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義元英雄伝  作者: 日向 守


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第十六話 平定への道


凶報が尾張を駆け抜けた。 清須城や尾張の国衆たちは、驚愕と絶望に包まれた。信長が父・信秀の跡を継ぎ、尾張をようやくまとめ上げようとしていたその矢先の出来事であった。


「信長様は、我らを残して死なれたのか……」 「今川に抗えば、丸根や鷲津のように焼き払われるぞ」


信長の支配は、彼の圧倒的な「個の力」に依存していた。そのため、柱が折れた瞬間、織田の統治機構は砂の城のように脆く崩れ去ろうとしていた。


桶狭間の翌日。今川義元は、討ち取った信長の首級を丁重に扱い、自ら本陣を鳴海方面へと進めた。


「十兵衛。尾張の国衆どもは、絶望していよう。だが、彼らに『絶望』ではなく『安堵』を教えるのが余の役目だ」


義元の命を受け、先鋒を務めたのは松平元康と鳴海城の岡部元信であった。元康は、初陣で鬼神の如き働きを見せた本多平八郎忠勝を伴い、尾張の要衝を次々と降していった。


かつて信長の苛烈な軍役や、一族同士の抗争に明け暮れていた尾張の地侍たちにとって、今川軍の進軍は想像を絶するほど静かなものであった。


「聞け! 織田信長はもういない! 今川義元公は、降る者には旧領を安堵し、法に背かぬ者には慈悲を与えると仰せだ。これ以上、無益な血を流して何とする!」


元康の声は、雨上がりの空に響き渡った。その威厳に、織田兵たちは次々と武器を捨てた。信長の支配は、その頂点が消えた瞬間に、支配の正当性もまた消滅したのである。


元康が道を拓く中、光秀は義元の傍らで実務を司った。彼は村々に、「制札せいさつ」を立てて回らせた。


「略奪を禁ずる。不当な徴収を禁ずる。今川の法に従う者は、今川の民として保護する」


光秀は、尾張の国衆たちを一堂に集め、宣言した。


「皆の衆、信長公の治世は力であった。だが義元公の治世は理にございます。誰がいつ、どれだけの税を納め、どのような権利を持つのか。すべては名記されており、公に守られます」


この「可視化」された統治に、尾張の者たちは驚愕した。特に南部は、信長の支配から間もなかったせいもあるが、不安定な支配より、今川が数代かけて磨き上げた安定した制度の方が、圧倒的に魅力的だったのである。


平定の最終局面、義元は熱田神宮へと入った。 ここは尾張屈指の経済拠点であり、信長が最も大切にしていた場所の一つである。義元は武装を解き、光秀と元康だけを連れて境内を歩いた。


「十兵衛。信長はここで何を祈ったと思う」


「……己が運命を切り拓く『力』を求めたのではないでしょうか」


「であろうな。だが余は、ここを『力』ではなく『和』の拠点とする」


義元はその場で、熱田の豪商たちを呼び寄せた。彼らは信長の死に動揺していたが、義元は彼らに言った。


「余は、お主らの財を奪うことはせぬ。代わりに、道を作り、港を整備し、商いの法を定める。お主らは、その法の中で存分に富を築け」


商人たちは、義元にひれ伏した。


「十兵衛……。尾張の者たちが、これほど容易く膝を突くのは何故か分かるか」


義元の問いに、光秀は深く一礼して答えた。


「民が求めているのは、個の英雄ではなく、明日の暮らしを保障する『理』にございます。義元公が駿河で築かれた安定を、彼らは渇望していたのでしょう」


義元は満足げに頷いた。


「信長は嵐であった。嵐は地を洗うが、種を育てることはできぬ。これからは、余がこの尾張という土壌に、永久に枯れぬ法の種を蒔く」


「さて問題は清須か……」


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