恋する少年・甘木君
甘木は中学二年生の素朴な少年である。
同級生の美少女――セラさんに絶賛片思い中だ。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合とはまさに彼女の事を指す。星の瞬きを着飾る月すらも、その美貌の前では恥じ入り、雲隠れするという。
彼女を初めて見たときの衝撃たるや。意図せぬ不幸に見舞われた、自分を迎えに来た天使であると錯覚したものだ。
それは甘木だけではなかった。
セラさんの微笑はキューピットの矢の如く、あまねく男子の胸をいたずらに射抜き、激しい動悸は若年性ほにゃららを想起させ、列を成すアホの軍勢が病院を占拠した。
辛抱たまらんと、セラさんに思いを告げるものが一人、また一人と現れては、母性に目覚めた同級生女子が結託してバリケードを築いた。その隙間から彼女は申し訳なさそうな表情で――だが確固たる意志でばっさばさとフリまくる。しかしアホの軍勢はそれがまたいいと、拗らせるのだった。
そのセラさんもまた恋をしていた。
天道大志――その人である。彼はおおよそ褒めるところのない人物だが、かといって悪し様にけなすようなところもない。
なぜセラさんが天道に思いを寄せるのか、それは当人以外にあずかり知れない。
二人は「天セラちゃんねる」なるアカウントでユーチューバーとして活躍をしていたし、スマホの待ち受けは互いの写真だった。ともすれば、二人は交際関係にあると考えるのが自然である。
しかし、二人は付き合っていないという。
その事が、脳みそをどっぷりと恋漬けにした思春期男子を狂わる。思春期特有の方向違いの爆発的推進力は、いつしか「天道大志なくば、セラさんの隣は我がものとならん!」と集団妄想を生み、その思想は教室から教室に伝播した。去年の生徒会選挙では、これをプロパガンダとした名もなき男子生徒が支持を集めたが、流刑の憂き目にあったのは記憶に新しい。
甘木もまた、どっぷりと脳みそを恋漬けにしていた。
この少年は、SNSで流れてくる街角豆腐連合の情報を頼りに、これを見つけ出した。事情を説明し、恋糸の切り裂き魔・新田氏に弟子入りを果たしたのだった。
甘木は新田がひとの好い顔で、心の隙間に付け込んでくることを人伝で聞いていた。そのため警戒心を募らせ彼と対峙したが、その笑顔は恐るべき魔力で少年の心を寛解させた。
「このひとのもとでならば、あのにっくき天道を恋愛レースから排除できるはず!」
二人は固い握手を交わし、「打倒、恋の邪魔者」を打ち立てた。
しかし新田は少年の小さな手を取りながら、思春期の妄執を心の中で冷笑に伏す。
「恋敵を討ったからといって、思い人が君に微笑むわけではないだろうに。それに自分の恋路を邪魔した男を、好きになる女がどこにいるというのか」
すでに新田の頭の中では、三つの恋散華が浮かんでいた。
***
それからというもの、甘木少年は新田のもとに入り浸り修行に励んだ。
早朝、自転車で豆腐屋に行き、仕込みを終えるとその足で中学に向かった。学校が終わると矢のように教室を飛び出し、豆腐屋に隣接している中華料理屋で雑用をこなしながら、新田の背中に学ぶ日々。週末になると、公園で炊き出しのボランティアをし、街角豆腐連合の屋台のシフトをこなし、小樽に咲く若い恋の花弁を散らせることに勤しんだ。
頭の中では、すでにセラさんとのバラ色の学生生活が“髭男“と共に流れていた。
そんな日々が三ヵ月続いた。
しかし一向に、新田は甘木に激辛マー坊豆腐の作り方を教えようとしない。しまいには「子供が包丁を持つんじゃありません」と言い出す始末。
次第にフラストレーションが高まり、甘木は新田の目を盗み、その調理風景をメモに認めるようになる。家に帰っては「打倒、恋の邪魔者」を胸に、マー坊作りに励んだ。しかし出来上がるのは決まって、おいしいマー坊のみ。
おいしいマー坊を食べるたびに、甘木は自分の不甲斐なさを嘆いた。
「よもや、自分には人の恋路を妨げる才能がないのでは?」と疑いすらした。
しかしその度に、セラさんの笑顔を思い出し、甘木は奮起した。
新田は甘木のその努力を陰ながら見守っていた。彼は恋する若者が嫌いであったが、努力する若者は嫌いではなかった。さしもの彼も、少年のその姿勢に胸を打たれた。
「甘木君、作ってごらん」新田は厨房で皿洗いを終えた甘木にいった。
少年は緊張の面持ちで、調理場に立つ。厨房で料理をするのと、家の台所で料理するのとでは心持が全然違った。震える手で甘木は、渾身のマー坊を作った。
新田はその場でレンゲを差し込み、マー坊を一掬い、口に放り込む。
緊張の一瞬、甘木は強い渇きを感じ唾を飲み込んだ。
しばしの間を置き、
「美味」と厨房に響く。
甘木は思わず膝からくずおれた。
「……師匠、自分には何が足りないのでしょうか」と絞り出すような少年の声。
「君の作るマー坊は幸福の味がする。ともすれば、それは素晴らしいことのように思える。だが我々の目標は、恋する若い芽を摘むことにある。このマー坊は、その意識が欠けていると言わざるを得ない」
滔々と語る新田に、しかし、と甘木は食い下がる。
「自分は、師匠をつぶさに観察し、記録し、そのレシピを家で練習したのです。火加減、調味料、食材の大きさ、可能な限り模倣したつもりです」
「それはお客様に出すものだ」
「え?」
「当然じゃないか。こちとら生活もあるんだ。普段の営業であんな劇物を出すわけがなかろう? 思い出してごらん。君が屋台で運ぶ激辛マー坊を。私が作っているところを、君は見たことがないはずだ」
甘木は記憶を辿る。たしかに新田の言う通りだった。
新田は意図的に押し黙った。街角豆腐連合の長く険しい活動で、彼は時に言葉よりも沈黙が力を発することを知っていた。たっぷりと時間をかけ、甘木がしびれを切らすのを待った。しばらくして彼は主導権を握るように、
「時は満ちた」と意味深に呟く。
「では……!」
「うむ」新田は強く頷き、「秘伝のレシピを君に授けよう」
――三十分後。
甘木は新田の激辛マー坊を習得した。
新田はそれをレンゲで一掬い。口に放り込む、刹那、劇物は発汗作用を引き起こし、新田の作務衣をびしょ濡れにした。喘ぐように、用意していたヨーグルトを飲み干す。途中喉に突っかかり、むせた。甘木が心配そうに背中を撫でる。しばらくして、新田の手が力強く、甘木の肩に置かれた。
「桃色の民に鉄槌を! 木綿の誓いをいまここに!」
と意味の分からぬことをほざき、新田は厨房に倒れ伏した。
甘木は打倒天道を胸に、アホの躯を越えて帰路についた。
ここまで読んでくれてありがとう。
気軽に感想とかくれると嬉しいです。
次回未定。10月30日であれと願っています。
よろしくどうぞ。




