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街角豆腐連合  作者: もん・えな


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1/6

街角豆腐連合、その興り

 街角豆腐連合とは、恋仲の男女を破局させることを生きがいとする、はた迷惑な集団である。


 神出鬼没のこの集団は、週末になると屋台を引き小樽の街中を疾駆する。鋭敏な嗅覚で恋のかほりを見つけては、ひとの良い顔で近づき、秘伝の激辛マー坊豆腐を喰らわせる。


 門外不出の秘伝レシピで作られた激辛マー坊は、一口でアベックの腹に壊滅的な一撃を与える。腹を抱え無様に厠を探す姿は、若い男女の恋仲を裂くのに十二分な効果を発揮した。


 さる有識者は、これで流れた涙は小樽運河の一年分の水量と同等か、それを凌駕するとの見立てを打つ。


 その神出鬼没の韋駄天ぶりから、都市伝説として語り草になっていた時代もある。しかし昨今のSNSの普及とチャレンジ文化が追い風となり、街角豆腐連合は一躍、表舞台に躍り出た。


 週末になると、彼女に良いところを見せようとした痴れ者が、義憤に駆られた愚か者が、地方局のテレビマンが街角豆腐連合の討伐を胸に屋台へ大挙した。その度に敗北の跡がアスファルトに滴り落ちては、路面を穿つ。市政が頻繁に路面修復をするのはこういった事由である。


 この由緒正しき邪悪は、一人の青年――新田の失恋から始まった。


 遡ること、二十余年。


 その日、新田は唐突に彼女の好物である、マー坊豆腐を振舞わねばならぬと天啓を得た。「いつでも来てね」という甘言と共に渡された合鍵をジーンズにねじ込み、スーパーで木綿豆腐とマー坊豆腐のもとを買った。鼻歌を口ずさみ、築浅の青い屋根のアパートの階段を駆け上る。合鍵を使い部屋に入ると玄関に見知らぬ靴が置いてあった。「誰か来ているのかしら」と呑気にリビングのドアを開けた。


 新田は自身の目を疑った。


 眼前に広がる桃色パラダイスのなんと肌色率の多いこと。ソファで乳繰り合う男女の片割れが、自身のアベックであると認めるのは容易ではなかった。


 慌てふためく桃色国の民は、打ち上げられた魚のようにパクパクと弁明を述べた。しかし新田は桃色国の言葉が分からぬ。どうにも日本語に似たところがあるようだが、言語学者でないので定かではない。


 突如、シナプスが繋がり発火した。新田の頭上にキーホルダーの紐の如く伸びる導火線に火を付け、一瞬の内に爆発した。


「死ね! 豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ!」


 半狂乱に叫び散らかす新田。ビニール袋から木綿豆腐を取り出し、封を開けると、乱暴に手づかみ――ぐちゃりとイヤな感触――異国の民へ目掛けて投げつけた。


 激情に駆られた新田はパニックに陥っていた。自分の中に押し寄せる怒りと悲しみ――それに桃色と豆腐の色が合わさり、感情のパレットはしっちゃかめっちゃか。


 新田はとうとう息苦しさを感じて、部屋を飛び出した。


 冷たい外気を全身に浴び、街を疾駆する。押し寄せる激情の波が思考を阻害した。しかし頭の冷静なところでは、「豆腐の角で死ねは無理があるだろう」と考えていた。


 新田は仮住まいのアパートに戻ると、鍵も閉めずに万年床に飛び込んだ。


 三日三晩、枕を涙で濡らした。カーテンを閉め切った薄暗い部屋は、負の感情を醸成させるのに適した温度と湿度が保たれていた。


 悲観し自身を憐れもうとするたびに、彼女との幸福な日々が脳裏に過る。しかし桃色豆腐が突如として現れては、残酷な現実をまざまざと突き付けた。


 空腹と妄執が苗床となり、「桃色豆腐で彼女と心中をば!」と薄暗い男臭のする部屋に狂気が生まれたのは、当然の成り行きである。


 四日目の朝、新田は誰にも言わずに大学を中退した。


 そして豆腐留学に出た。東京下町の歴史ある豆腐職人の門戸を叩き、白い作務衣の好好爺に縋りついた。


「弟子にとらなくば、豆腐を飲み込んで死んでやる!」


 好好爺は新田が精神衰弱にあると看破し、「このままでは何をしでかすか分からん」と仕方なく弟子に取ることに決めた。時に厳しくも愛ある師匠の指導のもと、新田は豆腐職人として着実に研鑽を積んだ。その成長は著しく、二年に一度開催される豆腐の祭典で銀賞をも取るほどだった。


 忙しなくも充実した日々を過ごすこと三年。


 新田の狂気は完全に鳴りを潜めていた。


 そして転機が訪れる。


 師匠が婿に来ないかと新田を誘ったのだ。


 新田は当初、いつものつまらない冗談かと相手にしなかった。しかし好好爺の真剣な眼差しに、そうではないと悟った。彼は考える時間が必要だと、師匠に告げた。


  師匠は朗らかに頷き、


「よく考えなさい。しかし考えすぎもよくない。それとわかる好機は、そう何度も訪れはしないのだから」


 と含蓄の富んだ発言を寄越した。


 普通の人生を歩むのも悪くはない。豆腐職人としての日々は充足感があった。なにより彼は師匠の娘のことを憎からず思っていた。


 しかし過去の裏切りによって、新田はひとを愛することに臆病になっていた。


 新田は熟考の末、師匠に丁重な断りを入れた。そして逃げるように故郷の小樽に戻った。


 三年振りの故郷はどこか見知らぬ街の様に感じた。学生時代にバイトをしていたスーパーは名前を変え、よく立ち読みをしていた本屋は潰れていた。心細さを感じながら小樽の街を歩いていると、一陣の風が吹きすさび潮のかほりを運んできた。記憶に染みついた匂いに、新田はようやっと自分が故郷に戻って来たのだと実感した。


 それから新田は実家に転がり込み、銀行で融資を受け、機材を導入し豆腐屋を開業した。師匠のもとで学んだノウハウを遺憾なく発揮して作られる豆腐はたちまち評判になった。


「うっひょう! 小樽に豆腐御殿が立っちまうよ!」


 にやけ舌打ちと共に豆腐の生産量を増やした。するとどうしたものだろうか。たちまちフードロスが起こるようになった。


 新田は悩んだ末、どうせ処分するのなら炊き出しはどうかと閃く。様々な団体に声を掛け、余った豆腐を無償で提供した。その傍ら、調理師免許を取得し、自治体の許可を得て、週末に奉仕活動も始めた。


「うまい豆腐料理が食える。しかもただで」


 口コミが口コミを生み、一躍、新田と豆腐屋は有名になった。


 老若男女が新田をほめそやし、地方紙に何度も取り上げられた。


 全てが上手くいっていた。


 師匠の言葉を借りるなら、それとわかる好機を新田は完全にものにしていた。人生の栄華を誇っていたといっても過言ではない。


 あの女が噂を聞きつけ来たのは、そんな時だった。


 新田は最初、それが誰なのか見当もつかなかった。妙によそよそしく、かと思えばどこか親しげに言葉を並べる、子供を抱いた女性。


 頭上に疑問符を浮かべる新田に、女は「あの時のことを謝りたくて」といった。


 瞬間、心の奥底に沈殿していた濁ったものがふつふつと浮かび上がり、虫食いの記憶をパズルのように埋め尽くした。


 当時の記憶が、感情が、新田を内部から蝕んだ。青い炎がじっくりコトコト、彼の腹を焼いた。瞬く間に黒焦げになった腹は、過去の妄執を鮮明に呼び起こした。どこからともなく声が聞こえた。


――桃色の民に鉄槌を! 木綿の誓いをいまここに!


「もう過去の事さ」


 新田は笑みを繕い、手を差し出した。


「あの時は確かに辛かったけど……、でもあれがあったからこそ、今の僕がいるんだ。――だから、ありがとう」


 そんなことは微塵も思っていない。腸が煮えくり返る思いだ。


 女は新田の言葉に涙を見せた。その姿が、自分の行動に酔っていることは誰の目にも明らかだった。彼は内心、冷ややかに彼女を見下した。


 しかし新田はそんな素振りはおくびも出さずに言った。


「今はボランティア中で手が離せないから、来週末にでもまた会えないかな。君に、僕の作ったマー坊を食べてほしいんだ」


「でも、私も夫のある身ですから」


――夫のある身ですから!


 絵に描いたような貞淑な妻を演じるこの女には、きっと後ろ暗い過去はないのだろう。


 新田はこの阿婆擦れの頬を殴りつけたい気持ちをぐっと堪え、以下のように述べた。


「新たな一歩を踏み出す助けになってほしい」


 彼はそう言って深々と頭を下げた。彼が恥辱に耐えている数秒間、彼女の脳内には桃色の後悔とヒロイン症候群の波が押し寄せていた。結婚してからというもの、平凡で苛烈な日々を送っていたこの女にとって、頭を下げる元カレは未知へと繋がる既知であり、脳内の桃色成分を激しく刺激した。


 しばらくして、彼女はわかったと短い返事を寄越した。


 その後、新田は一週間豆腐屋を閉じた。


 時間の許す限りマー坊豆腐の研究を重ね、人体が耐えうる辛さとうま味の上限を追及した。手当たり次第に香辛料をかき集め、想像しうる限りの食材を買い集めた。


 有限の時なのか、無限の可能性を秘めたるマー坊の大海原を進む。中華鍋にレンゲの帆を立て、未知なるマー坊を追い求めた。


 飽くなき探求はフードロスを引き起こし、新田の善良な部分を刺激する。


 町内会会長を言葉巧みに誘惑し、豆腐屋の近くの街角に長テーブルを置かせ、無限に供給されるマー坊を街行く人々に配らせた。


 新田の腹で燻る復讐の豪火は、脂肪燃焼を促進させ、幽鬼のような外見に変貌させた。


 刻一刻と時の砂は零れ落ちる。燻る業火も時の前では無防備だ。復讐心はフグが息を吐くように萎み、心が折れかけた。 


 しかし新田はマー坊を作る手は止めなかった。マー坊を作り続けていれば、復讐のマー坊神が必ずや微笑みかけてくれると信じていたのだ。


 かくしてその時はやって来た。


 赤黒い液体に純白の個体が救いを求めあぐねている。鼻を衝く刺激臭は見た目に反し、不思議と食欲をそそる。


 新田はレンゲでマー坊を掬い、一口食べた。


 瞬間、口内で爆発が起こった。ニトログリセリン的衝撃は夏の夜空の大輪の如く、淡く儚く切ない劇物。辛苦に悶えた先に、うま味成分が顔を覗かせる。かと思えば、激しい腹痛が押し寄せ、芋虫のようにのたうち回る。土砂降りの雨に打たれたように全身は汗で濡れ、汚い。


 新田は顔面蒼白になりながらも、どうにか立ち上がり冷蔵庫からヨーグルトを取り出し、飲み干した。腕で口元を拭いながら、彼は復讐が達せられると確信を得た。神棚に激辛マー坊をよそい、マー坊神への供物とした。


 そして約束の日。


 しかし女は現れなかった。


 前日、女は街角で配られていたマー坊を食べ、体調を崩していたのだ。


 その事を新田が知る由もない。一物抱えた幽鬼の胸に飛来するやるせなさ。消化不良に終わった復讐は、当てもなく小樽の街を彷徨い、通り魔的マー坊が頻発した。矛先が若いアベックに向くのに、そう時間は掛からなかった。


 これが後に街角豆腐連合と呼ばれるようになる、はた迷惑な組織の興りである。

ここまで読んでくれてありがとう。

気軽に感想とかくれると嬉しいです。

次回は明日(10月29日)20時です。

よろしくどうぞ。

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