File7.5 要注意団体♯3
美術室の前に来たはいいものの、明かりは付いていない。まさか一ノ瀬の奴、電車の時間が迫っていてテキトーを言ったのではないだろうなと疑いつつもノックをせずに美術室の扉を開けた。
「WOW!イキナリビックリシマス!」
そこにいたのは今年になってALTとしてこの学校に赴任したシャーロット先生だった。この底抜けの明るさを見るに、やっぱり一ノ瀬は嘘をついたのだと確信する。
「忘れ物を探しに来たんですが、見かけませんでしたか?青色の石が付いているんですけど。えーと、ペンダントみたいな。」
英語でペンダントは通じるか疑問だが、俺が首にペンダントを掛ける真似をするとシャーロット先生には伝わったようだ。
「ペンダント?見テませんネ。」
明日一ノ瀬を問い詰めに行こう。俺は諦めて美術室から出ようとした時、いつの間に侵入してきたのか先ほどの小人がシャーロット先生の足元に近寄る。何か一生懸命訴えているらしい。
「I told you not to come back until the mission’s done, didn’t I?」
シャーロット先生は先程までの笑顔が幻だったかと思わせるように冷徹な表情で妖精に向かって酷く叱責している。何一つ聞き取れなかったが、それが英語らしいことは分かった。
「失態だ。危機感のない妖精に頼むんじゃなかった。」
そこには明るく優しい美人な先生と男子生徒から圧倒的な人気を誇るシャーロット先生の姿ではなかった。
『彼女の裏には巨大な組織がある。』
その彼女がシャーロット先生を意味するならば、これは非常にまずい事態じゃないか。
「鬼塚翔瑠、私はお前に用はない。用があるのは水沢江利だけだ。」
シャーロット先生も江利を狙う団体の一員なのだろうか。下手なことを口走らないよう次の言葉を待つ。
「お前に話すつもりはなかったが、致し方ない。いざというとき、お前は研究室への交渉材料になり得るからな。」
シャーロット先生は心底嫌そうに溜め息を吐き、スーツのジャケットを椅子に投げ捨て、金髪の長い髪を留めていたバレッタを取る。髪をおろし、真ん中にレースがあしらわれた白色のブラウス1枚というラフな格好になった。
「Why do I have to teach English to Japanese students, eh?」
スパイ映画に出演している女優の演技を目の前で見ている気分だ。本当に演技だったら良かったのに。
「私はとある機関から水沢江利の封印を命じられてここに来た。」
「は?」
「お前は幽霊や妖怪を初めとする怪異の類は何故存在するのか考えたことはあるか?」
さっきの一之瀬と同じ質問だ。その答えは研究室で既に出ている。しかし、シャーロット先生の見解は研究室や一ノ瀬の組織と異なっていた。
「我々はその答えを探すべく長年研究を続け、一つの答えを導いた。水沢江利のような超次元的な能力を保持している者達に怪異は引き寄せられ、生み出されるのではないかと。」
「何を根拠に?」
「お前達がいい例だ。お前達は500年の時を超え350mileの距離を超えここで出会った。何故だと思う?」
「単なる偶然でしょう。江利のお母さんの転勤も重なって……」
「まさか運命の赤い糸だなんだという甘い言葉を吐き出すつもりではないだろうな。お前がその奇妙な力に苦しんでいたことは承知している。原因は水沢江利がこの世に産まれたからだ。故にお前も500年前の血が目覚めた。」
「それはおかしいです。俺の誕生日は7月、江利は1月だ。半年も俺のほうが先に生まれたんだ。」
「水沢江利が生まれることは宿命だった。半年の違いなど無に等しい。」
「宿命?」
シャーロット先生は眉間に皺を寄せる。
「迷惑な話だ。水沢薫も自分の家系を鑑みて恋愛ごっこをするべきだった。
よりにもよって胎児の遺伝子に干渉し、親よりも優れた遺伝子を持つ子を成すなどという馬鹿げた能力を持つ一族の末裔に惚れるなんて。
水沢薫と渡橋元也……、今は水沢に変わったのか、が出会った時点で、水沢江利という人の手にはあまる能力を持った娘が誕生するのは確定だった。」
渡橋元也という人が江利の父親なんだろうか。江利が5歳になった誕生日の翌日に突然家を出て行ったとだけ教えられた。江利は怒りの籠った声で言っていた。きっと今になって能力が恐ろしくなり自分と母親を捨てたのだと。
「我々が水沢江利を発見したのは、誕生から4年後だった。自分達が原因だというのに10年間にも及ぶ水沢江利の引渡しの要請を彼等は跳ね除けた。特に水沢元也の抵抗は激しく、たった一人の娘のために異常現象対策研究室なる組織を設立し、水沢江利を公安の保護下に置き英国政府の牽制まで始めた。」
「江利のお父さんが?!」
とても無責任に子どもを捨てた人の行動には思えない。シャーロット先生はこちらを騙そうとしているのではないか。シャーロット先生は嫌味ったらしく鼻で笑うと、
「本当に何も知らされていなのだな。まぁ、それは水沢江利も同じか。自身が守られている立場と知らずにのうのうと生きている。全て水沢元也が招いた事態だがな。早い段階で彼を封印し、水沢江利の誕生を阻止すべきであった。」
「江利が産まれてこなきゃ良かったと言うのか!」
俺にとってシャーロット先生の言葉は許し難いものだった。なのになぜシャーロット先生が悲しそうな顔をするのだろう。
「……産まれなければよかった人間など、この世には存在しない。
しかし、世界に散らばる数百人の超能力の命と何十億人もの一般人の命、比べるまでもないと思わないか?」
「思わない!世界が敵になったって俺は江利の味方だ!」
「随分とあの娘に固執している。お前の育った環境を鑑みると当然と言えば当然か。初めて向けられた自分への好意に魘されている。」
「違う!」
心の奥底では否定できない自分がいる。
「私にも家族はいた。」
シャーロット先生は少し目を伏せる。
「両親と弟。何の変哲もない普通の家族だった。私と弟が正体不明の何者かに攫われるまでは。
20年前、私が4歳で弟が3歳のとき、両親と公園で遊びに来ていた。あまり遠くに行くなという両親の忠告を無視し、公園の近くにあった森の中に少し入っていった。そこからの記憶はなく、両親が私を抱きしめて泣いている姿しか覚えていない。
弟は未だに見つからず、両親は心を病み、怪しい宗教に縋るようになった。まるで私など存在しないかのように二人はカルトにのめり込んでいった。
地獄のような日々だった。死んでいるような私を救ってくれたのが、今の組織だ。私達家族を崩壊させたのも怪異が原因であると知ったのは組織に入ってからだ。」
任務のためには犠牲も厭わず任務を遂行する冷徹なスパイ。幼少期の経験がシャーロット先生をこんなにしてしまったのだろうか。
「このままでは水沢江利を祖国へ連行することは困難だ。
それでも私は必ず任務を遂行する、1人でも多く私のような人間を出さないためにも。
これ以上、我々は待っていられない。」
それは、宣戦布告のようなものに感じられた。




