表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第1話 欠片の値段

 私は、「もし」を覗ける。


 放課後の廊下で、誰かが笑った瞬間にも、私は別の靴音を聴く。

 ――彼女が右へ曲がったら。彼が戸を叩かなかったら。あの告白は届いていたかもしれない。

 そんな小さな未来の断面が、私の視界には淡い光となって浮かぶ。


 人はそれを「分岐の欠片」と呼んでいた。

 けれど私は、あまりその呼び名が好きじゃない。

 欠片は名前のないまま、いつもそこにある。小さな琥珀の中に閉じ込められた短い光景として。


 「梨央、今日もひとつ拾ったの?」


 背後から声。佐伯颯――小学校以来の幼馴染。

 野球部の主将で、見た目は快活だけど口数は意外に少ない。私のことを詮索しない彼は、たぶん世界で一番、この秘密を守ってくれる存在だ。


 「……拾っただけ。見たわけじゃないよ」


 手のひらで転がすのは直径二センチほどの琥珀色の粒。

 光が差し込むと、中で小さな映像が揺れている。それは、誰かが笑うはずのない場面で笑う瞬間だった。


 分岐を“再生”すると、その選択が選ばれた場合の短い未来――三十秒から五分ほど――を見ることができる。

 けれど代償がある。


 それを視ると、私の記憶がひとつ、消える。

 夏の砂浜の匂いだったり、古い曲のメロディだったり。二度と戻らない、小さな一部。


 「今日の分は、なんだと思う?」

 佐伯は軽く笑う。

 「……さあね。見てないし」

 “見ないほうがいい”と頭では分かっているくせに、視線がどうしても琥珀に吸い寄せられる。

 あの子が、どうして笑ったのか知りたい。

 でも――


 「如月!」


 突然、廊下の反対側から名を呼ばれた。

 振り向くと、黒川紗夜が立っていた。

 学園委員長で、成績も容姿も完璧な彼女は、滅多に人前で感情を乱さない。なのに今は、わずかに呼吸が乱れている。


 「……委員長?」


 「探してたの。今すぐ、屋上に来て」


 それだけ言い捨て、紗夜はくるりと踵を返す。

 佐伯が訝しげに眉を寄せる。私は小さくうなずき、その背中を追った。


 屋上は、夕焼けが始まりかけていた。

 フェンス際に、ひとりの男子生徒が立っている。見覚えはないが、制服のネクタイが乱れている。

 紗夜は足を止め、私のほうだけを振り返った。


 「如月。あんたの“力”を、貸して」


 息が詰まる。なぜ、彼女が知っている?


 「……何を見ればいいの?」


 紗夜は指先で屋上の端を示した。そこには、金属片のように光る何かが浮かんでいた。

 ――分岐の欠片。

 近づくと、中で男子生徒が泣きながら誰かの名前を叫んでいる場面が、繰り返し揺れていた。


 「これを視たほうが、彼は……助かる」


 その声音に、わずかに震えが混じる。

 今までなら迷う。それでも、両手が勝手に琥珀を包みこんでいた。


 欠片が砕け、光が眼に流れ込む――


 私は階段を駆け下りていた。

 目の前には泣きそうな顔の男子生徒。そして、校舎裏の影から現れる人物。

 それは紗夜だった。


 「ごめん。私……」


 ――そこで映像は途切れる。


 視界が戻ると、胸のあたりに穴が空いたような感覚があった。

 何かを忘れた。

 何を、だったか? ……思い出せない。


 「……どういうこと?」


 問いかけは、紗夜にも佐伯にも向いていた。

 紗夜は口を開きかけ、そして固く閉じる。


 そのとき、屋上のドアが乱暴に開いた。

 風にあおられた扉の向こう――そこに立っていたのは、学園から行方不明になったはずの生徒だった。


 「……やっと見つけた」


 その声に、紗夜が小さく息を呑む。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ