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先頭車両クラブ

作者: あみれん

僕は男子高校の1年生。

入学して5ヶ月になるけど、まだ友達は出来ない。

だから学校にいる時は殆ど喋らない。

入学して直ぐに友達を作った奴もいて、ああいうのは生まれ持った才能で、僕には無いものだ、と思っている。

だから、友達が居なくても友達を作る才能がないのだから、仕方がないし、別にそれを苦にも思わない。

ミュージシャンになりたくても、音楽の才能が無ければ諦める、それと同じさ。

つまり、無駄な努力はしないってこと。


通学は片道一時間の電車通学。

僕はいつも先頭車両に乗る。

運転席の後ろは広くて静かだ。

まっすぐ延びる線路がガラス越しに見えて、朝の光がレールの継ぎ目で細かく跳ねる。

朝の下り方面の電車は空いていて、先頭車両にはいつも乗客は六人ほど。

登り方面の電車とすれ違う度に、そのドアにベッタリと貼り付いた人達が気の毒になる。

僕は、登り方面の電車に毎朝乗る様な人生は嫌だな、と思う。



電車通学を始めて一週間で乗客の顔を覚えた。

中でも常連は三人。――お姉さんと、オジサンと、僕。

お姉さん、僕、オジサンの順番でこの車両に乗ってくる。


お姉さんはいつも僕の向かい側に座っている、というか、僕がお姉さんの向かい側に座っている。

だって、電車に乗るのは僕の方が後だからね。

お姉さんは每日同じ位置に座り、雑誌を膝に置いてパンを食べる。

パンは日替わりで、月曜はクロワッサン、火曜はメロンパン、水曜はあんぱん、だいたいそんな感じのローテーション。

包装のカサッという音が小さく響いて、彼女は必ず一口を小さくちぎり、目を落としたまま口元へ運ぶ。

唇にパンくずがつくと、人差し指でさっと取って、ティッシュに挟む。

いつも同じ動き。


お姉さん、何をしている人なんだろう。

学生じゃないね、指輪はしていないな...20代後半くらいかな。

朝食を電車内で済ませるなんて、よほど遠くから来ているのかもしれない。

とりわけ美人というわけではないし、服装も地味め、でも少しポッチャリしていてなんか可愛らしいと思う。

彼氏とかいるのかなぁ...


オジサンは1番後に乗り込んで来て僕と同じ側のシートに座る。小柄で全体的に胡散臭そうな空気を纏っている。

髪は整髪料でベタッとして、肌は浅黒く、ラフな服のラフな着こなしは何だかだらしなく見える。

いつも新聞を読んでいるけど、紙面の見出しを追うふりをして、お姉さんをチラ見、二度見、三度見、たまにガン見。ときどき揉み手。ほんのすこし笑っているときがあって、その笑いが、僕にはどうも苦手だった。


オジサンは何を...いや、どうでもいいや。


実は僕も当然だけど時々お姉さんをチラ見する。

パンの角をかじる瞬間、雑誌のページを親指で払う瞬間――そういう、なんでもない動作がなんだかシビれる仕草。

まるでサザンの"栞のテーマ"だね。


僕はいつしかこの三人の関係性を「先頭車両クラブ」と呼んでいた。

学校ではクラブには入っていないので、「先頭車両クラブ」が唯一のクラブ活動だ、そう、每朝三十分のクラブ活動。

このクラブの創始者兼顧問はもちろん僕だ。


僕を含めた現在のメンバー三人は会話は交わさない、でもだからこそ保たれている微妙な距離と均衡がいい感じで心地良い。

他の二人もそう感じているはずだ。

だってそうじゃなかったら、毎朝同じ車内で同じメンバーと同じ時を過ごさないはずだ。

「先頭車両クラブ」はもう僕の日常の一部になっていたので、この心地良い関係性を長続きさせる事自体がこのクラブの存在意義だね。


季節は少しずつ移った。

ヘッドライトに舞い込む虫が減り、代わりに朝霜が窓に薄い模様を描いた。

僕の通学靴は白い息を踏んでホームを渡り、先頭車両のドアが「ピン」という電子音を鳴らして開く。


ある寒い冬の朝。

ドアが開いて、いつもの位置に座る。僕はすっかり油断していて、目が覚めるまで一秒かかった。

眼の前にいるお姉さんは別人のようだった。濃いアイシャドーに、真紅の口紅。ピンクのミニスカート。いつもの雑誌、いつものパン。だけど脚を組んで、僕の視線の高さが変わっていた。


ーえっ!何があったの?!


白い脚に光が落ちて、階段の手すりみたいに滑らかだった。

僕は慌てて教科書を開いて読むふりをしたけど、その白い紙の上で文章がほどけて、形にならなかった。

でも変身したお姉さんは何だか不自然だ...何と言うか...板についていない感じ。

セクシーだとは思うけど、変わり過ぎ!!


最後に乗って来たオジサンも少し驚いたようで、わかりやすく二度見して、新聞を少し下げた。その視線の重みが、車両の空気をわずかに歪める。


僕はハラハラしている。

お姉さんのこの意味不明な劇変がこれまでの三人の絶妙な"均衡"を壊してしまうのではないだろうか...


それでも、均衡は崩れなかった。

お姉さんはいつもの様にパンをちぎり、雑誌をめくる。

僕は目を落とし、オジサンは紙面をめくる。

電車はいつもと同じ時間、同じ速度、同じ景色で走っている。

三人の距離は、まだそこにあった。


僕は考えた。

どうして今日、お姉さんはあんなに変身したのだろう。

職場の規定が変わった? 友だちに勧められた? 

あるいは、ただ気分? 

あ!彼氏が出来たんだ!!!

でも本当の理由はわからない、いや、分かる必要はない、とにかくこの均衡が保たれたんだ。

「先頭車両クラブ」存続の危機は免れたのだ。


冬が深まった。

その朝も、僕は先頭車両に乗り込み、運転席のガラス越しに霜の溶け残りを眺めてからいつもの位置に向かった。お姉さんはいた。ミニスカートにロングコート、膝上に雑誌、パンの包装を静かに開く。

電車は次の駅で停車し、オジサンが揉み手をしながら入ってきて、いつもの席に腰を落ち着けた。

音も、匂いも、いつも通り。

違うのは、オジサンの喉の奥の小さな「えへん」だけだった。


次の駅。人が一人降りて、ドアが閉まる。

オジサンは新聞の角を整え、顔を上げた。

「今日は寒いですねぇ」


たったそれだけだった。

車内の空気がうすく揺れた。

お姉さんは雑誌から恐る恐る目を上げる。視線がぶつかる。

一秒ほどの沈黙。彼女は、かすかに――ほんとうに、わずかに首を縦に動かした。

怯え、とは言い切れない様な微妙な陰が、瞳の表面をかすめて消えた。

オジサンは満足したように新聞へ戻る。

ページが一枚、音を立てた。


その瞬間、僕は不愉快だった。

「先頭車両クラブ」に会話は禁止なのだ。

黙っていることで成り立っていたお互いの程よい距離感だったんだ。

オジサンはこのクラブのルールが飲み込めていなかった。

いや、本当は僕もずっと前からお姉さんに話し掛けたかったのかもしれない。

それをオジサンに先を越されて不愉快になったのかも。



翌朝、お姉さんはいなかった。

お姉さんの席には誰も座っていない、ただ視線の先の車窓の景色が流れていくだけ。

その次の日も、そのまた次の日も。

僕はホームの柱の影から先頭車両をのぞきこむ癖がついたけれど、ピンクのミニスカートも、肩までの髪も、見つからない。

オジサンは最初の二日、驚いた顔をしたが、三日目には何事もなかったように新聞の角を整えた。角はよく合っていた。



その日も「先頭車両クラブ」は僕とオジサンだけだった。

僕は立ち上がり、走る電車の中、後部車両に向かって歩き出した。

オジサンの前を通り過ぎようとした瞬間、僕の右足の革靴の先がオジサンの腹部にめり込んだ。


あ〜やっちゃった…これも前からやりたかったんだな、きっと。

オジサンに先を越されたくなかったんだね。


オジサンは、ウグアァ!、と声をあげ、新聞紙を両手で握りしめたまま、体を折るようにしてシートから転げ落ちた。

オジサンは息が上手く出来ないようだった。


僕は暫くオジサンの悶絶する様子を眺めると、後部車両へ向かって歩き出した。


そうだ、もうすぐ僕は二年生になるんだ。

やっと僕も変われた気がする、二人のおかげだね。

「先頭車両クラブ」はもう解散だ。

バイバイ、先頭車両、そしてこれまでの僕。


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