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32/33

32:傷つき、汚れ、それでも。

 打撲と裂傷で全身が痛い。失血で目が回る。煉瓦色の髪が解け、瞳の光が揺らいでも、少女は顔を上げて戦意を滾らせる。

 正直なところ「戦闘狂(ブラッドクレイズ)」の最大出力で雨ケ谷を殺せる確証は無い。彼が言うように無駄死にに終わる可能性も高いと思っている。なのに――満たされている。

 「戦闘狂(ブラッドクレイズ)」が作り出す脳内物質の効果だろうか。かりな自身、この多幸感はよくわからない。それなら苦痛すらわからなくなっても良さそうだが、あいにくと痛いものは痛い。

 やがてかりなは走り出し、機械刀を八双に構えて飛び込んでいく。限界まで消耗しきった今、テクニカルな駆け引きなどできやしない。雨ケ谷の残る四本腕をどう捌くか――? 袈裟懸けに放った一撃が弾かれても、その踏み込みは止まらない。だが右インパクトナックルによるカウンターがかりなの腹部を待ち受け、ボディスーツのプロテクターごとその肋骨が砕かれる。

 鉄錆の味が広がり、額に汗が滲む。高周波発生装置の威力に膝が笑いそうになるが、かりなは踏み止まって刃を返すと、残る機械腕の片方をその付け根から切り飛ばした。攻撃を喰らいながら反撃する――圧倒的な耐久力を持つならまだしも、今のかりなでは自壊しながら差し違えに行くようなものだ。だがその傷と引き換えに、少女のナノマシン活性は鮮烈に輝き、もう一本の機械腕も太刀筋が触れただけで弾け飛ぶ。

 苦悶の中に死が翳る。男の右拳がかりなの顔面を吹き飛ばそうとした瞬間、少女は突如腰を落とす――体格差を逆手にとったダッキング。頭部のあった位置を拳が掠め、かりなは雨ケ谷の懐に潜り込む。


「ちぃッ!」


 凶刃が閃くたびに、鋼鉄製の機械腕が滑らかに切り刻まれる。これには流石の雨ケ谷も怖気を覚えたのか、砕いたばかりの肋骨を抉るように前蹴りを差し込み、互いの距離を取り直そうとする。


「っ……ぐァっ、ふ……!」


 衝撃に肺腑が潰され呼吸が詰まる。身体がくの字に折れ、両足に力が入らない。これ以上は進めない。だが、倒れるのは今じゃない。

 かりなの腹部に捩じ込まれた蹴り足を、片腕で抱えて全力で引き込む。片足立ちとなった雨ケ谷の態勢を崩す最後の機会。命を削りながらのゴリ押しを重ねて、金城鉄壁のガードをこじ開けた瞬間――刀身を横に伏せ、地面を踏み締めながら一点突破の刺突を放つ。

 燃えるように輝く刃が胸郭の隙間を潜り、雨ケ谷の心臓を的確に貫いた。その先にあるのは――小型増殖炉。


「一日に二度も心臓を潰されるのは堪ったもんじゃないな……!」


 後先を考えない捨て身の一撃に「生命の井戸」の回復力が抗う。赤と白の輝きが激突する中、かりなの怒号が響き渡った。ボディスーツの止血機構が負荷に耐えきれず、抑え込んでいた傷口から霧のような鮮血が吹き出す。電脳に届くバイタルデータが赤い警告アラートを発し、各種指標が急速に低下していく。

 これでいい。

 勲章よりも、賞賛よりも、評価よりも――どん底で差し伸べられた手に報いたい。他者から必要とされなかった人生の中で、何よりそれが嬉しかった。


                   ※


 突き出した義手の手首部分がスライドした。露出した射出口にはアンカーではなく、凶猛な金属爪を備えたグラップリング型のフックが見える。狙いはかりなの背中越しに存在する小型増殖炉。あとは電脳からニューラルインターフェース経由で信号を出してトリガーを絞るだけだが、そこで透架は逡巡する。

 一度射出したフックは瞬時に最高速へと到達する。その制御を誤れば、かりなを撃ち殺してしまう。心拍数が増加して冷や汗が止まらない。右腕が小さく震えたのを切欠に、全身が戦慄に飲まれそうになる。

 落ち着け。狙撃時は心臓の鼓動すら制御に影響する。電脳から全神経に鎮静プログラムを流し込み、ワイヤーフックの射出タイミングを待つ。


 壮絶な死闘の中、かりなの號び(さけび)が聞こえてくる。


 早く。焦るな。急がないとかりなが死ぬ。なのに狙いが定まらない――。

 その迷いを追い詰めるように、鋼の悲鳴が響き渡った。エネルギーの奔流に機械刀の刀身が耐えきれず、中程からへし折れる。


「よく粘ったが、これが限度だな……!」


 雨ケ谷が勝利を宣言する。男は破顔しながらかりなの頭を鷲掴みにすると、身長差を用いて軽々と吊し上げた。透過の双眸が白い不死者を睨む。


 負けちゃいない――自分はまだ、生きている。

 生き汚い者の、言葉にならない咆哮。

 そして。


 館内の空気を震わせて、最大出力のワイヤーフックが開放された。射出口へ繋がるバルブに圧縮ガスが流れ込み、反作用で全身が仰け反るのを辛うじて踏み止まる。さらにワイヤーを通じて、超高速で飛翔するフックの座標計算とナノマシン活性の同時処理を敢行する。

 頭が割れそうに痛い。爆発的な計算量に電脳がパンクしそうになるのを、奥歯を噛み込んでひたすら堪える。

 しかしフックが後輩の背中に到達する寸前――透架の義手から先端に連なる紫紺の光が揺らぎ、狙いを定めていた視界が二重三重にぼやけた。まずい。不意にこめかみの血流が冷たくなり、限界を迎えた電脳で思考と記憶のザッピングが始まる。冗談じゃない。よりによってこのタイミングで電脳の再起動など――。


 鉄とコンクリートの地下施設

 悪意あるプログラム 赤い警告灯

 警報 最下層 鈍重な音 有害ナノマシン 閉ざされた隔壁 地面を掻く指先 起きろ 掻き毟られる粘度のある液体 欠落した右腕 誰かが近づく足音 帰らぬ人 命令 覚束ない平衡感覚 重い瞼 隔壁の先


 共に戦い 共に傷つき 互いの明日を約束する。


 時間にしてゼロコンマ秒以下の世界。

 ナノマシン活性が喪失したフックに、突如雷光のような輝きが爆ぜた。


 未解明活性現象「不可触(アンタッチャブル)」。

 物体透過の能力によって、かりなの背中をすり抜けたフックは雨ケ谷の胸郭へと突き進む。そして鋼の顎だけが実体を伴い顕現し、小型増殖炉へと喰らいついた。かりなの一撃によって炉の出力は大幅に低下しており、義手内部に搭載されたリールが、炉本体を引きずり出すべくワイヤーを高速で巻き取っていく。

 しかしこの期に及んで雨ケ谷の胸部は回復を続ける。炉を引き抜くどころか、ワイヤーの張力によって透架本人の体躯が引きずられそうになった。必死で地べたに食らいついて抗うものの、あるタイミングで巻き取りが停止しリールが空回る。一定以上の負荷で発動する安全装置の一種だが、今の透架にこれ以上の手札はない。

 雨ケ谷は呻きながら握力を強め、吊り上げられたかりなの背中がびくりと震えた。


「俺の勝ちだ」


 炉さえ奪えば勝てるのに、伸ばしたこの手は届かない。あの日と変わらぬ情景を前に、額を床に叩きつけた。自分のために戦ってくれる人がいる。腕なんて何本失くしてもいい。

 血と涙に塗れた既視感。絶望の中、叫んでいるのは誰の名前か、単なる悲鳴か――。


 銃声。


 がくんとした手応えと共に安全装置が解除され、回転力トルクを取り戻したリールがワイヤーを再び貪り出す。雨ケ谷の胸郭が生々しく軋み始める。おぞましい音と共に周囲の血管や筋繊維を引きちぎりながら、小型増殖炉が徐々に引き抜かれていく。

 闖入者の出現に透架は顔を上げた。視界に入ったのは、脳天にできた銃傷から血液と脳漿を噴出させた雨ケ谷の姿。男は物言いたげに唇を震わせるが、そこに意味のある音は無い。

 狙撃の主は吹き抜けを通じて降りてきた小型ドローン。透架とかりなが死闘を繰り広げていた最中、音もなく潜んで機会を窺っていたのだろう。放たれた弾丸は頭頂から正中線に連なる軌道を進み、雨ケ谷の脳から頚椎を巻き込んで脊柱を破壊した。


「ああ、寒ぃ……なんだってこんな日に出かけなきゃいけねえんだ俺は」


 凄惨な光景とは対極の怠惰な愚痴が聞こえる。ドローンの後を追うように階段を降りてきたのは、目元をバイザーで隠した小太りの中年男。その手には総金属製のアタッシュケースが握られ、手首と取手が手錠で繋がれている。

 何が起きたのか理解が追いつかない雨ケ谷は、首だけをぎこちなく回して声の主を追う。


「貴様……」

「どうした、早く治せよ? 脳が壊れても知らねえぞ」


 頭頂から滴る血液が雨ケ谷の顔にいくつもの赤い筋を描く中、「生命の井戸」による再生ナノマシンの提供が急速に減衰していく。致命傷が本物の死をもたらそうとしている今、唐津の挑発じみた物言いに応じる余裕はない。雨ケ谷の姿勢が大きく傾ぎ、四肢の末端から力が抜ける。その握力も失われ、解放されたかりながその場に放り出された。


「ふざ……けるな、ここで死んだら俺は、何の……ために……」


 息子を救うべく倫理に背き、禁忌に魂を捧げた男である。悲願を果たさぬまま死を受け入れるなどあり得ない。雨ケ谷にとって小型増殖炉は唯一の希望だ。どれだけ臓物が溢れようと、炉だけは自身の胸郭へ押し戻そうと足掻く。呪詛の如き呻き声を上げながら抗うこと暫し、やがて二本の足で立ち続けることもできずに崩れ落ちる。

 その正面に立った唐津は、真っ黒のバイザーで雨ケ谷を眺めた。


「じゃぁな、同期の桜。あの世で倅を大事にしろよ?」


 続いてバイザーの向きが変わる。散々泣き喚いて目を腫らした透架に、無機質だが確かなアイコンタクトが届いた。


 ――お前の仕事だ。


 意識はクリアだ。眠気も無い。腕力も技術も感情も要らず、ただ義手内部のリールを動かすだけの透明な殺意が執行される。

 引き摺り出される圧力に耐えかねて、雨ケ谷の胸郭が破壊的に開放された。こびりついた血液や肉片を散らして小型増殖炉が宙を舞い、透架の右掌へと収まる。医療用シリコンで表面を覆われた、再生ナノマシンを生成するための塊。雨ケ谷という主人から切り離されたことでプログラムが停止し、鼓動とも駆動ともつかぬ活動が停止する。

 忙しなく点滅していた雨ケ谷の機械眼から徐々に光が失われ、所在なく藻搔いていた手足の動きが鈍っていく。幾度となく見てきた、死にゆく者の姿。

 赤い泥濘の中、男は「不死」を失い、溺れるように絶命した。


 唐津は手首に連結したアタッシュケースを開くと、透架から預かった血濡れの小型増殖炉を放り込んで施錠した。


「一〇時四七分。目標の封印、並びに特一級テックテロリスト・雨ケ谷滲の死亡を確認」


 人は死ぬ。いなくなる。それは覆せない真理だ。だからこそ後悔しないように生きる。後悔とは烙印だ。その痛みが薄れることはあっても、無くなることはない。

 かつてこの場所で、大切な人がいなくなった。芹沢透架(せりざわ・とうか)はその烙印を抱えて生きていくのだろう。今までも、そしてこれからも。


「……唐津さん」

「ひでぇザマだが、休みは終わりだ。中々出勤しねぇから、迎えに来ちまった……帰るぞ」

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