第二十話 舌戦清須城 三
清須城の大広間に、氷のような殺気が再燃した。光秀が説く「次代への継承」という理に対し、柴田勝家が獣のような低い声で、最も触れてはならぬ核心に牙を剥いた。
「……待て、十兵衛。一つ質さねばならぬ」
勝家の瞳に、どす黒い憎悪の火が灯った。
「桶狭間の乱戦、殿の心臓を撃ち抜いたのは、今川の宿老ではなく浪人上がりの鉄砲使いであったと聞く。……それは、お前ではないのか」
その一言で、広間の空気が沸騰した。居並ぶ織田遺臣たちが一斉に身を乗り出し、喉を震わせる。
「殿の仇……!」 「貴様が殿を殺したのか! どの面下げてこの清須の門をくぐった!」
数十本の抜き身の刀が、光秀の首筋を今にも断たんばかりに迫った。
光秀は、自身の喉元に触れる切っ先の冷たさを微塵も恐れることなく、勝家を真っ向から見据えた。
「……最期は、悔いのない表情にございました」
その静かな第一声に、広間の怒号が止んだ。
「三州の太守(義元)に対し、乾坤一擲の大勝負を仕掛けた信長殿。義元公をして『自分が地に伏していたかもしれぬ』と言わしめた男が、最後に未練や悔いを残しましょうか。死の間際、信長殿は己が全てを出し尽くしたことを悟り、笑っておられた。それを『仇』だの『無念』だのと下世話な情で塗り潰すことこそ……織田信長という不世出の英雄に対する、最大の侮辱でござる!」
光秀の言葉は、勝家たちの胸の奥深く、最も触れられたくない誇りの部分を激しく打ち振るった。
「貴殿らこそ、信長殿の何を見てきた。信長殿は誰よりも死を隣に置き、誰よりも生を燃焼させた。その信長殿が、戦場という究極の舞台で、大敵と認めた義元公に敗れたのだ。そこにあるのは、清々しき完敗のみ。貴殿らがここで私を斬り、信長殿の志を道連れに自害することの、どこに織田家の誇りがあるというのか!」
光秀の眼には、一筋の熱い光が宿っていた。それは、引き金を引いた瞬間に信長と魂を通わせた者だけが持つ、信長の誇りを、家臣が継いでくれる事を確信する光であった。
勝家の手が、目に見えて震え始めた。 信長という男は、確かに敗北を、あるいは死を、誰よりも潔く受け入れる潔癖さを持っていた。光秀が語る「悔いのない最期」という言葉が、勝家の知る「織田信長」という像に、残酷なまでに合致してしまったのだ。
「……殿が、悔いはないと……。笑っておられたと申すか」
「左様。信長殿は、ご自身の炎を今川の秩序という大河に託されたのです。勝家殿、貴殿が今なすべきは、その炎を絶やさぬこと。」
勝家の力が、ふっと抜けた。刀の切っ先が畳に落ち、重い音を立てた。
「……我らは、殿を汚そうとしていたのか。我らの身勝手な怨恨で……」
広間の殺気が、深い嗚咽へと変わろうとしていたその時。 静寂を切り裂くように、奥の襖が開いた。
「明智殿。兄の最期を教えてくれたこと、感謝いたします」
凛とした声と共に現れたのは、織田の赤を纏ったお市の方であった。




