File8 初めてのお使い#1
「長距離に 青春駆ける 青少年」
俳句を創り慣れていないあたしは、指を折りながら一句詠み上げる。陸上部の活動を上から観察しているのがもはや最近の日課となっている。
「ありがちだな。」
荒崎は人の創作にケチをつけてきた。
「中学生の作品ってそんなもんでしょ。そういうあんたは書けたの?」
「俺かぁ?横断幕 猛者の証 擦り切れ跡」
「あんたこそ意味不明じゃない。」
「中学生の作品ってそんなもんだろ。」
「2人とも早いね。でも季語がないね。」
「季語って入れなきゃダメ?」
「先生がコンクールに出したいと仰っていましたので、季語は必須かと。闇雲に詠むだけでは進みませんね。まずは今の季節の季語を整理しましょう。」
文芸部の優秀な書記係である一ノ瀬君は、先生から教えられた教科書の俳句のページを捲る。
「2月から5月くらいまでは春なんだね。」
「2月ってほぼ冬じゃねえか。」
「旧暦では春となっていたんですよ。」
「こよみに旧も新もあるのか?」
「旧暦は明治5年まで使われていた日本の昔のカレンダーです。月の満ち欠けを基準にしており、1ヶ月が約29.5日とされていました。ただ月だけを基準にすると、1年が約354日となってしまい、季節とずれてしまうので、たまに『閏月』を入れて調整していたんですよ。新暦が今僕達が使っている暦で1年が364日となっているものです。」
「1年の日数が違うから今の季節がズレるのね。」
「おっしゃるとおりです。昔の2月は今よりも寒さが和らいでいました。」
よくそんなことを知っているものだ。小学校の頃はきっと物知り博士としてさぞ人気者だったことだろう。
「本題に戻りましょう。春の季語ですが、」
一ノ瀬君は春と書かれている場所に黄色の蛍光ペンで線を引く。
「桜に春眠、朧月、鶯……。色々あるのね。」
「初心者の僕らが『や』や『かな』など句の切れ目に詠嘆を用いるのは難易度がやや高いですが。」
「春風や 長距離駆ける 少年かな とか?」
「曖昧にしてどうすんだよ。」
一ノ瀬君は不快にならないクスクス笑いをし、
「多く使えば良いというものでもないんですよ。『少年かな』は元々の『青少年』がいいかもしれませんね。」
あたしはアドバイス通り、
『春風や 長距離駆ける 青少年』
と予め配られていた俳句用の紙にサラサラっと書く。完成者第一号だ。
隣で黙って耳を傾けていた荒崎もペンで丁寧に
『春来る 去年の雪辱 晴らすとき』
と書いた。本人は隠しているが、優等生のフリをするために最近ペン習字を始めたことは部員達の間では周知の事実だ。先ほどの適当な句よりも2人ともマシな句になったのでは無いか。
土御門先生は一ノ瀬君に感謝したほうがいい。彼がいなければ目も当てられない俳句になっていたはずだ。何故文芸部が文芸部らしく俳句を作っているのか。それは今週の月曜日に戻る。
『すみません!ずっと仕事が片付かず、部活動を疎かにしてしまいました!申し訳ございません!』
我が文芸部の顧問土御門先生が文芸部を放置してから3週間が過ぎようとしていたとき、突然部室にやってきた。4人で対戦ができるボードゲームで遊んでいたあたし達は、まるでシンクロしたかのようにサッと一瞬で片付けた。たぶん息を切らしていたので見られてはいない。御書は相変わらず本を読んでいた。
『えーと、先生なんで来たの?』
『なんでって顧問だからですよ!』
そんな今更だ。
『職員室で噂になっているんです。文芸部はお悩み相談所を開いていると。』
あの横断幕の一件以来、ぽつぽつと悩める思春期の男子生徒が相談しに来るようになった。
探し物や部活の助っ人、宿題の分からないところの質問、挙句の果てには恋愛相談までしてくる奴もいる。依頼者には口止めをしておいたはずだが、男子生徒がそんな約束を守れるはずもなく噂はどんどん広まっていった。
『このままでは文芸部が助っ人団と勘違いし始める生徒が続出し兼ねないので、いい加減文芸部らしい活動をしようかと。』
『文芸部らしい?』
『中高生向けの春の俳句コンテストがあるんです。未経験者が多いようですので、小説の創作や百人一首をするよりも取り掛かりやすいと思いまして。とはいえ俳句とは奥が深いものです。かの有名な松尾芭蕉は……、』
とっくに放課後なのに、土御門先生の特別授業が始まってしまった。結束と一ノ瀬君はうんうんと聞いている。珍しく御書も本から意識を逸らし、土御門先生の言葉に耳を傾けている。右耳から左耳へ通り過ぎているのはあたしと荒崎ぐらいだ。
『すみません。つい話しすぎてしまいました。ということで俳句を作ってみましょう。コンテストのテーマは部活動。1人1作品応募します。まずは創る前に5人で俳句について理解を深めていきましょう。国語の教科書206ページに俳句について書かれていますので、参考にしてください。』
一ノ瀬君がすかさずページに付箋を立てる。
『あとまた明日から来れそうにないので、分からないことがあれば後日私のところに来てください。昼休みの時間帯なら空いております。郵送等を含めると締め切りは今週末まで。やるからには全員入賞を目指しましょう。えいえいおー!!』
先生は拳を空に突き上げる。
『お、おー?』
あたし達はこれで合っているのかなと困惑しながら先生の真似をした。
そして今日が締め切りの金曜日である。誰1人として俳句を完成させていない。
「先生もまた面倒なことを言ってきたわね。2回しか来てないくせにさ。」
「新任の先生だからね。仕事が忙しいんだよきっと。」
結束はフォローに回る。
「先生の心労を軽くするためにも頑張りましょう。では季語が決まったら……」
「頼もう!!」
折角一ノ瀬君の俳句講座入門編を開催していたのに拡声器の声によってかき消された。なんだなんだと窓を開ける。他にも異変に気がついたのか1階の窓から生徒が何人か飛び出してきた。
そして注目の的となっている女子生徒は、グラウンドの中心に仁王立ちになり右手に拡声器を持っていた。手入れが施された赤色の長髪は夕日に照らされキラキラと輝いている。
「私の名は桃原恭子!!水沢江利はいるか!!」
名指しまでしてきやがった。
「水沢さん、呼ばれてるよ。」
「無視しましょう。春は変態が増える時期だから。」
「あのセーラー、女子中ですね。」
窓から離れていた一ノ瀬君は不審者が見える位置に移動し目を細めて言った。あたしはもう一度改めて不審者の服装を観察する。青色のリボンが特徴的で何処かで見たことがあるような気がする。
「ほんとだ。名前忘れちゃったけど、中高一貫校の女子校だったよね。でもあそこからここまで一時間くらいかかるはずだよ。あの人わざわざ来たのかな?」
あたしはふと思い出した。中学校が満員だと告げられたとき、中学受験という手もあるとお母さんから教えられパンフレットを渡されていたのだ。
パンフレットの中にあの学校の紹介も掲載されていて、赤色の髪の女と同じセーラー服を着ていた。流石に遠いし、わざわざ中学校で受験も面倒だったので渋々今の学校に来たのを覚えている。あたしの選択は正解だったようだ。




