞬間でさえ、我らをそのために『死なせたくない』と願われたのです」
「左様。それが信長であろうよ」
義元は深く頷いた。
「ならば長秀。信長が残したその才、今度は我が息子と奇妙丸のために使え」
義元は身を乗り出し、真剣な眼差しを長秀に向けた。
「嫡男・氏真は、雅を愛し、人の和を尊ぶ。だが、乱世を生き抜くための力がまだ足りぬ。其方に、氏真の補佐を頼みたい。駿府へ行き、今川の法を実務で支え、掛川の泰朝と共に氏真を支えてやってくれ」
さらに、義元は付け加えた。
「そして、信長の遺児・奇妙丸。その教育も其方に任せる。奇妙丸が元服する頃には、其方の持つ守成の才こそが必要となっておろう」
「……謹んで、お引き受けいたします。我が命、これよりは今川の、そして次代の光のために捧げまする」
義元の命を受け、長秀が荷をまとめていると、視界の端で落ち着きなく動き回る男がいる。中村藤吉郎。 長秀は信長死後、陣内で所在無げにしていた藤吉郎の面倒を見てやっていたのだ。長秀は、荷をまとめる手を止め、藤吉郎に声をかけた。
「共に行くか? 藤吉郎」
「へっ、へえ!? 五郎左様、この猿めに声をかけてくださるとは!」
藤吉郎は驚き、地面に額をこすりつけた。
「……お前のその『鼻』は、すでに嗅ぎ取っているはずだ。義元公の創る世には、私のような理詰めや、勝家のような武勇だけでなく、お前のような『泥にまみれて夢を掴む力』も必要とされることを」
藤吉郎は顔中に皺を寄せて笑い、勢いよく立ち上がった。
「承知いたしました! この藤吉郎、駿河の地で大暴れしてみせましょうぞ!」




