穏
三題噺もどき―さんびゃくろくじゅうご。
目の前に大きな木が立っている。
「……」
風に吹かれて、枝葉が蠢く。
まるで生きているようにも見えて、気味が悪い。
「……」
こすれる音が、やけに耳にうるさく聞こえる。
人のささやき声のようで、どうも落ち着かない。
「……」
どこまでも広がっているように見える枝葉は、本当に終わりが見えない。
どこまでも、どこまでも、その緑を伸ばし、木陰を伸ばしている。
人が何人でも休めそうな、大きな木陰。
「……」
まぁ、ここから私が動けば、先に終わりがあることは分かりそうだけど。
あいにく動きたくもないし、その気にもなれない。
ここに立っているだけでも精一杯という感じがしている。
やけに体が重い。
「……」
なんとか、頭を後ろに倒して、首を折って、見上げてはいるが…tね。
終わりは見えない。
ホントにどこまでも広がっていそうだ。
「……」
見上げた姿勢のまま、止まる。
ここから戻すのも一苦労なので、一旦このまま休憩だ。
頭を上げるので、半分以上の気力と体力を使った気分だ。
ここまで体力やらなにやらが足りない方ではないはずなんだが。
「……」
今日は、やけに疲れる。
正直、視線一つ動かすのも大変に思える。まばたきひとつ、酷く疲れる。
呼吸ですら、しなくても済むなら、したくない。
「……」
ぼーっと見上げた先に写る葉は未だに蠢いている。
隙間から空でも見えるだろうかと思いもしたが、見えなかった。色違いの緑が一面を覆っていた。
―ならばこの漏れてくる光のようなものは、どこから来ているんだろうかと思いもするが。そんなことは別にどうでもいいのか。
「……」
どこかにきっと、太陽でもいるんだろう。
それに照らされて、この木はその根元に影を作っているし、葉の間から光が漏れている。
きっとそれだけの話で。単純に私の視界に入っているのが、緑一面というだけで。他のところにでも移動すれば青が見えるのかもしれない。
……残念ながら、動く気はないが。
「……」
んん、しかし……。見上げているのも疲れてきた。
首が嫌に痛むし、頭が重い。
この姿勢のままだと、ホントに呼吸が止まりそうだ。
ここに居る、在る以上は、呼吸はしないといけない。
そんな気がしている。
「……」
ゆっくりと、頭を戻していく。
ずきりと痛む首が、ギシギシと悲鳴を上げているようだ。
人間の頭ってなんでこんなに重いんだろう。
「……」
少しずつ、前へと折れていく首。
絞まっていく喉。
「……」
頭の重さは、前へと移動していく。
下げなくてもいいのだけど……首に真っすぐ乗せることができそうにない。
そのままでキープというのが難しそうだ。
何よりも重いのだ。
「……」
下げていく視線。
もちろん、地面が見える。
「……」
視線は上げない。
「……」
そこに人が倒れていても。
「……」
薄緑の雑草が生えている。
なんとまぁ、足元にはこれが広がっていたとは。
感覚が麻痺でもしているんだろうか……まぁ、余計なことに気力を使わなくて済むからいいかもしれないが。
「……」
木の根元。
少し盛り上がった土。
そのごつごつとした地面の上。
「……」
顔は白のレースでおおわれている。
着ている服も同じような、白。刺繍が施されている。
「……」
覆われている顔は、はっきりとは見えない。
人を判別する際に気にする、眼球のあたりに刺繡が集中しているせいだろう。
「……」
これをみて、パニックになりきれない自分が少し恐ろしい。
寝ているだけだろう……と思ってはいるが。しかし、これは明らかに……。
白い衣装に、白い布。
よく見れば、両手は体の上に重ねられている。
足元はよく見えない。
「……」
これが、誰なのか、私が知っているからだろう。
「……」
顔は見えないし。
こんな服に覚えはないけど。
それでも、私は知っている。
「……」
だからパニックにもならないし、淡々と状況を受け入れているのだろう。
これが何で、ここがどこで、何をすべきか、分かっているから。
「……」
すべきことは何もないけど。
ここで茫然と立ち尽くして。
これを、受け入れる。
または、上を見上げる。
それしか許されていないのだけど。
「……」
はぁ……。
全く。
ホントに疲れる。
首を動かすのもめんどくさい。
視線を逸らすのも面倒。
呼吸も止めてもいいと思えてきた。
心臓なんて既に止まっているんだから、それもいいかもしれない。
お題:木陰・パニック・レース