第二十四話 守成の力
清須城の広間に、義元は丹羽長秀を呼び出した。光秀や元康という非凡な才を率いる義元にとっても、この「米五郎左」という男の底知れぬ静寂は、解き明かしたい謎であったのだ。
義元は、清須城の主座にどっしりと腰を下ろし、正面に控える長秀に問いかけた。
「長秀よ、一つ聞きたい。ここ清須の大広間、光秀と勝家が言葉の刃を交わし、一触即発の場にあって、其方はなぜ一言も発さず沈黙を貫いた。其方の才があれば、場を収めることも、逆に我らへの抗戦を焚きつけることも容易かったはず。……何を考えておった」
長秀は穏やかな、しかしどこか遠くを見るような瞳で義元を見つめ、静かに答えました。
「……信長様は、某のことを『友とも兄弟とも思う』と言ってくださいました」
その言葉に、義元はわずかに目を見開いた。信長という、孤独で苛烈な男が、家臣である長秀にそこまでの情をかけていたのか。
「あの場での某の言葉は、信長様の『友』としての情か、あるいは織田の『臣』としての理か……どちらに転んでも、死に場所を求める勝家殿の心を乱すだけにございます。某にできたのは、信長様の最期を看取った明智殿の言葉が、勝家殿の魂に届くのを信じ、見守ることだけでございました」
義元は、長秀の穏やかな微笑の裏にある「鬼」の側面を暴こうと、さらに鋭く踏み込んだ。
「友としての情、それは分かった。長秀よ、其方は、情だけで三千の兵の命運を賭けるほど甘くはあるまい。では『理』の部分、余にそれを明かしてみせよ」
義元の問いに対し、長秀はふっと表情を消し、静かに、そして冷徹な分析を口にし始めた。
長秀は指を一本立てた。
「第一に、兵站の断絶。信長様を失った瞬間に、南尾張から清須への補給路は今川の手に落ちました。城内には三千の兵がおりましたが、籠城して一月もすれば、彼らは飢え始めたでしょう。無駄な死を強いるのは、ただの愚策にございます」
長秀は二本目の指を立てた。
「第二に、今川の法の浸透の速さ。光秀殿が制札を立てさせ、村々に安堵を与えて回る速さは驚異的でした。清洲の兵が打って出ようにも、すでに周辺の農民は今川の秩序を歓迎し始めていた。民の支持なき戦に勝機なし……。あの大広間で光秀殿の言葉を聞き、その『法』に一点の曇りもないことを確信いたしました」
そして三本目、長秀は外で陣を構える元康の方角を指差した。
「最後に、松平元康殿の存在にございます。人質であった身ながら、これほどまでに気高く、かつ今川に重用されている。あの御方の姿こそが、奇妙丸様、我ら織田遺臣、が向かうべき『正解』として、雄弁に語っておりました。言葉を重ねる必要などなかったのです。私の沈黙は、織田の将兵に自ら悟らせるための『時間』にございました」
義元は、長秀の冷徹な大局観に感嘆の息を漏らした。
「情を語りながらも、裏ではこれほどまでに冷徹に盤面を読んでおったか。……長秀、其方は恐ろしい男よ」
義元は深く頷いた。情に溺れず、しかし情を礎にして大局を見る。この男こそ、今川に今後必要となる「守成の力」になると確信したのだ。




