マー坊神の尖兵なりや?
中華鍋が火にくべられる。
義憤に燃ゆる甘木と、都市ガスは深く共鳴し、中華鍋の上に火柱を立てた。臆することなく調理する少年に、街角豆腐連合の首領は邪悪な笑みを浮かべた。しかし一方で、善良なる市民の新田氏は、狂気を孕むその光景に恐れをなしていた。カラカラと回る換気扇の音が、焦燥感を煽る。彼の手に握られたスマホの液晶には「119」の文字があった。
そんなことは露知らず、甘木は手際よく激辛マー坊を完成させる。大皿に激辛マー坊を盛り付けると、彼は決意に満ちた視線を師に送った。新田はスマホを懐に滑り込ませ、何事も無かったかのように頷き返す。
3G相当の強固な信頼関係が二人を繋いでいるようだった。
新田は独善を成そうとする弟子の背を静かに見送った。
「大丈夫ですよ。彼ならば」
足元に転がっていた金レンゲ氏が、腹を抱えながら、プッチンされたプリンのように震えた。
少年が厨房を出るなり、新田は不安に襲われた。
***
店内に戻るなり、甘木は困惑した。
休日の昼下がりのような、和やかな雰囲気が流れていたのだ。
「不条理に憤る戦士たちは、いずこ?」
どこを見渡しても鼻の下を伸ばすアホ面ばかり。それが街角豆腐連合の関係者であることは、疑いようがなかった。
なぜこのような事態に陥っているのか。
甘木はうっすらと理由を察しつつも、人垣の中心に目を凝らした。そこには、やはりセラさんの姿があった。
彼女は持ち前の愛嬌で、オジたちを篭絡せしめたのだ。
「セラちゃん、チャンネル登録したよ!」
と一人が叫べば、「俺も!」「僕も!」と餌を求める湖畔の鯉の挙手嵐。
「本当ですか! 皆さんありがとうございます!」
セラさんの弾ける笑顔が、のべつ幕なしにオジ達の胸に早鐘を打った。ともすれば、甘木もまた、オジ達に含まれるのやもしれない。
激しい動悸に苛まれる甘木。片手で胸を抑え、喘ぐように呼吸を整えた。救いを求めて視線を漂わせた先で、木彫りのマー坊神像がドアストッパーとして使われていることに気が付いた。
その事に甘木は憤慨した。
「なんてバチ当たりな!」
マー坊神への尊い信仰心が、少年を奮い立たせる。その姿は、まっこと勇ましきマー坊神の尖兵なり。
甘木は恐るべき精神力で店内を進む。一歩進むごとに、彼女との距離が縮まるごとに、セラさんから発せられる清浄な光が、マー坊神への信仰を揺るがす。しかしその度に繰り返されるあの言葉。
――桃色の民に鉄槌を! 木綿の誓いをいまここに!
甘木を鼓舞する言葉は鼓膜を通さず、直接脳を揺らした。ドアストッパーより送られる声援を背に、人垣乗り越え十数歩、ついに和やか爆心地まで辿り着いた。
彼はあえてセラさんの方は見ない。失明の恐れがあったからだ。
代わりに怨敵・天道大志の前に立つ甘木。その姿は一皮剥けた立派なアホである。
少年達の視線が交差する。一方は何も知らず、一方は嫉妬が生んだ狂信者。対峙する二人に、街角豆腐連合はとうとう本来の目的を思い出し、表情を引き締めた。
甘木が天道の前にでんと大皿を置く。天道がそれを見て眉をピクリと動かした。セラさんは覗き込むように大皿の中身を見ると、「うげぇ」と顔をしかめる。甘木は挑むように言った。
「当店自慢の秘伝のマー坊、どうぞお召し上がりくださいませ」
静まり返る店内。
その場の全員が、天道の動向を伺った。しかし、彼は一向に食べようとしない。そのことを不思議がる者は誰一人としてない。
刺激臭が目に染み、赤黒い液体の主張が激しいマー坊を、誰が食べたがるというのか。
セラさんに絆された男たちの間に、天道に対する憐憫の情がにわかに漂いかけた。しかしそれが浸透する寸前、「恋の成就? けしからん!」と彼らはいきり立ち、同情心は霧散した。
静かに激辛マー坊を眺めていた天道がため息を吐いた。
「甘木」と天道が言った。
「なんだい?」
「俺は食事をしに来たんだ」
「そうだね」
甘木は内心、天道から弱音を引き出せると期待していた。尻を捲って逃げ出しても、見逃してやろうとすら思っていた。しかし、天道の次の言葉は、甘木の予想に反するものだった。
「白飯はないのか」
ごきげんよう。
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