第二十二話 新生
清州城での命懸けの交渉を終え、明智光秀は熱田の今川本陣へと帰還した。
お市の方から突きつけられた「誇り高き条件」を背負い、光秀は義元の御前に平伏した。本陣には松平元康をはじめ、今川の宿老たちが光秀の成否を固唾を飲んで見守っている。
「……以上が、清州城内にてお市の方様、並びに織田残党の首魁柴田勝家と交わした条件にございます」
光秀は、お市の方を勝家が娶ること、奇妙丸を今川で育てること、そして織田軍三千をそのまま温存させるという、あまりにも大胆な開城条件を包み隠さず報告した。
語り終えた光秀は、深く額を畳に擦り付けた。
「義元公……申し訳ございませぬ。一兵も損なわずに開城させるためとはいえ、敵方に対し、あまりに大きな譲歩をしてしまいました。織田の牙を抜くどころか、その形を保ったまま今川に組み込むという危うき道。……すべての責は、この十兵衛にございます」
本陣に冷ややかな沈黙が流れる。宿老たちの中には、「新参者が勝手な真似を」と苦々しい表情を浮かべる者もいた。
沈黙を破ったのは、義元の豪快な笑い声であった。
「フハハッ! 苦しゅうない、面を上げよ十兵衛!」
義元は黄金の扇子を広げ、満足げに目を細めた。
「市という女子、実に面白い。信長が死してもなお、その妹が余の喉元に王手をかけてくるとはな。……いや、上出来よ。十兵衛、貴殿は実によい仕事をした」
義元は立ち上がり、光秀の肩を力強く叩いた。
「分からぬか?ただ平伏させただけの兵などは、戦の役には立たぬ。なれど、誇りを守られた者は、その恩義を返すために死力を尽くすものだ。信長を討った十兵衛、貴殿を敢えて行かせたのもそれを引き出すためよ。勝家も市も、これからは織田のため、引いては我が今川のために、獅子奮迅の働きをしてくれよう。余の法は、それほどまでに強い意志を持つ者さえも包み込んでこそ、真に天下を統べる理となるのだ」
義元の寛大な裁定に、傍らにいた松平元康も安堵の表情を浮かべた。
「義元公の御言葉、身に沁みます。……柴田殿も、お市殿も、必ずや今川の力強い柱となりましょう。これで、尾張に憂いはございませぬ」
そして永禄三年六月。
重々しい音を立てて、清州城の大門が左右に開かれた。
先頭には、一頭の馬に跨る明智光秀。その後ろには、主君・信長を弔う白い布を付けながらも、見事に磨き上げられた具足を纏った柴田勝家が、お市の方と幼き奇妙丸を乗せた輿を、鉄壁の陣で護衛するように現れた。
その三千の行進は、敗残兵のそれではなく、新たな秩序の先駆者となるべく、魂を燃やした「新生・織田軍」の産声であった。




