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月の戦


夜の海風は塩辛い匂いを濃く孕み、セラはルカの言葉に従って海岸の断崖際にやってきていた。突き出した岩の影にしゃがみ込み、濃色の服が月光の下で岩と一体化する。この姿勢をすでに四十数分保っている。呼吸は浅く、目は時折周囲を鋭く掃く。


手首の安物の電子時計が00:23を示す。


約束の時間まであと七分。


腰の手銃に触れる。冷たい金属の感触がわずかに安心を与える。昔もこんな、絶境で救援を待つ場面があった気がする。


ルカの「宇宙へ連れて行く」という約束——今は結果だけを信じる。


海面上では巡回艇が時折現れ、探照灯の光束が規則的に掃引する。C区倉庫の灯りは数日前より倍に増えていた。煙草局の網が締まっているのがわかる。無形の圧力が、水位の上昇のように感じられる。


00:27。


断崖の下から、低く重いブーンという響きが伝わってきた。巨エンジンが限界まで抑え込まれた喘息のようだ。続いて海水を巨大な何かが押し分ける鈍い音、重くリズミカルに。


セラの体が瞬時に緊張する。ゆっくりと一インチずつ崖縁へ移動、下を覗き込む。


月光が雲に切り刻まれ、黒い海面に散らばる。最初は何も見えない。ただ波が岩壁を打つ白い飛沫だけ。それから、二つの波峰の谷間に——輪郭が見えた。


深灰色の、巨大な人型。


海中からゆっくりと浮上し、水が装甲板を伝って流れ落ち、月光に銀色に光る。頭部の独特なV字フィン、肩甲に残る新鮮な、まだ完全に修復されていない溶損痕——セラの息が一瞬止まった。


あれだ。


地中海基地で、爆発と火光の中から飛び出し、信じられない方法で追撃者を無力化し、彼女に生路を開いた機体。


今、それは静かに崖下の海面に浮かび、胸部装甲板が無音でスライドし、内部から微かな光を放つコックピットが露わになる。細い人影が頭を出し、手にシグナルライトを振る。


ルカだ。


セラは迷わず動いた。岩陰から予め用意したロープを取り出し、一端を突起した岩柱に固定、もう一端を崖下へ投げる。動作は無駄がない。


ロープを掴み、両脚で岩壁を蹴り、降下開始。


二十メートルの高さを十二秒で。足が機体の差し出した手のひらに触れる直前、ルカが身を乗り出して彼女の腕を掴んだ。少年の手は安定し、体格以上の力がある。


「早く入って」ルカの声がヘルメットの通信機から伝わり、少し歪む。


セラは力を借りて跳び、鋼の掌を踏み込む。ルカが引き入れ、コックピットハッチが背後で急速に閉まる。


世界が一瞬で圧縮された。


コックピットはセラの想像より狭い。


彼女はルカの背中にほぼ密着するが、厚いパイロットスーツが二人の世界を隔てているようだった。


空気循環システムの低いシューという音が響き、機械油、オゾン、そして何か名前のつけられない、電離空気のような金属臭が混じる。


全周囲モニターに外部映像——崖の岩壁、漆黒の海面、遠く港の灯り。すべてに幽藍のフィルターがかかっている。


「しっかり掴まって」ルカが言う。声は今少しクリアになったが、緊張が残る。


セラには座る場所がない。シート背後に密着し、両手で座席両側の補助ハンドルを掴むしかない。機体が動き始め、低く水中に潜行、モニターはソナー映像と深海ナビゲーションマップに切り替わる。


沈黙が三分ほど続いた。計器盤の微かな電子音と、ルカが時折操縦桿を調整する時の油圧のカチッという応答音だけ。


セラの視線がコックピット内を巡る。


主モニター左のシステムステータスバーに、絶えず更新されるコード一行——「NT-SYS……」。ルカの右手側コンソール、数ボタンの縁に頻繁使用の磨耗痕。


彼女の視線はルカの肩越しに、彼の手に落ちる。


その手は安定している。


潜流が機体を激しく揺らす時でも、指は操縦桿に正確に置かれ、無駄な動きがない。


微調整の一つ一つが絶妙で、数十トンの鋼の巨人がまるで彼の四肢の延長のようだ。


この感覚……


セラの心臓が強く縮んだ。


あまりに懐かしい。


記憶の奥の閘門がわずかに開く。


何年も前、あの残酷な戦争で見た似た背影。二人の影が重なり、無意識に手を伸ばしかけたが、すぐに瞬きして、この馬鹿げた連想を心底に押し戻した。疲労と緊張だ、と自分に言い聞かせる。ただの疲労と緊張。


「どうかした?」


ルカは背後の異変に気づいたのか、首を振らずに聞いた。


「……なんでもない」


セラはハンドルを握る指を、無意識に強く締めた。心の驚涛を必死に抑え、「航路修正は?」


「した。あと三十分で合流ポイントだ」


「これは……アナハイムの新型機よね?」


ルカはセラの質問に答えず、無言で操縦を続ける。


「最近アナハイムの基地が襲撃されたって聞いたけど、あなたもいたんでしょう?」


ルカはやはり答えなかった。答えられない。簡単な「ああ」すら喉から出ない。だがセラにとって、その沈黙がすべてを語っていた。


この気まずい空気の中、突然ガンダムが強い海流に揺さぶられ、セラの左手が安定を失い、操作台の縁に触れてしまう。その瞬間、胸元のネックレスが熱を帯びた。


銀の金属ペンダントが肌に密着する部分が、数秒で明らかに温度を上げ、同時に極めて軽い、リズミカルな振動——まるで小型エンジンが起動したようだ。


ほぼ同時、コックピット内のサブモニターの波形図に異常。安定していた緑のベースラインが規則的な波紋を生む。ルカはチラリとその画面を見て、


「またシステム干渉か」ぼそりと呟き、手を伸ばしてコンソールで数キー叩く。「深海圧力のせいでセンサーがおかしくなるんだ」


セラは何も言わない。手を襟元に移し、熱くなったペンダントを軽く押さえる。


合流ポイントから十七海里、夜色に溶ける改装コンテナ船が静かに停泊していた。


外見は遠洋漁獲運搬船、航海灯は消し、桅灯頂に海事規定の赤い錨泊灯だけ。甲板に漁網とコンテナを積み、地中海の無数の同類船と見分けがつかない。


だが船底貨物倉は別世界だ。


ヨセフ・クラインは戦術ディスプレイ前に立ち、腕を組む。画面は合流ポイントを中心とした半径二十海里海域図。四つの緑光点が小隊を示す——マーカスの狙撃ジムは北東の無人島礁後方、里昂の近戦型は正東の沈船残骸を盾に、ダミアンとソフィアは南北翼で挟撃態勢。


彼自身は指揮船に、隣に隊長機ジェガンD型が整備済み。


「全機、状態報告」ヨセフが通信機に言う。


「北翼、ダミアン。異常なし。このクソみたいな場所、魚一匹いねえよ」


「南翼、ソフィア。ソナー静粛、パッシブアレイで民用船三隻検知、距離十海里超」


「東側、里昂。視界クリア。指示待機」


「島礁、マーカス。就位。風向安定、湿度高めで光束屈折に軽微影響、補正済み」


ヨセフは頷く。視線は画面中央の赤い点——「ムノーテ」号予定位置。ウォルフ局長が傍受・解読した暗号通信によれば、00:45に到着予定。


彼が待つのは船だけではない。


「優先順位を忘れるな」ヨセフの声は氷のように平坦。「第一目標:灰色MSの確認・制圧。第二:セラ・マスの捕獲または確認排除。第三:‘ムノーテ’号の阻止、全関係者・技術資料押収」


「アナハイムが抵抗したら?」ソフィアが問う。


「地球圏では連邦の法がまだ有効だと教えてやれ」ヨセフ。「局長は必要な権限を取った。今夜後、煙草局は誰の顔色も伺う必要はなくなる」


時計を見る。


00:41。


あと四分。


ヨセフの知らない場所で、別の目がこの海域を見ていた。


合流ポイントからわずか五海里、二隻の外見普通の貨物船が低速巡航。「エーゲ航運会社」登録、船体に青白ストライプ、甲板に標準コンテナ。


だがコンテナ内部は違う。


一隻目のコンテナに二機のMSが固定。装甲は特殊処理、表面に粗い工業黄と灰の斑、肩に民用作業機械風の偽マーク。頭部センサーは半球護罩に改装、深海作業用強力ライトのように見える。


だが接縫から覗く駆動構造、背後の空力修型推進器パックは、これらが普通の作業機でないことを示す。


「デレック隊長、不明水音信号検知、方位2-7-0、距離約十二海里。特徴は連邦海軍現役‘長鬚鯨’級潜航母艦に一致するが、音紋に差異、改装または偽装の可能性」


通信に若いパイロットの声。


隊長と呼ばれた男は一機のコックピットに座る。四十歳前後、左目下に細い傷跡——宇宙戦の古傷。名前はカール・デレック、元ジオン公国宇宙攻撃軍中尉。今は「ガーディアン」傭兵小隊責任者。


「データベース照合は?」


「照合中……部分一致、連邦のものだが違いあり、偽装か」


デレックはコンソールで指を軽く叩く。マリア・クラインの情報は明確——連邦煙草局が妨害する可能性。要求も明確:「荷物」を「ムノーテ」号へ安全に届ける、必要なら「一切の手段」を。


「各機注意、戦闘警戒モードへ移行。外見偽装は維持、武器保険解除」デレックが命じる。「‘ナイチンゲール’、西側から迂回、高所確保。‘レイヴン’、俺と東側から接近。相手が先制しない限り、我々はただの‘通りすがりの民用作業単位’だ」


「了解」


「受領」


二機の偽装MSコックピット内、ステータスランプが緑から琥珀へ。武器マウント解除、だが外部装甲は閉じたまま、外見は異常なし。


デレックはレーダーを見る。二つの新光点——味方。さらに遠く、「ムノーテ」号の光点が安定接近。


その間、看似空虚な海域に、四つの静止光点が三時間以上留まっている。


00:43。


コルカス・ガンダムは一定深度を保つ。ルカはデータストリームを睨み、指でタッチパッドを素早く滑らせる。


「あと二分でアナハイムの輸送船だ!」


00:45。


コルカスが予定座標で水面突破。前方、「ムノーテ」号の巨大船体が静かに停泊、尾部ハッチが開き、待つ口のよう。


ルカは操縦桿を押し、安定浮上、機体が格納庫へ滑り込み、鋼の足が甲板に鈍く響く。ハッチが背後で閉まる。


ルカはセラにコックピット内で声を出さず隠れるよう言い、食料と水の袋を渡し、ハッチを開ける。アナハイム制服の技師二人が舷梯下で待っていた。


ルカは数言交わし、一人と格納庫を出る。去り際に不安げにコルカスのコックピット方向を振り返る。


「ムノーテ」号はコルカス収容後、船首を転じ、加速。ギリシャ方向へ——そこにアナハイムの射場があり、月軌道へ送れる。


出航数分後、全艦に警報。ルカはまだ艦橋に着いていない。


「どうした?」


ルカは案内技師に聞くが、首を振るだけ。何かが近づいているらしい。


「『ムノーテ』号、ここは連邦海上執行部隊。お前たちの船は違禁軍事物資輸送および高危険指名手配者隠匿の嫌疑あり。即刻停船、乗船検査を受けろ。これが最初で最後の警告だ」


ほぼ同時、公開チャンネルに冷たい男声——ヨセフ・クライン。ルカと技師は艦橋へ急ぐ。中年艦長が額の汗を拭い続ける。


「くそ、連邦と交渉済みのはずだろ! なぜ突然乗船検査だ!」


「艦長報告、連邦艦艇とMSに包囲されています、どうしますか?」


「どうするも何も、マリア・クラインに繋げ!」


艦長は通信士に急ぎ指示、すぐにマリア・クラインと接続。


「マリア、どうなってる? 連邦に包囲された、乗艦検査を要求されてる!」


「ウォルフの老狐、あなどっていたわね。無視して、予定航路を進めなさい。こちらで手配済みよ」


「本当か? ここはただの貨物船だ、連邦の数発で沈むぞ」艦長は明らかに動揺。


「大丈夫。ルカ、いる?」


ルカはマリアの呼びかけに艦長の横へ。


「います!」


「今夜連邦を振り切れなければ、『ムノーテ』号はギリシャに着けない。私の手配が失敗したら、あなたが尾翼を振り切って。でなければ、あなたも“彼女”を宇宙へ連れて行けないわ」


マリアの言葉にルカの心臓が跳ねる。セラのことがバレた? 平静を装い頷く。「わかりました!」


マリアとの通信終了後、艦長は通信機を取り、放送で告げる。


「本船はアナハイム電子会社登録民用貨物船、合法輸送任務執行中、連邦政府より通行許可取得済み。貴方の要求は法的根拠なし、我々は停船拒否。繰り返す、拒否」


「では幸運を、艦長!」ヨセフは驚かず、再交渉せず、冷たくチャンネルを切り替え、小隊へ。「作戦開始!」


暗黒の海面、四方向から同時に探照灯の強光。光束が夜を裂き、「ムノーテ」号を光の網中央に固定。突然一道のビームが船首左舷を撃つ。


爆発の巨響が多層甲板を隔てて伝わり、船体が激しく傾く。警報が全船に響く。


「左舷損傷! 一号貨艙浸水!」


艦橋で艦長はコンソールを死に物狂いで掴む。「煙幕弾発射! 全速突破!」


「ムノーテ」号両舷から数十発の煙幕弾が射出、海面に濃密な灰白色煙幕が広がる。巨艦は全力で南東へ突進。


北東方向、島礁後から狙撃ジムが浮上、長距離ライフルが貨輪艦橋をロック。


「マーカス、推進器を狙え」ヨセフの声。「止めてしまえ!」


マーカスは夜視スコープで「ムノーテ」の推進器を捉え、引き金を引く。


ほぼ同時、右舷海面に水柱。一台の工業黄塗装MSが水を割り、肩装甲がスライド、ミサイルポッド露わ。


迎撃ミサイルが咆哮し、空中で狙撃ビームと衝突、火球を咲かせる。


公開チャンネルに未知の男声。「前方連邦艦隊、即刻攻撃停止せよ。貴方は民用船に対し違法武力行使中だ」


「貴様らは何者だ?!」ヨセフは妨害された攻撃に詰問。


「エーゲ航運会社、海上安保請負業者」声は悠然。「‘ムノーテ’号の安全保護を受託。貴方に即時撤退を勧告、不必要な衝突は避けていただきたい」


「請負業者?」ヨセフは冷笑。「開火。一緒に叩け」

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