7:軀の微睡
[司令部より『無骸』へ。緊急事態発生。現時刻を以て待機時間を終了し、任務を再開せよ]
無機質な合成音声が電脳に届いた。冬の緋桜市。個人経営の店がひしめく夕刻の商店街。揚げたてのコロッケ目当てに惣菜屋の行列に紛れていた脳の主は、ため息交じりに列を離れて道端へと歩いていく。司令部からの緊急通信は何をしようと強制的に受信される。こちらが休日だろうとお構いなしだ。
[こちら『無骸』。任務再開、了解]
応答は合成音声よりもそっけない。人の流れから外れてラフな仕草でフードを被る己に、司令部は淡々と任務内容を告げる。人の休みを削るなら、少しは申し訳なさそうにして欲しい。
[至急『無尽桜』へ移動してください。『無尽桜』は現在、ナノマシン増殖炉に不正プログラムの混入が疑われています。有害ナノマシンの接触、感染に注意しつつ状況報告をお願いします]
……それってめっちゃ、やばくない?
漏れかけた呟きを一呼吸置いて飲み込んだ。これは夢だ。いつもの夢だ。お決まりの結末とわかっていて付き合う理由はない。こんな時は一旦起きて眠り直すのがいい。この景色は過去のこと。不正プログラムの心配をしたって無駄だ。この夢に遭遇したら、透架は義手の質感を確かめることで悪夢を中断してきた。過去の自分には右腕がある。そのギャップを認識すれば、夢は輪郭を保てなくなる。
しかしここで誤算が生じた。左手の指先が宙を掻き、夢と判っていても映像が止められない。透架はメンテナンスで義手を外したことを後悔した。とりわけ薬の回った頭では覚醒など許されない。
『無骸』と呼ばれた自分は、電脳内に立体地図を展開して現地の座標を確認している。やがて身を翻すと、コロッケの素朴な匂いに後ろ髪を引かれながら、黄昏時の裏路地へと進路を変えていった――。
遺伝子工学やナノマシン技術の進歩は人類に様々な恩恵をもたらす一方、倫理や道徳に反する技術研究も横行するようになった。国家運営AI「アマツ」はそうした技術を人類滅亡に繋がる「禁忌テクノロジー」に指定し、一般社会には知られないよう水面下で取り締まっている。
透架が属する「塵劫局」はそうしたテクノロジーが適切に運用されるか監視し、問題があれば摘発する情報機関である。構成員の大半はサイボーグで占められ、電脳による高度な情報処理能力に加え、強化・改造された各種能力を駆使して任務に携わっている。
そんな塵劫局の来歴は定かではないが、鎌倉~室町期に成立した忍者集団・塵劫衆を始まりとする説が有力だ。その名残か、構成員は忍術や剣術といった武芸十八般を現代風に改良した戦闘プログラムを駆使し、嘘か真か海外の情報機関からはテックニンジャなどと呼ばれているらしい。
塵劫局の中でも特務部は多忙を極める。表に出ない情報を取り扱い、破壊工作や暗殺といった汚れ仕事も引き受ける。事あるごとに呼び出され、ひたすら滅私奉公するダークでブラックな職場。まともな休暇などありゃしない。忍者が黒いのは今に始まったことではないが、せめてコロッケくらいは食わせてほしい。裏路地から人目につかないルートを走り、夢の自分は指定の場所へと急ぐ。
行き先は「無尽桜」。元は普通の桜並木だったが、サイボーグ化することで開花期間を初春から初秋まで伸ばし、植栽管理の手間を従来の二〇パーセントまで省いた代物だ。散らない桜に風情があるかは兎も角、新たな観光地として積極的な広報活動が行われている。ここに組み込まれたのが温暖化問題を緩和するナノマシン増殖炉とその散布設備だ。制御に問題があると囁かれつつも、試験稼働に成功すれば世界初のジオエンジニアリング設備として大きな注目を集めると話題になっている。
[無尽桜の試験稼働は今夜ですよね。不正プログラムの混入って、外部からハッキングでもされたんですか?]
たどり着いたのは「無尽桜」の中央管理棟。日没を迎えた空が赤く染まり、非常階段のてっぺんで小さな足音が響いた。周辺の空気が僅かに揺らぎ、「透明化」で隠されていた透架の姿が浮き彫りとなっていく。司令部に問いかけてからのレスポンスが遅い。非常口の施錠が解除済みであることを確認していると、人工音声とは違う生身のオペレーターから歯切れの悪い応答が届いた。
[稼働中の増殖炉はリアルタイムで監視され、異常があれば安全装置によって停止します。しかし現在はモニタリング機器に不具合が生じており、状況が把握できていません]
「透明化」を解除した透架は非常口のドアノブに手を伸ばさず、訝しむような口調で問いを重ねる。
[状況不明の増殖炉に、不正プログラムが混入したことまでわかるんですね?]
単にモニタリング機器の不調なら事故と言っていいだろう。しかし、何者かによって悪意のあるプログラムが持ち込まれ、有害ナノマシンが広範囲に散布されるとすれば、これは立派なナノマシン兵器だ。事故とするには無理がある。再び迷うような間を置いてから、返答が届く。
[実は早朝から雨ケ谷部長と連絡が取れていません。未明に彼のアカウントから無尽桜のアップデートプログラムが更新されているのですが、元々そんな予定はなくて……]
塵劫局の技術部長・雨ケ谷。透架との面識は浅いが、サイボーグにナノマシンを組み込むことを発案した優秀な技師であり、塵劫局で稼働する全サイボーグの父親と言ってよい存在である。その人物が失踪し、アカウントがおかしい動きをしている――これがどこまで本人の意思かは兎も角。大規模テロの恐れがあるとすれば、オペレーターの困惑もさもありなん。特務部が緊急招集されるのもごもっともというわけだ。
とは言え、数分前まで非番だった透架にテロリストとドンパチやるような装備はない。厄介なことになったとボヤきながら、冬の空気を肺に流し込んで頭を働かせる。それから「透明化」を纏い直して空気に溶け込み、建物の内部へと足を進めた。
中央管理棟は地上三階、地下七階から成る円筒状の構造物だ。一般職員の大半は退避したのか、地上階に人の気配は少ない。建物の中央は地上三階から地下三階まで見通しの良い吹き抜けとなっており、それぞれの階で鋼鉄製の通路がランダムな角度で立体交差するように横切っている。
[こちら『無骸』。上層部は問題ありません。これより中層部の管理エリアを調査します]
[既に『猟犬』が先行して下層部に到着しています。合流後は『猟犬』の指示に従ってください]
透架自身、最速で到着したつもりが、それより先に来ていた存在に驚いた。『猟犬』――本名は御厨格。透架にとっては特務部の先輩にあたる。




