二章番外編 『華麗なる女教師の憂鬱』
ちょっと本筋には関係ない話を二つまみ
───────憂鬱だ。
4月10日、入学式の日。
私、齋藤美紗希はこの日より新任教師としてこれから3年間、訓練兵の育成をする事となった。
更には、普通は副担任から始めるはずだというのに何故か、いきなり担任となってしまった。
暴挙だ、横暴だ。
そう心の内で何度も愚痴を零した。
だが、聞いてくれる相手はもういない。
私は一人虚しく感じる心を、誤魔化しながはスーツを身に纏い、征鬼軍訓練校へと向かう。
自宅から学校までは徒歩五分で着く。
なのでその日はなんとなく、徒歩で向かう事にした。
普段なら原付にでも乗っていたのだが……何故か歩きたい気分であったからだ。
───────それが、間違いだった。
先日、雨が降っていた。
ある程度、水溜まりが出来ているのも予想済みだった。
なのに私は歩く事を選択し、少し進んだ横断歩道のところで、たまたま通りがかった車による水飛沫により折角のスーツが汚れてしまったのだった。
……憂鬱だ。
一人、胸中で弱音を吐く。
「……クラスの子もワケありの子が多いし。
なんで、ココ最近の私はこんなにも運が無いのだろうか」
思わず、虚空を見つめながら嘆く。
幼いながらも征鬼軍に喧嘩を売り、そして自身の兄同様に禁呪を会得してこの訓練校に入った風魔秋夜。
経歴は不明、だが巷では過去に大災害を与えた荊棘家、道化師、新しく禁呪指定を増やした芦屋兄弟……その四人のうちの子供と噂される煌月充。
大嶽 美空による不可解な爆破事件時に何故か征鬼軍にある研究中の武具の一つが鞄の中にあった御門信志。
そして……わずか5歳の時に実の両親を呪術で殺害し、その後、英傑の一人である橘 紹運により保護された禁呪・転移の保有者の橘 煉。
そんな、絶対に問題を起こすとしか思えない子達を生徒として担当することとなったのだ。
……ただ、決まってしまった以上はもう取り返しがつかない。
覚悟を決めて、彼らを立派な生徒に育ててみせよう。
そうと決まれば、たとえヤケクソで決めた覚悟だろうとここでウジウジするなど出来るはずがない。
私はやや早歩きで着替えを取りに行き、別のスーツを鞄に詰め込み仕事場へと向かった。
……この時、私は着替えておけば良かったのだ。
だが、私の悪い部分であるやや性急なところが災いし、仕事場の更衣室を借りようと考えてしまったのだ。
「───────失礼します」
職員室に入り、タイムカードを押す。
そして直ぐに、女子更衣室へと向かおうと───────
「なんだ、そんなずぶ濡れで来て情けないなぁ。
本当に女性ながら初の実技座学の両方を成績トップで卒業し、わずか三年で少佐になった齋藤美紗希殿なのか、キミは?」
した矢先、面倒なのに絡まれた。
大猿のような顔立ちに、濃い顎髭を剃ることなく生やし続けているその大男は私が最も嫌っている男だった。
貧弱ゴリラ、それが私の中でのあだ名。
小林雷新はニヤニヤと私を見下すような視線で声を掛けてきた。
その視線は、透けたシャツに向けられていてとても不愉快なモノだった。
「……申し訳ありません、通りかかった車の水しぶきをまともに食らったものでして。
そして今から───────」
「あぁ知ってる、その車は俺のだからな。
でもまぁ、その方が濡れてるのも相まってか色気があっていいかもなぁ。
あぁでも、生徒を誑かすような真似はするなよ美紗希ちゃん?」
───────そんなことばかりするから女子に影で色々言われるのだと、怒りに任せて吠えそうになる心を堪える。
……いやダメだ、いくら元担任だろうとやっぱりこのセクハラ貧弱ゴリラを今すぐにでも何も言わせないようにさせてやりたい。
具体的には、ボコボコのギタギタにして少なくとも半年は病院の天井を見つめるだけの生活にしてやりたい。
拳を握り、私は───────
「そんなことだから───────」
「小林先生……一人の新入生が二年生のことを一方的に暴行を働いているようでして。
今すぐに、現場へ向かっていただきたいてもよろしいですか?」
続きを言おうとした矢先、一人の男性が職員室へ勢いよく入り小林に声を掛ける。
彼は優しそうな見た目の、髪の毛を七三分けにしているその男性は私より何年か先輩教師の一人。
彼は、淡々とこの貧弱セクハラゴリラに仲裁するように求めたのだった。
露骨に嫌そうな表情を浮かべながら、小林はその男性に訊ねる。
「俺じゃなくても、貴様が行けばいいだろう松永。
何故、俺にわざわざ───────」
「私では止めれそうにないもので。
それに、小林先生は生活指導員ではないですか。
そして初日に問題を起こす生徒を見事に指導し学校の安全を保証し、安全を作る最高の教師な貴方という立派な大人の姿を見せるべきだと思います」
ヨイショしながら、松永先生はゴリラへとお願いする。
セクハラゴリラは頭までゴリラか。
分かりきっていたが、知能はそこまで無かったようでゴリラは機嫌をよくしながら
「そう言われたら仕方ない。
任せろ、ここはこの俺が! お前達の代わりに行ってきてびっしりと指導してやろう!!」
そう機嫌よく、この職員室から走り去った。
「さぁ、今のうちに新しいスーツに着替えに行ってください」
「あ、ありがとうございます……
ですが松永先生、あのセクハラゴリラよりもその場を収めれる先生がいたはずでは……」
チラリと、上座に座る一人の強面の男性に視線を向ける。
何処で入手してるのか、大きな葉巻を口に加えながら資料と睨めっこをしているその男性こそ、この教師陣の現場トップ。
本願寺先生は不意にニヤリと口角を吊り上げながら、松永先生に視線を向けた。
「いい発破だ松永ァ……お前には今度、酒を奢ってやるよ。
カラスでいいよなぁ?」
「オールドクロウですか?
申し訳ないですがバーボンよりもブランデーがいいですねぇ……」
「ハッハァ!! いいぜェ、今度コニャックを買ってきてやるさぁ!!
ていうか齋藤ォ……お前は早く着替えに行け。
資料はもう読み飽きたンだよ」
「あ、お、お見苦しいものを見せたままで申し訳ございません!!
少し、離席致します!!」
慌てながら頭を下げ、私は更衣室へと向かう。
教室を出たすぐに、
「……松永ァ、アイツなんであんなに張り切った下着なのか分かるかァ?」
「とても扇情的でしたね……これは青春の香りがします」
そんな、男性陣の下世話な話が聞こえてしまった。
……そうだ、コレは───────!!
途端に、顔が紅潮するのを自覚する。
「~~~~~ッ!!
洗濯サボるんじゃなかった……!!」
そんな後悔を口に零しながら私は、大急ぎで更衣室へと走るのだった───────。
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「ハァ……本当に、今日は憂鬱だ」
言いながら、私はスーツとシャツを脱ぎカバンから替えを取り出す。
……良かった、皺は無い。
不幸中の幸い、と言うべきだろうか。
しかし……本当に今日は嫌なことばかりが起きている気がする。
これだったらいっそ、戦場に出ていた方がマシだったのでは思ってしまう。
(───────なんだ、所詮は“女”か)
「ウッ……───────!?」
そんな矢先に唐突に襲ってくる悪夢と吐き気を感じ、咄嗟に口元を抑える。
……ダメだ、戦場に戻った所で今は無様を晒すだけだ。
悔しいが、そもそも医者にも止められている。
暫くは控えるようにと、そう言われてはいくら戦場に行きたくても無理である。
……憂鬱だ。
早く、みんなの天国へ行きたいのに悪夢がそれを止めに来る。
「…………こんな、こんな今の無様な私に何か出来るはず無いのに。
嗚呼、この世はなんて残酷なのだろうか」
暗い考えが頭を駆け巡る。
そして思わず一人、弱音を零したその瞬間。
何も無かったハズの空間に『裂け目』が現れた。
これは、以前見た事があるような…………
いいや、資料で読んだんだっけ。
なんだったか、思い出そうとした時に一人の男子生徒がその裂け目から現れた。
写真で見た事ある顔だ、確か私が担当する問題児の一人の───────
「…………ありがとうございまぁす」
橘煉。
彼が、急にそんな事を気味の悪い笑顔で言ってきた。
彼の視線は私の身体に向けられている。
私は、視線を下に向け───────
───────自身が、下着姿のままなのを思い出した。
「憂鬱だァ…………ッ!!」
言いながら、頬に血液が集まるのを知覚した私は橘煉に拳を振るう。
自慢では無いが、私の拳はプロボクサーを優に超える速さだ。
ソレをモロにくらい、橘煉が気絶しかける。
しかしまだだ。まだ、彼はそれくらいでは反省しないだろうしわすれないだろう。
それにどうせ、朝の喧嘩騒ぎは彼が起こしたのだろう。
小学校から中学校の間、彼は毎月の如く他生徒と揉めていたのは以前から聞いている。
橘の養子なのと、禁呪を保有していること。
そのどちらかが欠けていれば彼は訓練校に入れなかったほどに素行は最悪だ。
だから、覗き魔に加え入学早々揉め事を起こしたこの不良児に制裁を加えよう。
そして……ついでに、今日の憂鬱の全てを橘煉にぶつける事にした。
これも記憶を消させる為だ。申し訳ないとは少し思っている。
「アンギャアアアアア───────…………!?!?」
そんな情けない叫び声は恐らく、征鬼軍訓練校全体に響き渡っただろう。
他女性教師に止められるまで、私は彼を殴り続けた。
……恐らくは30発程だろうか。記憶が無くなっていればいいが。
橘煉との出会いは私にとって憂鬱な日々を更に深刻なものにさせてくれるのだろうと予感しながら、私は全力で彼を痛めつけるのだった。
美沙希先生がどんな下着なのかは煉君の秘密という事で隠しておきます。