31:この戦意を捧ぐ
落下の慣性を乗せた刃が、雨ケ谷の頭蓋を真っ向から叩き割ろうとする。男は咄嗟に身を翻し、リーチの長い機械腕を振り回すことでこれを迎え撃つ。
しかし両者のシルエットが交錯した直後、雨ケ谷の絶叫が響き渡った。脳漿をぶち撒けることは免れたものの、乾坤一擲の斬撃は二本の機械腕を容赦なく切り飛ばし、彼の右肩から斬り込んだ刃は胴体の中程にまで到達する。
「貴様……ッ!」
思わぬ乱入者に雨ケ谷はたじろぐものの、咄嗟に自身の両手を組んで振り下ろす、俗にダブルスレッジハンマーと呼ばれる打撃で応戦する。かりなはサイドステップで反撃を往なしながら、手首を返して刃を引き抜く。刀身にまとわりついた鮮血が弧を描いて周囲に撥ねた。
一連の事態を透架は呆然とした面持ちで眺めている。どうしてここが判ったのか、どうしてここに来たのか。雨ケ谷と透架の間を遮るように、かりなは自らの身体を割り込ませた。透架から見えるのは後輩の背中だけ。聞きたいことが言葉にならず、掠れた声で呟いた。
「なんで……」
「また明日って言ったじゃないですか」
戦ってくれる人――塵劫局という組織において、今の透架に加担するのはリスクでしかない。内心で御厨の言葉を復唱し、涙が溢れそうになる。一方で縦裂きになりかけた雨ケ谷が白い発光体を纏いながら再生を開始する。
「廃工場以来だな。お前が来たということは、高峰を始末したのか」
「……まぁ、そういうことになりますね」
「十億の女も驕りには勝てんか。できる新人なら司令部の覚えもいいだろう」
「ありがたい事に、今は職場に恵まれてまして。大きな仕事を任されるのは、やりがいがあって楽しいですよ」
配備一ヶ月の新人で特一級の犯人を挙げる機会など中々ない。揶揄と本音を交えながら、かりなは機械刀の切っ先を雨ケ谷に突きつけた。その全身で赤い発光パターンが猛る炎のように揺らめいている。
活性プログラム「戦闘狂」。ストレスや負傷の程度に比例して活性レベルも変動するが、透架の見立てでは既に臨界点近くまで到達している。即座に大火力を叩き出せる反面、それだけの深手を抱えていることも意味する。
「それはいい。ついでに裏切り者の処分もどうだ? 職場の腐敗を正したということで、場末の支部から栄転するかもしれんぞ」
「悪くないですね。ここに一年近く逃げ回っている奴がいるみたいですし」
「口の達者な若造で何よりだ……だが高峰を相手にして無傷というわけでもあるまい」
頭から爪先まで値踏みするようにかりなを眺めていた雨ケ谷は、近くに転がっていた透架の苦無を拾い上げると、手首のスナップを効かせて少女へと投げつけた。
その苦無はまずい――透架の目に動揺が浮かぶ。雨ケ谷に使ったものと同様、衝撃によって爆散する仕込みが為されている。しかしかりなは透架の前から動こうとせず、冷静に苦無の軌道を見極めながら無言で機械刀を構えた。
「かりな! 避け……」
透架の警告が届くより先、甲高い金属音が響いて火薬が炸裂した。幾許かの間を置いて硝煙の臭いが立ち込め、かりなの足元に赤黒い血溜まりが広がっていく。身動きの取れない透架を庇い、苦無を刀身で弾き返そうとしたのだろう。その代償として飛散した刃は間近にいた少女の皮膚を裂き、筋肉に食い込み、あるものは骨を抉る位置まで到達する。激痛を噛み殺して顔を歪めたかりなの様子に、雨ケ谷は透架を指差しながら告げた。
「そいつの仕込みだ。特務部の連中は中々面白い暗器を使う。教わってなかったか?」
「初めて知りましたが、思ったほどではありませんね。一つも貫通してませんけど」
不敵な面持ちで言ってのけた少女は刀を回して構え直す。私服の下に着込んだ戦闘用ボディスーツは自己修復機能を搭載するほか、着用者のダメージを検出すると、戦闘続行に影響の無い範囲で繊維が収縮して止血する。
しかし連戦に伴い、相応のダメージが蓄積しているのは否めない。明らかに虚勢と知れる態度を前に、雨ケ谷は喉を鳴らして笑う。それから、かりなの後方で歯噛みする透架を赤い機械眼で一瞥した。
「その動体視力なら避けられんものでもなかろうに。献身的で可愛い後輩じゃないか、なぁ……『無骸』?」
――試しやがった。
かりなの忠実さも、動けない自分を庇うことも、全て知ってて。
激情が止まらない。
食いしばった奥歯が砕けそうな音を立てる。
吐きそうな程の憎悪。
ありったけの力を込めた義手がコンクリートの床を殴打した。重く鈍い打撃音が炸裂し、周辺空間に反響する。
雨ケ谷が言うように、廃工場で見せた身のこなしがあれば、あれしきの飛び道具など余裕で回避できたはず。それをしないのは苦無の軌道上に透架が居たからだ。
骨の数カ所が逝かれたのか、激痛が熱となって全身に回る。だが、それよりもずっと心が灼ける――絞り出した声が震えて視界が滲んだ。
「いいよ、かりな……もう十分だから……」
驚いた少女が肩越しに振り返る。その背中すら正視できなくなった透架は、己の表情を隠すように俯いた。その様子を見たかりなは困ったように笑いかけ、それから再び前を向いた。
「何言ってるんですか。私はまだまだやる気ですけど。そもそも、迷惑くらい好きなだけかければいいじゃん……って言ったの、先輩ですよ?」
雨ケ谷の小型増殖炉は健在だ。こうしている間にかりなが与えた傷も回復が進む。断ち落とした機械腕の再生は難航しているようだが、胴体の傷は七割がた塞がっている。
満身創痍だろうと戦意を示すかりなに、雨ケ谷は呆れを隠しきれない様子で告げた。
「あれを食らってまだやる気か。頑丈なやつだ」
「あなたほどじゃありませんよ。これでも動脈や腱、主要な臓器だけ維持すれば、限界まで動けますけど」
「大した根性だが、消耗戦になれば勝ち目はあるまい」
「どうでしょう。私に搭載された『戦闘狂』は理論上、所持者が死ぬ直前に最大火力を出すと聞いています。どちらが先に死ぬか、試してみますか?」
命と引き換えに最大火力をぶち込む。
死を賭けたチキンレース宣言に流石の雨ケ谷も黙った。正気かと問いたげな沈黙を経てから、男はかりなを指し示してみせる。
「その活性プログラムは、ナノマシンが生成した脳内物質で肉体のリミッターを外す代物だ。お前が言う理論上の話は間違ってはいないが、実際の生命はそんな都合のいいものじゃない。限界値を超えた身体能力をお前の素体が耐えられるか? 過剰な脳内物質によって電脳が変質し、廃人になるリスクもある。止めはしないが、無駄死にしても知らんぞ」
「ありがたい御高説ですね。あいにく、手段を選べる立場じゃないもので」
そうは言ったものの、最早かりなに余力はない。実のところ亜夜乃からの連戦で立っているのがやっとの有様。良くてあと二、三太刀が限界だ。白い異形のシルエットを眺めながら、視線を伏せたかりなは、電脳の中で祈るように声を綴る。
[先輩……やつの増殖炉ってどこにあるかわかります?]
[心臓の裏側。ごめん、あたしが巻き込んだせいで]
[了解。謝ることはないですよ。後悔したくないから来ただけなので]
後悔したくないなんて、どこかの誰かじゃあるまいし。
動くたびに身体のどこかしらが軋む。透架はやっとの思いで上半身を起こすと、義手内部の空カートリッジを排出した。水滴と霜を払う指先がかじかむ。それからワイヤーアンカーが巻き取られているのを確認すると、左手をアウターの内側に突っ込んで最後のカートリッジを掴み取った。懐の奥、最後の熱が込められたそれ。
[ごめん、かりな]
[だから謝らな……]
小気味よい音と共に再装填が完了する。膝から下が壊れている以上、立ち上がることは難しいが、伏射であればなんとか動ける。義手に左手を添えると、突き出すように構えて狙いを定めた。そのターゲットは――。
[一緒に……死んでくれる?]
隣で戦ってくれる人を置き去りになんかしない。
そんなつもりで投げかけた言葉は、思えば迷惑千万な誘いである。
かりなの返事はない。その代わり、ちょっとだけ笑う声が聞こえた。




