激辛マー坊よ、天道大志を迎え撃て
「白飯はないのか」
天道の言葉に甘木は耳を疑った。
――何を言っているんだ。この男は。よもや、激辛マー坊と真っ向から立ち会うつもりなのか。
困惑する甘木。天道の澄んだ瞳が、彼を捉えて離さない。
ぞくり、背中に冷たいものが伝う。甘木はそれを気取られぬよう、半ば逃げるように厨房に戻り、茶碗に山盛りの白飯を盛り付け、彼の前に置いた。
礼を述べる天道。耳障りなその声に、甘木の心は乱される。
同級生の心境いざ知らず、天道は食器の位置を僅かに調整した。セラさんがコップに水を注ぎ、天道に差し出す。彼はそれを受け取ると、右手側に配置し、満足げな表情を浮かべた。
静寂の中、柏手が一つ響く。
天道が手を合わせた音だった。
「いただきます」
彼は頭を軽く下げ、レンゲを手にした。レンゲは一寸の迷いなく、赤黒いマー坊海に沈む。各種材料を包括したマー坊海。掬い上げられた豆腐は、宝石のように輝いて見えた。天道は臆することなく、それを口に運ぶ。
瞬間、彼はテーブルに手を付いた。
天道の口内に流れ込むマー坊海。恋の破滅を望むマー坊神の兵が、カヌーを操り暴流を駆る。驚異的な体幹は波濤をものともせず、火矢をあちらこちらにばら撒く。火矢は粘膜に壊滅的な損傷を与える。その活躍は口内に留まらず、食堂から胃に至るまで続く。
戦火の影響は人体にも如実に表れる。発汗作用、頭痛眩暈に伴う諸不調、のたうちまわりたくなるほどの腹痛。顔は苦悶に染まり、青白い。
甘木は――街角豆腐連合は、勝利を確信していた。また一つ、我々は若い恋の芽を摘むことに成功したのだと。
「呆気ないものだ」
厨房の入り口に立つ新田が言った。
その間、セラさんはアイフォンを天道に向け続けていた。戦勝ムードが漂う店内にあって、セラさんとアイフォンのみが、瞳の奥の闘志に気付いていた。
突如として、天道大志が茶碗に手を伸ばし、白飯を勢いよく掻き込んだ。空になった茶碗を群衆に荒々しく差し出す。ぽかんとする男たち。
「たぶん、お代わりが欲しいんだと思います」
セラさんが言うまで、彼らはそのことに気付かなった。近くにいた一人が、茶碗を受け取り、慌てて厨房に駆けだす。天道は白飯を待つことなく、激辛マー坊の牙城を一気呵成に責め立てる。
大皿のマー坊が驚異的な速さで減っていく。白飯が到着すると、それを一口に流し込み、茶碗を付き返す。そしてマー坊を掻き込む。その繰り返し。
鬼気迫るその光景に、群衆は恐怖した。しかし目を逸らせないでいた。彼らは、難攻不落の激辛マー坊に挑む少年に魅了されだしていた。
ぽつぽつと、天道に対する声援が上がった。それは水面に打つ波紋が如き広がりを見せ、いつしか店内を覆いつくした。
熱狂に背を押され、白飯とマー坊を掻き込む天道。意識は朦朧とし、自分が何をしているのかも定かではない。
「なんだってフードファイターの真似事をしとるんだ、俺は」
しかし黙々と同じルーティンを繰り返す。それを止めてしまえば、全てが無に帰すと彼は分かっていた。
甘木はそれを、どこか他人事のように眺めていた。節操のない大人たちは、いまや怨敵の支持者と化した。ふと「この数ヵ月の努力はいったい?」と脳裏を過る。
「こんなことが、あってはならない」
甘木は現実を否定するように頭を振り、疲れた笑みを浮かべた。
その時、店内が静寂を打った。
甘木は全てを悟り、下を向く。
群衆が狂ったような歓声。天井を吹き飛ばさんばかりの拍手。
天道大志が、激辛マー坊を完食せしめたのだ。
ごきげんよう。
次回は明日(11月2日)かなぁ。
おそらく、最終話になるかと。
よろしくどうぞ。




