想い続けた初恋
「一目惚れだった」
リアナ・エリンドールは、静かにその言葉を心の中で繰り返す。初めて出会ったあの日の記憶は、未だに彼女の心の中で鮮やかに生きている。まるで絵画のように色褪せることなく、何度も何度も胸の奥で蘇る。
あの日、初めて目にしたその姿――冷ややかで鋭い瞳、多くの人々を淡々と指示する落ち着いた声、完璧に整えられた姿に、リアナの幼い心は強く惹かれた。彼は、冷酷とすら思えるほどの冷静さを保ちつつも、周囲に明確な指示を飛ばし、誰もがその声に従っていた。その一言一言がまるで刃のように鋭く、そして堂々とした佇まいは、まさに人を引きつける王国の要石。
あの冷ややかな眼差しを初めて受けた瞬間、私の心は凍りつき、同時に熱を帯びた。彼の鋭さに怯え、けれどその気高さに惹かれた。初めての感情だった。まるで、何か特別な運命に引き寄せられるかのような感覚。
その彼が私に微笑みかけた時のことを、今でも鮮やかに思い出す。ぎこちない、慣れない笑顔。いつも厳格な彼が、ほんの一瞬だけ人間らしい柔らかさを見せたその瞬間。彼の手が私の頭に軽く触れ、優しく撫でたとき、胸の奥がぎゅっと締め付けられ、思わず顔が熱くなった。
「君は賢い子だ。これからも頑張りなさい。」
短い言葉だったが、その響きは今も私の心に残っている。あの日以来、彼への想いは私の心の奥深くに根付いてしまった。
「あの瞬間、私は完全に彼に心を奪われてしまった」
彼は私にとって、目標であり、憧れであり――それ以上の存在。けれど、その気持ちは決して伝えられるものではない。彼は高貴な地位にあり、私はただの子供だった。
「だけど…それでも、私は諦められない。諦めたくない!」
リアナはその日から決意した。たとえ恋が叶わずとも、彼に相応しい存在でありたいと。彼と肩を並べ、同じ世界で生きられるような人間になるために、リアナは自分を磨き続けた。
リアナの朝は早かった。陽が昇る前、誰よりも先に目を覚まし、鏡の前に立つ。自らの姿を見つめ、完璧を求めた。美しさを磨くため、髪の手入れや肌のケアに余念はなかった。長い金髪を一房一房丁寧にとかし、その艶やかさが陽光に映えるようにと、手入れを欠かさなかった。
その後、リアナは毎日決まって家庭教師のもとに向かった。語学、歴史、礼儀作法――彼女が学ばなければならないものは山のようにあった。だが、彼女の内には揺るぎない決意があった。それは、「彼に相応しい存在になる」という一心であった。
「もう一度、彼に会った時、私はただの令嬢ではない」その決意は、彼女が勉学に打ち込むエネルギーとなった。
語学の授業では、外国語や古代の詩を暗誦し、歴史の授業では王国の複雑な系譜や戦争の戦略について議論した。彼のように冷静で、知性を持って他者を導ける人間になるために、リアナは常に知識を求め続けた。
そして、礼儀作法では完璧を目指した。社交界において一切の隙を見せず、彼と同じ高貴な振る舞いができるように、日々の訓練を重ねた。舞踏会では誰もが彼女を絶賛し、優雅な歩みや手の動きに息を呑んだ。しかし、リアナ自身の心の中では、ただ一人、彼に見られたいという想いだけが強く燃えていた。
「私は彼のために、自分を磨いている」毎晩、彼女は自らにそう言い聞かせた。
そしてその努力は、彼女を学園入学前には名高い才媛として周囲に認められるまでに成長させた。外見の美しさも、内面の知性も、全てが彼を想って積み上げてきたものであった。リアナ・エリンドールの名は今や王国中に知れ渡っている。その知性と美しさで周囲を魅了する存在として。
彼女の心の中には、まだ幼い頃に出会った初恋の人への想いが深く刻まれていた。多くの貴族たちから求婚の申し出があったにもかかわらず、彼女は誰一人として心を動かされることはなかった。彼がいまだにリアナの心を占めていたからだ。
「彼に釣り合う自分でありたい」
その想いが、彼女を成長させてきた。教養を磨き、美しさを追求し、完璧な淑女としての姿を手に入れた。誰もが彼女を称賛し、羨む存在となったが、それでも彼女の心は彼に縛られたままだった。
今、リアナは学園への入学を控えている。王族や貴族の子息たちが集うその学び舎で、さらなる知識と人脈を広げることになる。だが、リアナの胸の中には未だにあの時の感情がくすぶっている。
「私はまだ、あの人を忘れられない……」
彼女は自分の運命を受け入れ理想の自分を追い求め続けたが、淡い初恋の記憶は消えることがない。彼に対する想いは、時間が経つにつれてますます強くなっていた。
朝陽が広間に差し込み、リアナは窓辺で手紙を見つめていた。その手紙は王家からのもので、内容は重く響くものだった。震える指で封を開け、読み進めると、そこには『第三王子アレクシス・ルーウェンとの婚約の打診』と書かれていた。
「…婚約?」
驚きと動揺が一気に胸を駆け抜ける。王家からの要請は、名誉である反面、拒むことが許されないものであると理解していた。しかし、心の奥底に燻っている感情が、そんな名誉を手放しで喜べない原因だった。
(まだ、私は…あの人を…)
幼い頃に抱いた初恋。その人の存在が、ずっとリアナの胸に根付いていた。彼女はその人のために努力を重ね、名高い才媛としての評価を手にしたが、どうしてもその感情を断ち切ることはできなかった。
「断るなんてできるはずがない…」
リアナは窓の外を見つめながら、握りしめた手紙をゆっくりと折りたたんだ。王家からの婚約の打診は、彼女の未来を決定的に変えるものである。だが、その未来は彼女の心が望んでいるものではない。
(私の想いはきっと報われない。それでも、諦めきれない…。)
リアナは胸に渦巻く葛藤に押しつぶされそうになりながらも、決断を迫られていた。王子との婚約を受け入れれば、王族の一員としての役割を果たすことになる。だが、初恋の相手を心に抱えたまま、別の人との結婚を受け入れることは、あまりに苦しい道だった。
豪華な応接室に通されたリアナは、少し緊張した様子で息を整えた。今日、第三王子アレクシス・ルーウェンとの初対面が待っている。彼女の心には不安が渦巻いていたが、それ以上に、心に秘めた想いが彼女を揺らしていた。自分には慕う人がいる。その事実をどうしても伝えなければならない。だが、果たしてそれを伝えたところで、何が変わるのだろうか?
やがて扉が開き、アレクシスが現れた。背が高く、端整な顔立ちの彼は、王族らしい気品を纏っていた。彼は優雅に挨拶をし、リアナに向けて軽く笑みを浮かべる。
「リアナ・エリンドール嬢、初めまして。今日こうしてお会いできることを嬉しく思います。」
リアナは深く礼をし、ぎこちなく応じた。会話が一段落したところで、リアナは覚悟を決め、深く息を吸い込んだ。
「アレクシス殿下、突然のことですが…お話ししたいことがあります。」
彼は少し興味を引かれた様子で、彼女に目を向けた。リアナはその視線から逃げるように、言葉を慎重に選びながら続けた。
「…私には、長い間慕い続けている方がいます。その方への想いは、今でも変わることなく私の心にあります。」
リアナの告白に、部屋の空気が静まり返った。アレクシスは特に表情を変えず、ただ彼女の言葉を待っている。
「その方が誰かは、申し上げることはできません。しかし、その方への気持ちは、私の中で揺るぎないものです。」
リアナは伏し目がちに言葉を選びながら、続けた。アレクシスがどう受け止めるかは分からないが、自分の胸に秘めていた想いを正直に伝えたかった。このまま婚約が進む前に。彼がそれを受け入れられないなら、それで終わるだろうと覚悟していた。
しばしの沈黙が流れた後、アレクシスは軽くため息をつき、静かに口を開いた。
「そうか、君には既に心を寄せている人がいるんだな。」
その声には驚くほど冷静さがあり、感情の動きは感じられなかった。アレクシスは少し考え込んだように視線を天井に向けた。そして、思いの外軽い口調で続けた。
「正直に言おう。僕は恋愛にはあまり興味がないんだ。結婚に関しても、王族としての義務を果たすためのものだと思っている。」
リアナはその言葉に驚き、アレクシスの顔をじっと見つめた。彼の瞳には、まるでこの話が重くないかのような冷静さがあった。
「だから君が誰かを慕っているなら、それを尊重しよう。僕は君を束縛するつもりはない。僕たちは形式的な婚約を結び、必要な役割を果たせばそれでいい。君には自由を与える。」
リアナは彼の言葉に一瞬戸惑ったが、次第にその意味を理解し始めた。アレクシスの現実的な提案は、彼女にとって予想外の救いとなっていた。アレクシスは驚くほど感情に縛られない人間のようだった。
「…殿下は、私の気持ちを理解してくださるのですか?」
リアナは戸惑いながら問いかけると、アレクシスは軽く頷きながら言葉を続けた。
「もちろんだ。僕たちはお互いに無理をしないでいよう。君が心に誰を想っていようと構わない。僕たちは王族としての義務を果たし、あとは自由に過ごせばいい。それが一番、現実的だと思わないか?」
リアナはその言葉に、安堵とも言えない感情が胸に広がるのを感じた。アレクシスの提案は彼女にとって、少なくとも今の状況では最も受け入れやすいものだった。
「…ありがとうございます、殿下。」
リアナは深く頭を下げ、彼の提案を受け入れることを決めた。
学園での日々が始まり、リアナは多忙ながらも充実した時間を過ごしていた。アレクシスとは形式的な婚約関係にあるものの、二人の間には特別なロマンスは存在しない。しかし、それにもかかわらず、リアナはアレクシスと過ごす時間の中で、不思議な心地よさを感じ始めていた。
「リアナ、次の授業まで少し時間がある。庭で散歩でもしようか?」
アレクシスが軽い調子で誘いをかけてくる。リアナは少し戸惑いながらも、彼の提案を受け入れた。学園の庭園を歩きながら、二人は自然体で会話を楽しんだ。アレクシスの冷静で理知的な性格は、リアナにとって話しやすく、彼もまたリアナの聡明さを尊重している様子だった。
「君は本当に、学問にも礼儀にも秀でているんだな。さすがは才媛と名高いリアナ・エリンドールだ。」
アレクシスはそう言って微笑む。褒め言葉はどこか形式的だが、彼の真摯な態度にはリアナも少なからず感謝の念を抱いた。
「ありがとうございます、殿下。ただ…私はまだまだ学ぶべきことが多いと感じています。」
リアナは謙虚に返事をするが、アレクシスは気軽な調子で首を横に振った。
「いや、僕は君を尊敬しているよ。君の知性は、僕にとっても刺激になる。婚約者としてというより、友人として信頼しているんだ。」
「…友人として、ですか?」
リアナはその言葉に一瞬驚きを感じたが、すぐに納得したように頷いた。確かに、彼との間には恋愛感情はない。むしろ、互いに自然な形で信頼し合い、学園生活の中で支え合う関係が心地よく感じられるようになっていた。
「そうだ。僕は君と無理に愛を育むつもりはない。けれど、君と共にいる時間を大切に思っている。それだけでいいんじゃないか?」
リアナはその言葉にほっとした。アレクシスに対しては感謝しかなかった。
「…ええ、私も同じです。ありがとうございます、殿下。」
その瞬間、二人の間に友情という名の絆が確かに生まれたことをリアナは感じた。恋愛とは違う、けれどお互いに尊重し合える関係――それが今の彼女にとって最も心安らぐものだった。
学園での授業が終わり、リアナはいつものように馬車に乗り、王宮へと向かっていた。放課後に行われる「王子妃教育」――それは、婚約者としての責任を果たすために必要な作法や政治的知識を学ぶ場であり、王宮での日々が新たに始まった。
大広間に入ると、そこには彼女を待つ厳粛な空気が漂っていた。今日もまた、複雑な礼儀作法や貴族間の駆け引きに関する授業が行われる。リアナは持ち前の聡明さと努力で、すぐにその内容を理解し、周囲からも高い評価を受けるようになっていった。
「さすがにリアナ様は優秀ですね。まさに将来の王子妃として相応しい。」
周囲からの称賛に対して、リアナは礼儀正しく微笑んで受け流す。だが、彼女の心の奥では別の思いが常に渦巻いていた。王子妃としての未来――それはアレクシスとの関係の中では形だけのものでしかない。そして、彼女の心は未だに、初恋の人に強く引き寄せられている。
その日の教育が終わると、リアナは次の役割を果たすために宰相レンティス・アーデンの執務室へ向かう。彼女は今、王宮内での経験を積むために、政治の補佐役として働くことが許されていた。王宮でも最も重要な役割を担う宰相との仕事は、リアナにとって大きな学びの場であり、彼女はこの機会を最大限に活用しようと日々努力していた。冷静で厳格なレンティスは、王宮内でもその鋭い頭脳と卓越した政治手腕で名を馳せている。
「リアナ・エリンドール嬢、お待ちしていた。」
レンティスは執務机の前で立ち上がり、静かに彼女を迎え入れた。彼の目は冷たい鋭さを持ちながらも真剣な表情をしている。リアナは胸がトクンと高鳴るのを抑え、軽く一礼し、彼のもとへと歩み寄る。
「本日も書類の確認をお願いしたい。こちらは新たな法案に関する資料だ。」
リアナはレンティスから渡された書類を手に取り、すぐに内容を確認し始めた。王宮での仕事は高度なものばかりだが、彼女はその責任に対し真摯に向き合い、迅速に正確な判断を下すことを心がけていた。彼の期待に応えたいという思いが、リアナをさらに高めていた。
「よくできていますね、リアナ嬢。あなたの助言は非常に貴重だ。」
レンティスの冷静な声には、確かな信頼が感じられる。リアナはその言葉に静かに頷きながらも、心の中では胸が高鳴っていた。彼の存在が彼女に与える影響は大きく、仕事を通じて二人の距離が少しずつ近づいているように感じられる。
「ありがとうございます。少しでもお役に立てるよう、これからも尽力いたします。」
リアナは真摯に返事をしながらも、内心では自分の気持ちを押し殺した。その想いを悟られてはいけない。知られてはならないのだ。想いを表に出すことは許されない。
彼女はその秘密を胸に抱きながら、宰相との仕事に集中した。
レンティスとの日々の仕事が進む中で、リアナは自身の感情に揺れ動きつつも、それを押し隠し続けていた。王宮での彼との時間は、彼女にとって貴重でありながらも、心の奥で静かにくすぶる感情をどうするべきか、答えを出せずにいるのだった。
重厚な執務室にリアナの姿があった。レンティスとの日々の仕事はすっかり日常の一部となり、彼女の存在は彼にとって欠かせないものになりつつあった。文書の整理、報告書の精査、会議の準備――リアナは手際よくこなしていく。そのたびにレンティスは、彼女の冷静さと的確さに感嘆していた。
「リアナ嬢、あなたの働きには感謝している。毎度、私の期待以上の結果を出してくれている。」
彼の声には、以前よりも柔らかさが加わっていた。リアナはその言葉を受けて微笑む。その声が自分にとって特別なものであることを感じつつも、彼に対して特別な感情を表すことは慎重に避けていた。
「恐縮です、宰相様。私にできることがあれば、何なりとお申し付けください。」
二人のやり取りは、まるで淡々とした仕事の話に過ぎないように見えたが、どこか心の奥深くでは、確かに何かが変わり始めていた。レンティスがリアナを見る目には、以前にはなかった微妙な温かさが宿り、リアナもまた、その視線に応えるように自然と心を開きつつあった。
だが、リアナは自分の心に深く根付いている想いを決して表には出さない。彼に対する尊敬、信頼、そして――。その感情が何であるか、朧げなうちに蓋をした。深く考えてしまえば囚われてしまうから。彼女は目を伏せ、淡々と業務を続けた。だが、彼と過ごす時間が長くなるにつれて、その沈黙の中に隠された感情がふと顔を覗かせる瞬間が増えていく。
レンティスは、彼女に対する信頼をさらに深めていった。政治の場においても、彼女の助言は有益で、仕事ぶりは誰もが認めるところだ。彼女の存在が、ただの補佐以上のものになりつつあることに、彼自身が気づいているかどうか――それはまだ明確にはならなかった。
「リアナ嬢、あなたの見解を聞かせてくれ。」
レンティスの問いかけに、リアナは瞬時に答える。彼女の頭脳は鋭敏であり、彼の期待に応えることができる。それが、彼との間に自然と生まれた信頼の絆であり、心の交流でもあった。
だが、その交流がいつか変わるのだろうか――リアナはその思いを胸に秘めつつ、仕事に集中した。
レンティスは、リアナの働きぶりに日々感心していた。彼女は若く、才能に溢れ、忠実であった。どの仕事も完璧にこなす彼女に対して、信頼は日増しに高まっていた。しかし、最近ふと気づくことがあった。彼女の表情の一瞬に、どこか隠しきれない何かがちらつくのだ。
「リアナ嬢、今日は何か考え事でも?」
レンティスは思わず問いかけた。淡々と進められる業務の中で、ふとした瞬間に彼女の目が遠くを見つめるように感じることがあった。その目には、まるで何かを隠しているかのような陰りが見えた。それが何であるのか、レンティスにはまだ見当がつかない。
リアナは驚いたように彼を見つめたが、すぐに微笑を浮かべて言った。
「いいえ、何も。少し疲れていただけです。」
その言葉にはどこか作り物めいた響きがあったが、レンティスはそれ以上問い詰めることはしなかった。だが、心の奥では何かが引っかかっていた。リアナは確かに彼の信頼する補佐であり、優れた女性だ。しかし、その表情には時折、彼女が心の奥に抱えている何かが映り込んでいるように思えた。
その「何か」は一体何なのか。彼女の心に隠された感情、それは彼に対する敬意なのか、それとも別の感情がそこに潜んでいるのか――。
レンティスはそれに気づきながらも、深く踏み込むことを避けていた。彼女が何を思っているのかを知りたいという気持ちと、知ることへの恐れが交錯する。リアナに隠された「何か」が、自分に関係するものなのかどうかさえ、彼にはわからなかった。
その疑念はレンティスの胸に静かに宿り続けた。
夕方の陽光が窓から差し込み、執務室に穏やかな空気が流れていた。日々の忙しい仕事の合間に、ほんのひと時の休憩を取る時間が二人に訪れた。レンティスはリアナと共に温かな紅茶を片手に、ふと話題を変えて微笑みかけた。
「リアナ嬢、君ならきっと第三王子妃として申し分ないだろう。」
彼の言葉は柔らかで、賞賛を込めたものだった。リアナは優秀で聡明、その資質を持ってすれば、王家の一員として完璧にふさわしい。レンティスはそれを確信していたし、言葉にするのも自然なことだった。彼は笑みを浮かべながら続ける。
「君のような女性が妻になるなんて羨ましい限りだ。リアナ嬢と王子の結婚が、今から楽しみだ。」
その瞬間、リアナがふと見せた表情に、レンティスは思わず息を飲んだ。彼女の顔に浮かんだのは、嬉しそうな微笑だった。だが、その笑顔の裏に、どこか悲しさが滲んでいた。まるで、彼の言葉が何か重荷を負わせたかのように――ほんの一瞬だったが、その表情は彼の目に強く刻まれた。
レンティスは何か言おうとしたが、リアナはすぐにいつもの柔らかな笑顔を取り戻し、感謝の言葉を口にした。
「ありがとうございます、宰相様。それでも私はまだまだ未熟ですので、これからもご指導をお願いします。」
その言葉は完璧に礼儀正しく、何の問題もないように見えた。リアナは茶を一口含み、いつもと変わらない冷静さを取り戻していた。レンティスは一瞬、あの表情がただの気のせいだったのかと自分に問いかけた。
だが、あの瞬間に確かに感じた違和感は、彼の胸に重く残り続けた。
「…何か不味いことを言ったのだろうか?」
レンティスは心の中で自問する。リアナの反応は控えめで、決して彼を非難するものではなかったが、どこか遠くへ思いを馳せていたように見えた。彼女が抱えるものは何なのか――彼にはその意味がわからない。どの言葉が彼女を傷つけたのか、それを掴むことができずにいた。
その日の夜、執務室を後にした後も、レンティスの心にはリアナのあの一瞬の表情が消えずに残り続けた。彼女はいつも完璧に振る舞い、何一つ欠点のない態度を保っている。だが、あの時の彼女の目に映った感情は、一体何だったのだろう?
日が経つにつれ、その疑念はレンティスの中で大きくなっていった。何故、彼女は一瞬だけ、あのような表情を見せたのか?そして、彼が無意識のうちに踏み込んでしまった領域は何だったのか?
宰相として冷静であるべき彼ですら、その答えを求めずにはいられなかった。リアナが隠している「何か」が、彼の胸に小さな刺として残り、徐々に彼を苛むようになっていったのだった。
学園での最終学年が近づくにつれ、リアナは胸に秘めていた想いが日に日に重くなっていった。あの時の彼の言葉がずっと耳に残っている。
「君のような女性が妻になるなんて羨ましい限りだ。」
彼に相応しい存在でありたい。その願いは叶ったのだろう。彼のために磨き上げた自分を認めてもらえた。嬉しかった。――そして、私を地獄に堕とす言葉が続けられる。
「リアナ嬢と王子の結婚が、今から楽しみだ。」
彼に他の男性との結婚を楽しみにされるなんて・・・。王子妃教育を受ける自分の立場としては喜ぶべき、喜ばないといけない誉め言葉。それを理解しているのに、リアナの胸に宿った感情は――。心の中で響く泣き声に自分の限界を感じた。
初恋への未練を断ち切るためには、距離を置くしかない。リアナは、胸の内にある言葉を慎重に選びながら、向かいに座るアレクシスに視線を向けた。彼は、いつもの穏やかな表情で彼女を見つめているが、今日はいつもより真剣さがその瞳に浮かんでいるように感じた。
「殿下、私は…隣国への留学を考えています。最後のわがままだと思って、許していただけませんか?」
その言葉が口をついた瞬間、リアナは少しだけ息を詰めた。胸の中で渦巻いていた想い――自分の初恋への未練を整理するための決意を、この場で打ち明けるのは簡単ではなかった。
アレクシスは、リアナの言葉を受けて一瞬眉を上げたものの、特に驚いた様子もなく、静かに返事をした。「留学か…。それは意外だな。でも、理由を聞いてもいい?」
リアナは目を伏せ、言葉を選んだ。「私、ずっと…王国の外を見てみたかったんです。それに、私自身、今までの生活の中で感じたこと、学んだことをもう少し広い視野で見つめ直したいんです。」
言葉は表面的な理由に聞こえたかもしれないが、リアナはその下に隠された本心を悟られまいと気をつけていた。だが、彼女の真意――初恋の人への秘めた想いを断ち切るため、彼から距離を取るための留学であることは、アレクシスに見抜かれているのではないかという疑念が頭をよぎった。
アレクシスは一瞬考えるように黙った後、静かに口を開いた。「隣国への留学か…。君がそうしたいと思うなら、僕は反対しないよ。どうして留学したいのか、なんとなくわかる気がするし。」彼は穏やかな声で答えた。リアナの瞳に宿る葛藤を理解し、彼女が必要としている時間と空間を尊重しようとしていた。
「けれども、ひとつだけ条件がある。」
リアナは目を見開き、彼の言葉に注意を向けた。
「留学中はお互いに連絡を取らないことだ。」
彼の提案に、リアナは少し驚いた。アレクシスの声には、彼なりの配慮が滲んでいた。留学中、互いに連絡を絶つことで、リアナが自身の感情と向き合い、整理する時間を与えようとしているのだと悟った。
「連絡を…取らない?」
リアナの問いに、アレクシスは頷いた。「君はこれまで多くの期待や責任に縛られてきた。それに加えて婚約のこともある。でも、君が本当に何を望んでいるのか、自分自身で見つめ直すには、完全に自由な時間が必要だと思うんだ。」
彼の言葉はリアナの心に響いた。婚約という名のもとに、彼女はどこかで自由を失っていると感じていた。そして、この提案は、彼女が自分を解放し、想いを整理する機会を与えてくれるものだった。
「…わかりました。それで構いません。」
リアナは小さく頷いた。その表情には決意が見え、同時に少しの不安もあった。アレクシスはそれに気づいていたが、余計な言葉を挟むことはしなかった。
「留学先では、新しい経験がたくさん待っている。君の望むことを見つけ出すための時間だと思って、楽しんできてほしい。」アレクシスは、穏やかな微笑みを浮かべたが、その目はどこか切なさを帯びていた。
「ありがとうございます、殿下…。」
リアナは彼の言葉に感謝しつつ、心の中で静かに誓った。この留学は、ただ新しい知識を得るためのものではない。自分自身の心を整理し、長年抱いてきた初恋の感情に終止符を打つための大事な一歩なのだ、と。留学を利用して逃げる自分を自覚していた。そして、留学後は逃げることさえ許されなくなることもわかっていた。だが、彼女の胸の奥底では、この感情が本当に消えるのか、まだ確信が持てていなかった。
留学が始まると、リアナは手紙や通信を一切断ち、日常の喧騒から離れた。新しい環境で新しい人々と接する中で、彼女は少しずつ心を軽くしていこうと努めた。けれども、どこかでまだ初恋への感情が心の底に残っていることに気づき、悩む日々が続く。遠く離れても、彼の存在は消え去ることはなかった。
隣国での留学を終え、リアナが故郷の土を再び踏んだとき、秋の冷たい風が彼女の髪を優しく撫でた。壮麗な王宮の塔が遠くに見え、彼女の胸の中にわずかな安堵と不安が交錯する。留学の間、リアナは何度も自分の感情と向き合おうとしたが、初恋の相手に対する未練は完全には消えていなかった。それでも、彼女は心を整理し、前に進むための覚悟を決めて帰国していた。
学園の門を再びくぐった日、リアナを待っていたのは予想外の混乱だった。学園内では生徒たちの間に不安が渦巻いている。そして、彼女の不在中にいくつかの事件が起きていたことを知った。仲間たちが事件の余波に巻き込まれていたことで、リアナもその渦中に引き込まれる。
その日の午後、王宮の一室でアレクシスと向かい合ったリアナは、彼の表情にこれまで感じたことのない険しさを見つけた。彼は机の上で指を組みながら、無言でリアナを見つめていた。部屋の空気はひどく重く、リアナは無意識に息を詰めていた。
「リアナ、留学中の君には連絡を一切取らなかったが、その間にいくつかの大きな問題が起こっていた。」アレクシスが低く口を開いた。
彼の言葉にリアナは少し驚いたが、静かに耳を傾けた。王子は続けた。
「学園内での一連の事件については君も知っているだろう。でも、今それよりも大事な話がある。」
リアナは一瞬、胸が締め付けられるような感覚を覚えたが、冷静さを保ちながらアレクシスの言葉を待った。
「君にとって、この婚約はどういう意味を持っている?」アレクシスの問いは唐突だった。
リアナは戸惑った。彼の目にはいつもの優しさはなく、鋭い視線が彼女を貫いていた。しばらくの沈黙が二人の間に流れたが、リアナはゆっくりと言葉を紡いだ。「…この婚約は、王家のための義務だと思っていました。私が王子妃としての役割を果たすこと、それが私の役割だと。」
「そうだな、王家のために。それは確かにそうだ。」アレクシスは一瞬目を伏せたが、すぐにリアナを見つめ直した。「でも、それが本当に君の望んでいることか?君は、僕に対して本当のところどう思っているんだ?」
その問いにリアナは戸惑い、どう答えるべきか悩んだ。彼女の心の中には、初恋が今も渦巻いていた。しかし、それをアレクシスに伝えることはできない。彼女は一瞬の沈黙の後、静かに答えた。「殿下、あなたは私にとって大切な友人です。でも…それ以上の感情は、今は持っていません。」
リアナの言葉を受け、アレクシスは短く息を吐き出した。その表情には予想していたものを確認したような安堵が漂っていた。
「そうか…。正直に答えてくれてありがとう、リアナ。」彼は少し微笑んだが、その笑顔にはどこか切なさが滲んでいた。「実は、僕も君に同じような気持ちを抱いている。君を嫌いだとか、そういうことではない。ただ…僕も、恋愛や結婚には興味がないんだ。」
アレクシスの言葉は、リアナにとって予想外のものだった。彼女は少し驚いたが、同時にホッとした気持ちもあった。
「だから、僕は提案があるんだ。」アレクシスは真剣な表情で続けた。「今なら、婚約を破棄できる。君も自由になれるし、僕も王家の責務に縛られずに済む。」
リアナは言葉を失った。婚約を破棄するという提案が、現実のものとなるとは思っていなかった。留学前は、義務感と責任に押しつぶされそうな彼女にとって、それは一つの逃げ道のようにも思えたが、今この瞬間、それが本当に彼女の望みなのか、リアナ自身がまだはっきりとは理解していなかった。
その時、アレクシスがぽつりと言った。「君が本当に慕っている人が誰か…薄々気づいていたんだ。」
リアナは息を呑んだ。彼がその真実を知っているのだと察した瞬間、彼女の胸はドキリと大きく脈打った。しかし、彼はそれ以上何も言わず、静かにリアナを見つめていた。名は出さないものの、その視線は、リアナが自分の心を誰に捧げていたのかをすでに理解しているかのようだった。
「リアナ、君が幸せになる道を選んでほしい。それが僕の願いだよ。」アレクシスは穏やかに微笑み、リアナの肩を優しく叩いた。
その瞬間、リアナは自分がどれほど彼に救われているのかを痛感した。婚約という枠に囚われず、自分の気持ちを自由に探すことができるようになった今、彼女は次に何をすべきかを考え始めていた。
「ありがとうございます…殿下。」リアナはその言葉を口にしながら、初めて本当に自分が自由であることを実感した。
「それで、後回しにしていた学園内での一連の事件についての話だけど。」とアレクシスは話を切り替える。
「要約すると、君の留学後に入学してきた一人の令嬢が魅了の力を持っていて、僕と側近の令息数人が被害にあった。魅了にかかっていた間、問題行動を多数起こし、卒業式では婚約破棄騒動にまで発展した一組があった。」
「噂通りのことが本当にあったのですね・・・。魅了はもう大丈夫なのですか?」リアナは驚きながらも気遣わし気にアレクシスを見る。アレクシスは力が抜けた笑みで答えた。
「婚約破棄を突き付けられた令嬢が大神官を連れてきててね。全員解除されてる。魅了持ちの令嬢も拘束されて刑罰待ち。」更に続ける。
「僕を含めた魅了された男性側は、情状酌量が認められながらも問題行動を起こした事は事実だから、それぞれ罰を受けている。後継だった者は外されたし、全員卒業後の進路が最底辺出発になったね。まあ、生まれの良さからくるゲタを外されただけだから。実力を示せればそれなりになれるだろう。」アレクシスは他人事のように気楽に話した。事実、元から実力主義の気がある彼は気にしていないのだろう。
「男性側の今後がそんな状態だし、魅了期間の失礼な態度もあるしで、婚約の継続如何はそれぞれの婚約者の女性の意思に委ねられた。継続する組も破棄する組もある。継続組の男はもう完全に言いなりだろうね。破棄組の女性は男性側の家からの補償と、国から新しい婚約の支援が約束されている。」そこまで語ったアレクシスはチラリとリアナを見て聞いてきた。
「聞かないのもフェアじゃないから再度確認だけど、僕を尻に敷いた結婚生活に興味は?」
「ありません!!!!!」
リアナの即答にアレクシスは笑いが噴き出した。
「これから君にも今後の希望を問う場が設けられる。自分の目で一連の事件を見れていない君に、僕から事前にちゃんと話をしておきたかったんだ。――君にとっては勝負の場になるかもしれないから。」
その一言から一変、真剣な顔に変わったアレクシスに、リアナも思わず姿勢を正す。
「よく聞いて。一つ、婚約破棄した女性は国から新しい婚約の支援が約束されている。」
「二つ、婚約破棄騒動を起こした令息は君の想い人の子息で、今は婚約破棄されて後継からも外されている。今は家のことについての発言権なんてないし、あの家に他に子はいない。新しい後継が必要になる。」
「三つ、君の想い人が亡き妻を思って再婚を拒んでいるという話。あれ嘘だよ。」
「・・・・・・・・・・えっ!?????」
黙って聞いていたリアナが思わず反応した。今自分にとって物凄く都合がいい話が聞こえた気がした。
「だからあの話は嘘。後継がもういるのに再婚なんてめんどくさいって本音を隠す言い訳。元から政略結婚で、妻に親愛はあっても恋情はなし。父から聞いたから間違いない。でも今回のことで後継不在になったから、これから再婚話を断れなくなるだろうね。」
リアナの目の色が変わった。今までは彼の隣に誰もいなかった。これからもそうだと思っていたのに、そうじゃないとわかった途端、激しい焦りに襲われる。そこにアレクシスの止めの一言が入る。
「早くしないと再婚、決まるかもね。」
「っ!!!!!」
リアナは思わず立ち上がった。誰かに奪われる。そんなの看過できるわけがない!!
今までは想いを告げたところで結果はわかりきっている。迷惑にしかならないと思っていたから隠しに隠してきたのだ。今なら想いを告げても問題はない。諦めていた告白が・・・できる!!!
そう結論が出た瞬間、リアナはすぐに動き出した。
「殿下、重ね重ねありがとうございます。いろいろ考えたいことができましたので、本日はこれにて失礼させていただきます。」
「いいよ。次は君の希望を問う場で会おう。」
振り返らずに早々に退室するリアナの後姿を、アレクシスは面白げに、そしてどこか寂し気に見送った。
静まり返った王宮の執務室。その場にいるのは国王、宰相、第三王子、そしてリアナの四人。重厚な机の上には何もなく、ただ彼らの視線だけが交差する。国王はリアナに向かって低い声で問いかけた。
「リアナ・エリンドール。王子との婚約について、君の意思を確認しよう。」
リアナは一呼吸置いてから、静かに言葉を紡いだ。
「……婚約は、破棄でお願いします。」
短い言葉であったが、その場にいた国王と宰相に衝撃を与えるには十分だった。レンティスは眉を寄せ、一瞬わずかに肩が落ちたように見えた。表には出さないが、落胆が透けて見える。
「そうか……」国王は残念そうにため息をつき、宰相に視線を送った。「レンティス、お前も楽しみにしていただろうに。」
レンティスは軽く目を伏せたまま、口元をかすかに引き締めた。彼はこれまで何度も、結婚後のリアナの能力が王宮でどう活躍するかを楽しみにしていると言っていた。それを知る国王の表情には同情がにじんでいる。
「王子よ、異論はないな?」国王は隣のアレクシスに確認を取る。
「もちろん。構いませんよ。」アレクシスは肩をすくめて軽く答えた。「お互い、恋愛感情なんてなかったんですから。」
王は満足そうにうなずく。「それならよい。」
リアナは一歩前に出て、国王と宰相に向き直った。
「新しい婚約について、国としてご支援いただけると伺っています。それは今も変わりありませんか?」
国王が穏やかな笑みを浮かべる。
「もちろん。君の希望にはできる限り協力しよう。」
レンティスも少しの間を置いてから、静かにうなずく。
「・・・私も、力になろう。」
リアナは礼をし、深く息を吸い込む。これが、今日の目的の核心だった。彼女は迷いなく歩き出す。一目惚れしたあの時、想い続けた初恋、その人の前で立ち止まる。
彼は彼女の視線に戸惑いながらも、そのまま見返した。
「初めてお会いしたとき、一目惚れしました。」
リアナは真っ直ぐな声で告げた。
「ずっと……ずっとあなたのことだけが好きでした。あなたに相応しくなりたくて、己を磨きました」
一瞬、時が止まったかのような静寂が場を包む。
「レンティス様――私と結婚してください。」
いつもの『宰相様』ではなく、初めてレンティスを名で呼んだ。
レンティスの瞳が見開かれ、完全に固まった。それは彼の長い人生でも滅多に見られない、予想外の表情だった。
部屋に訪れた静寂が、次の瞬間、爆笑に破られた。
「ははははっ! おいおい、これは予想外だ!」
アレクシスが腹を抱えて笑い出す。
「まさか、レンティスにこんな日が来るとは……!」
国王も声を上げて笑い転げる。
一方、レンティスは完全に固まっていた。自分があまりに驚き、何も言えずにいるのを自覚していたが、どうにも体が動かない。彼の様子を見て、王子と国王はさらに大きな笑い声を上げた。
「いやー、宰相がこんなに慌てる姿なんて初めて見ましたよ。」
アレクシスは楽しそうに肩を叩きながら言う。
「ずっと気に入っていたんだから、良かったじゃないですか?」
「……何ですと?」
レンティスがようやく声を絞り出す。
アレクシスはニヤリと笑い、「僕のことは気にしなくていいんですよ。宰相は、僕よりもずっとリアナを気に入っていたんですから。」と軽く言った。
その言葉に、レンティスの表情が一瞬で変わった。彼の目が大きく見開かれ、急激に顔が赤らんでいく。
「こ、これは……」
リアナと目が合った瞬間、その赤みはますます濃くなり、レンティスは視線をそらした。
その様子を見た国王は、またしても笑い声を上げた。
「はははっ! 下手な言葉よりもずっと雄弁だな、レンティス!」
リアナも、自分の胸の鼓動が速くなるのを感じていた。彼の反応が嬉しくて、しかし同時に緊張で顔が熱くなる。レンティスもまた、額に汗が浮かんでいるのが見えた。
彼らはお互いに赤面し、言葉を失ったまま立ち尽くしている。
「お互いに惹かれているのは明らかだな。」王は微笑みながら言った。「だが、肝心の本人たちだけが、それに気づいていなかったようだ。」
アレクシスが笑いをこらえながら付け足した。「宰相、早く答えを出さないとリアナが待ちくたびれますよ。」
レンティスは再びリアナの瞳を見つめ、深く息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……私で、良いのか?」
リアナは華が咲き誇るように微笑み、深くうなずいた。
「はい。あなたでないとダメなのです。」
それを聞いた瞬間、レンティスの表情に、ようやく安堵と喜びが浮かんだ。彼は優しく微笑み返し、リアナの手をそっと取った。
「……私も、君を愛している。」
その瞬間、彼らの間に漂っていたすべての迷いが消え去り、新たな未来への一歩が始まった。
国王と王子は、二人を祝福するように、再び朗らかな笑い声を響かせたのだった。
翌日の夜、王宮の離れにある静かな応接室で二人きり。
「……君と、改めて真剣に話がしたい。」
レンティスはリアナを前にそう切り出した。温かなランプの灯りが二人の表情を照らし、室内には静寂が漂っている。
「リアナ、あのときの告白を……軽率なものだとは思っていないか?」
彼の問いは真剣だった。その声に、慎重であろうとする彼の不安がにじむ。
リアナは微笑み、首を振る。「私の気持ちは変わりません。ずっとレンティス様を愛していました。」
レンティスは少し息を呑んだ。彼女の真っ直ぐな瞳が、自分の心の迷いを解きほぐしていくのを感じる。
「君の想いに応えることが、私にできるのだろうか?」
長年、理性と仕事に生きてきた彼には、恋愛は未知の世界だ。亡き妻とも政略結婚だった。それでも――この先を彼女と共に歩む未来が、なぜか恐ろしくはなかった。むしろ、それはどこか心地よい期待に満ちていた。レンティスにとっても遅い初恋である。
リアナはそっと彼の手に自分の手を重ねた。「できるかどうかではなく……一緒に歩んでみませんか?」
その一言に、レンティスの中の迷いは霧のように消え去った。
「……ああ。」彼は静かに答えた。「一緒に歩もう。」
その夜、二人はじっくりと語り合い、これからの人生を共にする決意を固めた。そして、数週間後、正式に婚約が発表され、二人は新しい関係を築き始めた。
それから数年後――。
家の庭園は、季節の花々で彩られている。レンティスは息子からの手紙を読む。婚約破棄された時はどうしようかと頭を悩ませたが、今では仕事で知り合った子爵家の令嬢のところへ婿入りし、それなりに幸せそうで安心している。
澄み渡る青空の下、小さな子どもの笑い声が庭に響き渡る。リアナは軽やかに笑いながら、駆け回る息子と娘を追いかけていた。
「ほら、もう捕まえたわ!」
リアナが息子を抱き上げると、彼はケラケラと笑いながら抵抗する。近くでそれを見ていたレンティスが、苦笑しながら寄ってきた。
「また母上に負けたのか、勇者殿?」
彼は息子の頭を優しく撫で、娘の手を取りながらリアナに微笑んだ。昔と変わらない端正な顔立ちだが、その目は以前よりもずっと穏やかだ。
「子どもたちと遊ぶのは、いつもリアナのほうが上手だな。」レンティスはふっと笑みを漏らし、手を伸ばして彼女の髪を一房、そっと耳にかける。
「あなたも少しは参加してくれないと、私ばかりじゃ大変よ。」リアナは肩をすくめながら冗談めかして言う。
「では、次は私が相手をしようか。」
レンティスは真剣な表情で言い、子どもたちが「お父様も遊ぶの?」と歓声を上げると、彼は穏やかな笑顔を浮かべた。
夕暮れ時、家族で食卓を囲むころには、子どもたちは疲れて眠りについていた。リアナとレンティスは、二人きりの静かな時間を楽しんでいる。
「こうして君と家庭を築けたことが、私の人生で一番の幸運だ。」
レンティスが穏やかな声で告げると、リアナは微笑み返した。「私も、あなたと一緒で本当に幸せ。」
「お互いに、ここまで来るとは思わなかったが……これからも、ずっと一緒だ。」
レンティスはリアナの手を取り、そっと口づけを落とした。その瞬間、彼女の胸には、言葉にできない幸福感が満ちていく。
月明かりが二人を優しく包む夜の庭園。リアナはレンティスの肩にもたれかかり、静かに目を閉じた。彼女の隣で、レンティスもまた穏やかな表情を浮かべ、彼女の手をしっかりと握り締めている。
「これからも、一緒に幸せを作っていこう。」
「ええ、ずっと一緒に。」
二人の未来は、もう何の迷いも不安もない。彼らは手を取り合い、新しい家族と共に、永遠に続く幸せな未来へと歩んでいくのだった。
物語は、温かな静寂の中で幕を下ろす――幸せな未来へと続く道の先に。
『想い続けた初恋 After ー 第三王子アレクシスのその後』
https://ncode.syosetu.com/n3178jq/
を別に投稿しています。ご興味ある方はこちらも合わせてお読みください。