第十九話 舌戦清須城 二
「そんな甘言に惑わされるものか!貴様に織田の誇りの何がわかるというのだ!」
勝家、信包が揃って声を上げる。
「勝家殿、信包殿……。貴方様方がそれほどまでに『織田の誇り』を案じられるのであれば、なおさら今は生きねばなりませぬ。信長公の嫡子、奇妙丸(後の信忠)様のためにも」
光秀の言葉に、勝家の眉間がぴくりと動いた。
「奇妙丸様は……織田の家督を継ぐべき御方。我らが死なば、今川の手で毒を盛られるか、寺に幽閉されるのが関の山よ!」
光秀は静かに首を振った。
「いいえ。義元公はすでに奇妙丸様を、今川の『準一門』として駿府へ迎える準備を整えておられます。……勝家殿、貴殿は今、今川の右翼を担っておられる松平元康殿の姿を見てはおられぬのですか」
光秀は、城外で陣を構えている元康の方角を指差した。
「元康殿を御覧なされ! かつて竹千代と呼ばれたあの方は、人質として今川へ送られました。世はそれを悲劇と呼びましたが、現実はどうであったか。義元公は元康殿を我が子のように慈しみ、あの雪斎様が直々に兵法と帝王学を授けられたのです。人質の身でありながら、駿河の高度な教養と法を血肉とされたからこそ、今の元康殿がある」
光秀の声に、力がこもる。
「元康殿は今や、義元公が最も信頼するお方。今川の武の象徴です。奇妙丸様もまた、同じ道を歩まれるのです。義元公のもとで、今川の組織力と織田の果敢さを併せ持つ、新時代の指導者として育て上げる。それが今川義元の描く『織田家の存続』にございます!」
この言葉には、信包も目を見開いた。今川に下ることが、単なる敗北ではなく、次代の織田を「より強大に育てるための修練」であるという解釈。
「……元康殿が、あのように立派に成長されたのは、義元公の懐が深かったからというのは理解できる」
信包は小さく呟くと、勝家を真っ直ぐに見据えた。
「勝家。光秀殿の言い分は分かった。兄上の忘れ形見である奇妙丸を、第二の元康として育て上げる。そのためには、今川の法を内側から支える『織田の力』が必要だ。奇妙丸を、そして織田の血を、今川の秩序の中で守り抜くのだ」
勝家の拳が、無意識に畳を押していた。
「元康殿のように……。奇妙丸様が、日ノ本を背負う御方に……」
勝家にとって、主君の血筋が途絶えることこそが最大の恐怖であった。元康という生きた証拠を見せられ、さらに信包から「共に守れ」と命じられた今、彼の中にあった「心中」の二文字は消えつつあった。
しかし、ここで勝家は質さねばならない事を思い出した。




