第0002話:感謝の気持ちと感謝の言葉
拘束魔法による効果で勢いよく落下し、地面に倒れたまま身動きを封じられ固まっている唯一の生き残りに、最期のトドメを刺す金髪の青年ウィル。
ハイゴブリンの絶命を確認し、ウィルは安心したように自身の服の袖で自らの額を拭った。
――そして。
「おい! ボンズ!!」
振り返り、ウィルは怒鳴り声を上げながら、不安な表情で佇みウィルの方を見ていた大男、ボンズに近づいていく。
「舐めてんのか、お前!!」
罵声を浴びせながらボンズの目の前までやってくると、ウィルは彼の襟元を勢いよく掴んだ。
「ひ、ひぃ!」
「ああ!?」
気弱なボンズのその怯えた声に、ウィルの怒りのボルテージが更に上がる。
「こっちはなぁ、命かかってんだよっ!! てめぇ!! 戦闘舐めてんじゃねーぞ!!!」
「ご゛っ゛、ご゛め゛ん゛な゛さ゛い゛っ゛!!」
罵声の恐怖により、ボンズの声はこれでもかと震えていた。
身長200cm体重214キロの縦にも橫にも大きいボンズと、身長175cm体重75キロのウィル。
どうみても獅子と子犬ほどは有る体格差なのだが、ボンズの怯えた姿はまるで、獅子に睨まれた子犬そのものであった。
「ッッこのッッ!!」
そんな弱々しい彼の姿にウィルはさらに苛立ちを覚え、拳を作りぶん殴ろうとする。
が、
「もういいでしょ」
赤髪の少女イチカが、二人の間に入る形で襟元を掴んでいるウィルの腕を掴んだ。
ウィルの手が、強引にボンズの襟首から離される。
「いっ、はっ、離せ! 離せっイチカ!」
「ボンズは何も悪くないわよ。まさかあんなに至近距離でハイゴブリン共と偶然出会うなんて思わなかったじゃない。冷静でいられる方が無茶よ」
「そ、そうです。やめましょう、仲間同士で争うなんて」
アリシアもイチカに同調する。
「くっ。距離がとか関係ねーだろ! どんな状況でも失敗しねぇのがまともな冒険者だろうが!」
わめき散らすウィルに、イチカは呆れてため息を吐いた。
「あんたさぁ、自分が完璧な冒険者だとでも思ってるわけ?」
「あぁんっ!?」
「そもそも完璧な人間なんていないわよ。日々の体調やコンディションで筋力も魔法の強さも変わるんだから。焦って失敗する日だって、調子の悪い日だって、誰にでも起こり得ることよ」
「お、お前本気で言ってんのか!? こいつの魔法、失敗してばっかじゃねーか!? 俺たちFランク冒険者じゃねーんだぞ!?」
「ランクは関係ありませんよ。Fランクの方々も皆様、当たり前のように魔法を使いこなせます。そのような無碍な言葉を放つのはやめましょう、ウィル」
腰近くまで伸びた金色の透き通った美しい髪を森の隙間風に靡かせながら、アリシアはウィルにそう諭した。
彼女の無自覚で容赦のないその正論に、ボンズは気まずい顔をする。
Cランク冒険者のボンズは自分がより惨めに思えた。
己の無能さに、己の不出来さに。
そんなボンズをよそに、ウィルは彼女らの言葉に更に怒りを爆発させている。
「うるっせぇっっ!! てめぇら綺麗事ばっかほざいてんじゃねーよ!! 前衛のこっちはなぁ、命かかってんだよっ!! 違げぇかあぁっ!? なぁっ!? 殿のイチカっっっ!!」
ウィルの最後の一言に、イチカの表情が陰った。
先程までの凛々しい目つきをしていたイチカの目が、その言葉を聞いてまるで別人のように覇気のない虚ろな目へと変わっている。
イチカは視線を落とし、昔の何かをフラッシュバックするように思い出しながら地面をみつめ始めた。
ウィルたちのやり取りの様子を申し訳なさそうに眺めていた当事者のボンズであったが、ウィルのイチカへ向けたその要らぬ一言に慌てた様子で彼らの会話に割り入る。
「み、みんな、ごめんよ。僕が足を引っぱってばかりだから、皆に迷惑を掛けちゃってばかりだね。た、たはは」
「ボンズさん。そんなことは」「い、いいんだ。ありがとう」
アリシアが擁護しようとするが、ボンズはその言葉を遮った。
『ありがとう』の言葉に、彼女の温かな言葉を遮ってしまったことへの謝罪の気持ちも含めながら。
「ぼ、冒険者になって、この3年。僕はみんなとギルドを組めて幸せだったんだ。毎日楽しくてね。でも、僕は明らかに皆の足を引っぱっていて、Cランク冒険者としても、ふ、相応しくなくて」
アリシアが悲しそうな目でボンズをみつめている。
彼女のその視線に、ボンズは優しい笑顔で返した。
深呼吸をして、心を落ち着かせて、ボンズは言葉を続ける。
「落ちこぼれの僕がCランク、Dランク昇格試験をそれぞれ突破できたのは、みんながあまりにも優しくて、みんなの成績があまりにも優秀だったから。もし僕がいなかったら、みんなBランク昇格試験にも落ちずに今頃Bランク冒険者になってた。なのに、みんなは足を引っぱってる僕をギルドから追い出さないでいてくれた。ウィルにはよく怒られてたけど、でもずっと見捨てないでいてくれた」
みんなと寝食を共に過ごしてきた3年間の日々の思い出を振り返りながら、溢れ出そうになるこの気持ちを抑えるようにボンズは言葉を続けた。
「僕は今まで皆の優しさに甘えてばかりいたんだ。その優しさに甘え続けて、言わなきゃいけない言葉から逃げ続けて、ずっと目を逸らし続けて、ずっとみんなの足を引っ張り続けて……いつの間にか、みんなの生命、人生、経歴にたくさん傷をつけちゃってた」
その言葉に、ウィルの目線が下がる。
イチカは口を閉ざしたまま、先程から変わらずにずっと地面をみつめたままでいる。
ただ1人。
アリシアだけは、確固たる強い気持ちと意志を持ちながら、ボンズから目を反らさずにその彼の言葉を否定した。
「ボンズさん。あなたは足を引っ張ってなどいません。ましてや傷などもっての他です。そんな傷どこにもありません。それに、強さが全てでもありません。あなたはたくさんの暖かさ、優しさを私たちにくださいました。優しさに甘えていたのはむしろ私です。お願いですから、それ以上変なことを言うのはやめてください」
「……アリシアちゃん、ありがとう。大丈夫、変なことは言わないよ。これから言うことは、正しいことだから」
「で、ですからっ! その先の言葉は言わないでください! み、みんなで、頑張ろうって……み、みんなで……」
アリシアの瞳に涙が浮かぶ。
アリシアもまた、ボンズと同じように感情を必死に抑えていた。
だが、その抑えていた感情がボンズの最後の一言で瓦解した。
それほどまでに、彼女のみんなとの3年間を共に過ごした思い出は彼女の心に深く影響を与えていた。
誰も欠けてほしくない。
そんな純粋な気持ちが、彼女の最後の防波堤を打ち破っていた。
「うん……だからこそ。これ以上みんなに迷惑をかけたくないんだ」
アリシアの姿を見ながら、ボンズはそう言った。
彼女の優しいその姿をみて、だからこそボンズは固く決意した。
後ろへ2歩下がる、ボンズ。
「みんな、僕はここで降りるよ。改めて言わせてください。ウィル、イチカちゃん、アリシアちゃん……今まで本当にごめんなさい。たくさん、お世話になりました」
溢れる思い出と共に、感謝の気持ちを込めながらボンズは頭を深く下げた。
「……あー、へっ、へっ、やっと消えるか。せいせいするぜ。ほら、とっとと消えちまえよ!! 二度とその面みせんじゃねー!!」
ウィルのその言葉にイチカが驚き、睨みつける。
「あんた、何言って!」
が、彼の表情をみて、イチカは続く言葉を放つのをやめた。
引き攣った苦々しいその表情をみて、察したイチカはこれ以上何かを言う気はなくなっていた。
アリシアは地面にへたり込み、伸びた黄金色の髪は彼女の顔を綺麗に覆い、その先の感情を見えぬように隠している。
ボンズが頭を上げ、ウィルに笑顔で言った。
「ウィル、いっぱいごめんね。いっぱいありがとう。誘ってくれて、本当にありがとう……最高で幸せな3年間だったよ!」
片頬に涙を流しながら、
いっぱいの大切な思い出を強く噛み締めながら、
彼らの幸せを――どこまでも願いながら。