第二十一話 舌戦清須城 四
お市の方は、跪く勝家の肩を凛とした手つきで叩き、光秀を正面から見据えた。
「奇妙丸は、今川公に預けます。元康殿が雪斎様の薫陶を受けて三河の麒麟となったように、奇妙丸もまた、今川の深き理を学び、次代を担う器となるでしょう。」
光秀は深く頭を垂れた。
「……痛み入ります、お市様」
しかし、お市はそこで言葉を止めなかった。彼女はふっと、寂しげながらも強烈な意志を宿した笑みを浮かべた。
「なれど、条件がございます。今川公は私を駿府へ迎え、貴賓として遇してはくれましょう。しかし、それは即ち、私を今川の政の道具とし、見知らぬ誰かへ嫁がせるということでしょう。……私は、織田の女です。縁もゆかりもない男の手に渡るなど、死ぬよりも屈辱にございます」
光秀の背筋に、冷たい汗が流れた。義元の「理」をもってしても、この姫の誇りだけは容易に縛れぬことを悟ったからである。
お市は、平伏している勝家の方を向き、その名を呼んだ。
「勝家。貴方は、兄が最も頼りにした織田の柱です。……勝家、貴方が私を娶りなさい」
広間に激震が走った。勝家が、弾かれたように顔を上げる。
「な、何と……! お市様、この勝家、そのような畏れ多いこと……!」
「今川公へ伝えなさい。市は、織田随一の猛将・柴田勝家の妻となる。織田の誇りは、織田の血を継ぐ夫婦として、その秩序の一翼を担うのだと。……それが叶わぬというのなら、私は今この場で、勝家の介錯で果てます」
光秀は、お市の放った究極の「逆提案」に震撼した。
これは単なる婚姻ではない。織田の残党三千を、今川の家臣ではあるが、「柴田勝家という織田の正統な後継者」を頭領とする一団として、組織のまま今川の中に温存させる、そしてそれは、いずれ成長した奇妙丸に引き継がれるという、駆け引きであった。
(……この姫君、信長殿以上の策士か)
光秀は、しばし沈黙した後、清洲の将兵たちを見渡した。皆、お市の言葉に救いを見出し、その瞳に「生」の輝きを取り戻していた。
「……承知いたしました。その条件、義元公に必ずや認めさせてご覧に入れます。勝家殿、引き受けられますな?」
勝家は、涙を流しながらお市の足元に跪いた。
「……この柴田権六勝家、命に代えてもお市様を、そして織田の誇りを守り抜きまする!」
「勝家、貴方が率いるこの三千の将兵を、『今川随一の軍』に鍛え上げるのです。いずれ奇妙丸が成長し、織田の家督を継ぐその日のために、今川家で最も強く、最も誇り高い織田軍を磨き上げておきなさい。それが、兄上を失った貴方たちの、新たなる戦です」
「織田軍を……今川随一に……」
勝家は、その言葉を反芻するように呟いた。
自分たちがここで死ぬことは、主君の遺児を、守るべき盾のないまま荒野に放り出すことと同義。しかし、今川の組織の中で最強の地位を築くことこそが、最も主君の意志を尊重し、未来を拓く道である。
「……お市様。この権六、ようやく目が覚めました。真の忠義とは、殿が遺された血を、誰よりも強く育てることにございました!」
勝家の瞳には、先ほどまでの濁った殺気ではなく、新たな標的を見定めた猛将の輝きがあった。




