File1 切り裂きジャック#5
早速家に帰ったあたしはいとこのお兄ちゃんに電話をかけた。
「あ、お兄ちゃん?あたし、江利だけど。うん、今日退院したの。もう元気元気!でね、お願いしたいことがあって。」
ちょうど東京で働いているお兄ちゃんは片道2時間もかかるのに、可愛いいとこのために来てくれるのだという。これで後始末は完璧だ。
「それで、どうする気?」
「もう1回行く。ミケ、久々に怪異退治よ!」
「えぇ、あたしは巻き込まない約束だったじゃん。てかほんとに?田舎じゃないんだから人間の仕業ってこともあるわよ。」
「いいや!これは間違いなく怪異!あたしの中の本能が告げてるわ。今はお姉ちゃんもお兄ちゃんもいないんだからしょうがないでしょ!ほら、行くわよ!」
嫌がるミケをあたしは無理矢理連れ出す。シャッター街までの道のりはもうばっちり覚えている。
「あたしが倒れていたのがここらへんらしいの。被害者もこの近く。待っていれば自然に現れるわ。」
あたしは午前中に来た潰れた駄菓子屋の前までに来た。
「そんな簡単にいく?また返り討ちに遭うんじゃない?」
ミケはあたしの肩にちょこんと乗っかってふわぁと欠伸をしている。緊張感のない奴だ。
「今日はそんなことにならないわ。」
駄菓子屋と隣の建物の間にできた僅かな隙間から黒い影が目にも止まらぬ速さで飛び出してきた。あたしは持ち前の勘を発揮し、むぎゅうと影を素手で掴む。
「ほら、こんな風にね。」
手の中に収まったのはイタチの姿をした妖怪だった。切り刻まれても誰もその場で気づかないくらいの素早さ。そして出血もなく、痛みも生じない不可解な傷。
「鎌鼬の仕業ね。」
イタチはあたしに捕まえられジタバタしている。
「離してください、離してください!」
「離すわけないでしょう。人間を襲ってただで済むと思うなよ。」
「だってだって、我々はそのようにしか生きられないのですから。」
人を襲うことは彼らの存在意義に等しい。人間と異なる生き方を咎めるつもりはないが、少々おいたがすぎた。
「最初の頃はまだ良かったわ。でも、4人目からはいただけないわね。あんた、初めよりも凶暴になっているでしょう。」
イタチはハッとして暴れるのを止めた。
「分かるのですか。最近、人を前にすると制御が効かなくなってしまっていて。」
「ま、あんたは超下級だから暴走したところで大した脅威ではないけどね。」
イタチは小さな耳をしゅんと音が聞こえるように垂らした。
「ちょっと江利、この子のこと傷付けてるよ。」
「あぁごめんごめん。で、なんで効かなくなったの?」
「それが、我々にも全く。初めは少し人間から生命力を貰うだけだったんです。
お洋服は切り刻んでしまいますが、体を傷つけるつもりはありませんでした。ところが、4人目からです。我を忘れて切りつけてしまいました。まだ幼き子だというのに。」
こいつらの幼き子は信用ならない。幼いとかって60代だったりする。何百年と生きる怪異の類は10年も60年も変わらないのかもしれない。
「原因不明の暴走ね。ミケもそういうこともあるの?」
「強い力が近くにいる時はそうかもしれないね。でも今は何も感じないよ。」
「あたしを病院送りにしたのもあんた?」
「滅相もございません!百合様の末裔を傷つけるなど!私の命では償いきれません!」
「え?あたし達のこと知ってるの?」
「当たり前です!水沢百合様のご子孫の水沢江利さんですよね?」
「そんなにうちの家って有名?」
百合さんの記録はいとこの家に大切に保管されている。記録によると水沢百合さんは三人姉妹の末っ子で、陰陽師でもないのに妖力が開花した人だ。水沢家で初めてのことだった。その力を使って摩訶不思議なことに首を突っ込んでは問題を解決してきたらしい。
おかげで今でもたまーに百合さんに助けてもらった妖怪達がお礼に来たり、とっちめられた妖怪達がお礼参りにきたりする。だからあたしやいとこ達は敬意と面倒事を増やしやがってという色んな想いを込めて初代と呼んでいる。
だけどまさかこんな遠い地まで名前が轟いているとは思わなかった。
「有名も有名ですよ!我ら日陰者にも平等に接してくれたのは百合様一人でした。白百合のように美しく、凛とした女性でした。江利さんもどこか百合様の面影がありますね。そしてこの温かな妖気、百合様と見まごうものがあります。」
「まあ初代が源泉だからね。」
初代以来、水沢の家系は大なり小なり幽霊が見えるようになったり、不思議な力を持った人が発現するようになった。
ちなみに今の代は初代から数えて20代目で、全員幽霊や妖怪が見える。そのうち、あたしを含め3人が特異な力も持っている。
「けど、あんなことがあって、百合様も……」
イタチの顔は少し悲しげになる。あんなこととは初代の死のことを言っているのだろう。
初代はたった18年でその人生に幕を閉じたのだ。なんでもそれは初代の旦那さんに原因があるらしい。
「ねぇ、初代の旦那さんって知ってる?」
「知っておりますとも!とても恐ろしい人だったと聞いております。」
半分妖怪で、妖怪を使役する力を持っている旦那さんは、若くて国一番の美人で妖力の強い初代を惑わし、優秀な子どもを産んだら用済みとして殺した。というのが後世の水沢家の主張だ。いとこ達は旦那さんのことを散々に言っている。
親戚だけじゃなく、たまーに田舎の家に化けて出てきた初代の孫である3代目当主まで似たようなことを言っていた。自分のおじいちゃんなのに。
「実際に会ったことはあるの?」
「私はないですね。他の者はありますが。」
「じゃあ恐ろしいかどうかなんて分かんないじゃん。」
それでもあたしは旦那さんがそんな人には思えない。こっそり初代の日記帳を盗み見したけれど、2人とも仲睦まじそうで、旦那さんが初代の血目当てで近づいたんだとは思えなかった。
なんてことを話すとあたしは子どもだからとか言われるのでこの件に関してはノーコメントとしている。
「そういうものなのですか?」
「ごめんね。この子初代の話になるとムキになるから。」
ミケに至っては一貫してどうでも良いという。人間なんて遅かれ早かれ100年後には全員死ぬのだからと。
「だって交換日記する間柄よ。おしどり夫婦よ。ミケだって見たでしょう。なのに皆して好き勝手言ってるのよ。本当のことなんて誰も分からないのに。
だからあたし、自分で確かめようと思うの。初代が本当に騙されただけなのか。」
「なんだか百合様を思い出しますね。」
イタチはなぜだか嬉しそうにする。あたしは初代でもなければ、次期当主でもないのに。
「百合様の末裔にも会えたことですし、私はそろそろ。」
「これからどうするの?」
「気の向くまま旅をしようかと。」
ミケはそっとそっぽを向いた。イタチはもう人を襲うつもりはないらしい。だがそれは、
「消滅するつもり?」
「ここまで存在してこれたのが奇跡なのです。江利さんにも合うことが出来ました。私に思い残すことはありません。」
「……あたしが見つけちゃったから。」
「そうではありません。江利さんが見つけてくれなければ、私はきっとそこら辺の大した能力もない若い僧侶に雑に退治されていたでしょう。何十年と修行している人でないと退治って痛いですからね。」
修行って大事なんだな。
「真実に近付けると良いですね。陰ながら応援しております。」
本当に消滅しか道はないのだろうか。他に方法は……、
「江利ちゃん!」
そんな時に頼りになるのがいとこのお兄ちゃんだ。
「お兄ちゃん!急に呼び出したのに来てくれたんだ!」
「当然の事!江利ちゃんのためならば例え火の中、水の中、宇宙の彼方!」
ちょっとあたしへの思い入れが強すぎる古めかしい喋り方をするいとこの辿萊お兄ちゃんは、母方の1番目のお姉さんの息子さんだ。幽霊や妖怪を認識する能力しか持っていないが、その力を使ってこれまであたしのことを助けてくれた。その経験からあの警視庁で警察官となって日本の治安を守っているらしい。
ちなみに1番目の伯母さんには7人、2番目の伯母さんには3人子どもがいて、あたしは10人のいとこのお姉ちゃんお兄ちゃんに囲まれて生きてきた。
「こんなになってしまって。怖かっただろうに。」
お兄ちゃんは入院中もずっと縫い目を見て、自分が怪我をしたかのように泣きそうになって凄く心配してくれる。ちょっと鬱陶しいくらいに。
「平気よ。1ヶ月くらいで抜糸だって。」
「抜糸が済んだら傷跡を消す薬があるから塗ると善い。其れで愛い江利ちゃんのお願いとは?」
「こいつなんだけど。」
お兄ちゃんにイタチを見せびらかす。お兄ちゃんはじっくりイタチを観察したあと、鋭い漆黒の目を更に鋭くして、
「まさか其方が江利ちゃんを傷つけた悪しき妖怪か。」
と威嚇する。イタチは震え上がって動けなくなってしまった。
「彼奴を信じるならまた別人だって。」
「では今世間を騒がせている切り裂き事件の犯人か?」
「そう。鎌鼬の類だって。もう人間は襲わないって言うんだけれど、それじゃ消滅しちゃうでしょう。どうしたらいいのかな?」
「江利ちゃん、其方も理解っていると思うが此れは僕達が干渉するものではない。」
お兄ちゃんはいつも同じことを言う。
「分かってるけどさぁー、人間だって畜生や魚やを屠殺して食べてるでしょう。食べなきゃ生きられないから。このイタチと何が違うの?」
「うっ、そのキラキラ輝く瞳には弱い。仕方ない。……今回だけだよ?叔母さんには内緒にするのだぞ。」
お兄ちゃんはあたしからイタチを受け取って、持っていた籠の中に突っ込んだ。
「警察組織の裏に陰陽師的な極秘組織の集まりがあるらしい。風の噂で切り裂いてくれる者大募集中だったはずだ。」
極秘組織なのに噂が出回るのか。
「それって大丈夫なの??」
「如何にも怪しい組織なので調べていたが、最近は各地で活躍しているようだ。江利ちゃんの手は煩わせぬ。其方も、此の可愛い天使であり、天女である江利ちゃんに感謝しろ。」
「は、はい!」
「然らば、メディアに騒がれた以上、解決したように見せかけねばならぬ。江利ちゃんとミケ、協力して欲しい。」
流石お兄ちゃん。あたしの懸念もいとも簡単に解決してくれる。あたしとミケはこくりと頷く。この数十秒後、簡単に頷いたことに後悔することになるとは。
「これは、なんだ?」
退院してから初登校の朝、鬼塚は不機嫌な様子で新聞の切り抜きをあたしの目の前に持ってきた。そこにはでかでかと、
『超お手柄!ビッグバンに一人の美少女!連続切り裂き事件を見事解決!』
などと書かれ、引き攣った笑顔のあたしと、切り裂き事件の犯人に仕立てあげられご機嫌ななめのミケが映っていた。
お兄ちゃん、程々にしてって言ったよね。
「な、なんだろうねー?」
あたしはこの日1日鬼塚に問い詰められることになる。
鎌鼬事件は猫のイタズラということで間もなく世間から忘れ去られ幕引きとなる。しかし、謎が1つ残る。
あたしを襲ったのは一体何者なのか。
続く