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8:未遂

 地下三階は増殖炉本体の監視・管理エリアであり、ナノマシンの生成状況や散布状況をモニタリングするためのコントロールセンターが設置されている。電源系統に異常があるのだろう、壁や空間を占めるモニターの大半には何も映らず、技術系の職員が残って復旧作業を進めている。透明人間はその横を素通りし、職員同士の会話を盗み聞く。どうやら下層部のナノマシン製造エリアや緊急停止システムにアクセスできないのは事実らしい。ただし、雨ケ谷が消息不明であることとテロの可能性については知らされていないのか、雰囲気に物々しさは感じられない。

 娘は更に下層へと潜入し、やがて地下六階の機関部に足を踏み入れた。広大な地下空間に鎮座する複雑怪奇な機械、それこそがナノマシン増殖炉だ。直径約一〇メートルの球体は黒銀色の硬質チタン合金で覆われ、無数のパイプと複雑な配線が表面を縦横無尽に走っている。内部の詳細な様子を窺い知ることはできないが、パイプには原料や冷却液が流れ、機械音が規則的なパルスを刻む。

 通路の先には管理コンソールが設置され、その正面に一人の青年が佇んでいる。年の頃は二〇代前半から中盤。どちらかと言えばスリムな体躯に、漆黒のプロテクター付きボディスーツを纏う。ただしナチュラルショートの黒髪と丸メガネという特徴は「猟犬」というより、文学青年といった風貌に近い。

 娘が「透明化(インビジブル)」を解除するより先、その存在を察した青年が振り返る。そして一見誰もいない空間に向け、ひょいと片手を上げて挨拶を送った。


「休日出勤とはご愁傷さま。オフは職場の近くに居るもんじゃないな」


 御厨は鼻と耳が利く。居場所を見抜かれた透架が、青い燐光を零しながらナノマシン活性を解除し、その姿を顕にする。それからアウターのフードを下ろして顔を晒し、人懐っこく笑いかけながら、青年の隣に歩み寄っていく。


「いやぁ、マジでそれだわ。今度からもっと遠くへ逃げないと……ってのはさて置き。もう片付いちゃった?」

「……君は呑気で羨ましいよ。生憎ちっとも大丈夫じゃなくてね、増殖炉みたいな大型機械は停止までに時間がかかるし、プログラムの読み込みもキャンセルできないときた」


 一歩間違えれば大災害という緊張感も、知った誰かがいるだけで不思議と緩和される。聞き覚えのある声にほっとしながら軽口を叩くものの、御厨の状況解説はあまり芳しくないものだ。増殖炉が不正プログラムを読み終えたら最後、超高速で有害ナノマシンが増殖し、周辺地域をたちまち汚染するだろう。ダメ元でコンソールのキャンセルキーを無造作に叩いたが、うんともすんとも言わない。どうするの、と言いたげな顔で透架は青年を見上げる。


「うわぁ。この辺一体、人が住めなくなるかもね」

「軽く言うもんじゃない。そうならないように働くわけさ」


 どこで聞かれているかわからない。不謹慎な発言を嗜めながら、御厨は首を振った。最悪の場合、周辺地域の住民は避難を強いられるし、場合によっては人的被害もあり得る。それは行政に対する不信や反発に繋がり、社会不安を引き起こす。そうなる前に水面下で食い止めるのが塵劫局(じんこうきょく)の職務だ。眼鏡の位置を整えながら御厨は司令部に通信を送る。


[『猟犬』より司令部へ。増殖炉の停止は不可能だ。隔壁による増殖炉の封鎖許可と、残る全職員に対し避難命令を出すよう要請する]


 増殖炉には様々なセキュリティが存在するが、最終防衛ラインとして一定の内圧がかかると強制停止する機構が組み込まれている。万一の際は増殖したナノマシンが増殖炉自身を圧迫することで停止する仕組みだ。さらに中央管理棟の地下四階は、さしたる部屋や設備がない代わりに大半が隔壁で構成され、こうした非常時に備えているというわけだ。

 数秒後、通信を受け取った司令部から封鎖の許可が下りた。サイレンが鳴り、警告灯が赤く点滅して退避を促す。増殖炉の封鎖まで残り一〇分というアナウンスが流れた。自分たちも長居はできない。娘はこれまで来た道を振り返りながら御厨に帰還を促すが、彼はレンズ越しに増殖炉を睨みながら呟いた。


「残ってる職員が退避してるか確認しつつ、君は先に戻れ。レデイーファーストだな」

「何それ、御厨さんは他にやることあるの?」

「君は足が遅いから、先に上がれと言ってるわけだが。俺も周りを点検したら切り上げるとするよ」

「失敬な。慎重なだけで、本気出せばまぁまぁ速いですぅ」


 そんな言葉を最後に己は御厨に背を向けて、軽快な足取りで階段を登り始めた。


 夢の中。何も知らない自分は呑気なものだが、それを追憶している透架は泣きたくて逃げたくて仕方がない。どくりと心臓が跳ね、左手が必死に義手を探す。変えられない過去、逃げられない事実。夢なら夢で知らない結末があればいいのに――。

 やがて透架の意思とは無関係に、夢の景色は地下3階へと到達する。既に無人となったコントロールセンターを見回っていると電脳に通信が届いた。声の主は自動音声でもオペレーターでもない、特務部の総責任者だ。


[緊急連絡。現時刻をもって技術部長・雨ケ谷はその職を解任。以降、これを特一級テックテロリストと認定。特務部は最優先で目標を捜索し、処分せよ――]


 技術部トップの離反とは穏やかではない。組織統治(ガバナンス)にうるさい塵劫局(じんこうきょく)からすれば、頭の痛いことだろう。その証拠に逮捕ではなく処分という言い回しが使われている。これは即ち「殺害」とほぼ同義だ。非公式組織とは言え、威信を賭けて始末するという意思が透けて見える。

 先程まで雨ケ谷は行方不明だった筈だが、事件に関与している新たな証拠でも出たのだろうか。娘は元来た道を感慨深く振り返る。地下四階は最も強固な最終隔壁だ。あとは御厨が戻ってくるのを待ち、封印を見届ければそれでいい。しかしこの話には続きがある。


[『無骸』に告ぐ。六〇秒後に最終隔壁が緊急封鎖される。可及的速やかに地上へ移動せよ]


 当初告知された封鎖予定時刻まで残り五分はあるはずだ。言われたことの意味がわからず、透架は蒼い瞳を瞬かせた。御厨が戻る気配はない。そもそも彼は封鎖時刻を正しく知らされているのか――?

 結末はわかっている。それでも縋るように、祈るように、音声を綴った。


[待ってください。まだ『猟犬』が残っています]

[その通り。奴は増殖炉の最下層で雨ケ谷の存在を感知した]


 「猟犬」――その名が示すとおり、彼は機動力に加えて尋常じゃない嗅覚と聴覚を持つサイボーグだ。心拍数や呼吸パターンといったバイオメトリクスから個人を探し出す技術に長けており、その精度は透架もよく知っている。故にその報告に誤りはないだろうし、雨ケ谷と断定して離反を報告したのも御厨だろう。しかし――。


[館内に告知されていた封鎖予定時刻まで、まだ猶予が……]

[雨ケ谷もそう思っているだろう。だからこそ「好機」だ]


 不意打ちで隔壁に閉じ込め、増殖した有害ナノマシンによって圧殺する。司令部は是が非でも雨ケ谷を殺すつもりだ。それも確実かつ外部に漏れない方法とくれば、塵劫局(じんこうきょく)の体面も守られ都合がいい。だが増殖炉には御厨がいる。それが意味することを察し、透架は震える声で尋ねた。


[『猟犬』を……捨て駒にする気ですか?]

[聞こえなかったか。可及的速やかに地上へ移動しろ]


 難しい質問をした自覚はある。こんな仕事をしていれば、任務によって殉職や自己犠牲を要求される場面はあるし、透架自身も死ねと言われれば死ぬものとして生きてきた。

 だが疑問に対して命令で返された瞬間、言いようのない怒りに駆られた。警察や軍隊といった組織では上位下達が絶対であり、塵劫局(じんこうきょく)もまた同様だ。だが、御厨を捨て駒にすることへの問題提起を、取るに足らないことのように扱われたのはどうにも我慢がならなかった。

 ふざけるな、ばかやろう、くそったれ。懲罰など存分に食らってやる――沸き上がった怒りを奥歯で噛み殺しながら透架は踵を返すと、最短ルートを全速力で走り抜け、地下四階へと続く通路へ差し掛かった。電脳内に響く上長の罵声など知ったこっちゃない。

 上下から迫るタイプの分厚い隔壁が既に七割近く閉まっている。何が六〇秒だ、畜生。迫る隔壁をこじ開けるべく、右腕を真っ直ぐに突っ込んだ。この期に及んで御厨と共に帰還できる見込みはない。そもそも鈍重な隔壁を持ち上げられるかすら分からない。それでも切り捨てられる彼を一人にしたくなかった――。


 絶叫と慟哭。


 肉も骨も構わず、肘から先を喪失したショックで吐き気が止まらない。右腕の断面から溢れ出たものが、足元に赤い泥濘を作り出していく。そのぬめりに靴底をとられて跪き、額を隔壁に叩きつけた。

 叫んでいるのは「彼」の名前か、単なる悲鳴か。言葉にならない激情をぶち撒け、焼き切れた五感が遠のいていく。


 義憤、懇願、絶望。

 嗚咽の中で意識が沈む。行かなきゃいけない。壁の先には、御厨がいる――。

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