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3:青く深く透き通った墓標

 お前の過去を知っている……と言いたげな口調にも苛立ちを禁じえない。猪狩との面識などない。つまり誰かから吹き込まれたのだろうが、ぼんやりした無表情をぎこちなく笑わせたような人相は、顔の良し悪しを通り越して不気味極まりない。


「生憎、あんたの顔に覚えがないわ。言っとくけど特務部なんかとっくに離れてるし、古い情報をドヤ顔で言いふらすのやめてくれない? あと、かりなは別にあたしの部下じゃないから」


 右目に流れ込んだ機械油を忌々しげに拭いながら男の反応を窺う。情報は古いが、決して間違ってはいない。

 かつての所属部署である特務部は、塵劫局(じんこうきょく)の中でもいささか特殊だ。所属隊員のコードネームなど、上層部でなければ知らない情報を何故言い当てたのか。その疑問に答えるように、男はあっさりと名乗った。


「それは失礼。他人の身体を借りていれば、誰か判らんのも当然か。雨ケ谷だ……元とは言え、属する組織の幹部ぐらいは覚えているだろう?」


 こめかみの血管がどくりと脈打ち、今度は透架の顔から表情が消えた。

 雨ケ谷滲(あまがや・しん)。一年前にある事件を起こして塵劫局(じんこうきょく)から離反した元技術部長の名。事件そのものは当日中に解決し、その際に死んだと報告されているが、実のところ死体は確認できていないという。

 だが、何よりもその事件は――。

 内心のざわつきを隠すように、透架は敢えて軽妙なトーンを演じてみせる。


「盛大な背任をやらかして、即日行方知れずになった雨ケ谷さん……ならまだしも、直属でもないお偉いさんなんて一々覚えてらんないわ。今日はゾンビの研究? それとも増殖炉のミニチュア製作?」

「両方だ。この身体には小型増殖炉のプロトタイプを仕込んでいる。お前相手にここまで動けるなら上々だな」

「うっわ、悪趣味。もしかしてこの人、最初から死んでた?」


 小型増殖炉のプロトタイプ。具体的な性能はさて置き、体内でナノマシンを高速生成することにより、運動性能や情報処理能力を底上げしていると見ていいだろう。

 揶揄混じりに肩を竦める透架に、歪な表情の男は酒に焼けたようなしゃがれ声で応じる。


「いい観察力だ。電源を入れてお前たちの追跡を誘い、途中で電源を切り、それからまた入れ直したと言えば判るか?」


 それはもう、ゾンビと言うよりラジコンだ。

 特務部にいた頃から、雨ケ谷のことはよく知らない。部署も役職も離れ過ぎている。よって見かけたことはあれど、言葉を交わしたことは殆どない。しかし、今ここで雨ケ谷を名乗る肉体は、発声の癖一つとっても彼本人とは別物だ。

 透架は首を傾げながら猪狩を指差してみせる。


「その割には生前の雰囲気も感じるけどね。記憶の外部保管でもしてるの?」

「こんな奴の記憶を保管してどうする? だが例えばの話……これで死者が蘇るとしたら、中々夢のある話だと思わないか?」


 死者が蘇る――その言い回しを受け、透架の聴覚を借りていた唐津から苦々しい呟きが届いた。


[増殖炉を禁忌に転用したのか。どうりで……]


 禁忌テクノロジー「反魂(リザレクション)」。

 塵劫局(じんこうきょく)が禁じる技術は多々あるが、最も厳しいのが「生命に関するもの」である。

 例えばこの「反魂」。その名の通り、一度死んだ者を甦らせる技術と定義され、古今東西の神話でお馴染みの奇跡だ。しかし物語における結末はいずれも失敗に終わり、ハッピーエンドを迎えたものは何一つない。まるで死は真理であると受容させるための物語。なぜか?

 社会から死が喪われることは、人が生き物であることを否定する。それは既存の秩序を著しく覆してしまう。

 例えば死がなくなれば、刑罰としての死刑が意味を失う。人口は増えるばかりで、子孫を残す理由もなくなる。また、こうしたテクノロジーが一部の資産家や権力者に集中した場合、社会の混乱と反発を招くのは自明だ。

 こうした事態を未然に防ぐのが塵劫局(じんこうきょく)の使命である。人類はあくまで社会的生物として発展と幸福を追求する。その枠に収まらない技術は人類を滅ぼす前に封印する――二〇七〇年の社会は、こうしたコントロール下で運営されている。


[現時刻より目標・猪狩は消滅。消息不明のテックテロリスト・雨ケ谷滲の存在を確認……潮時だな。触媒の回収が難しい以上、無理にリスクを負う場面じゃない。撤退しろ]


 本来なら雨ケ谷を始末すべく躍起になるところだが、唐津からの指示は冷静なものだった。パレットの雪崩に巻き込まれたかりなも意識はあるのか、ノイズ混じりの電脳通信で応じる。


[ですが、ろくに交戦もせずに引き下がるのは……]

[小型とは言え増殖炉のエネルギー出力を侮るな。透架、かりなを連れて引……]


[おい、透架?]


 電脳に流れてくる音声が遠い。既に透架の頭は眠いを通り越し、脳髄が削られるような痛みを訴えている。聞こえてるよと言いたいが、身体がついてこない。わかっている……奴の気を引いて、かりなが撤退する時間を稼げばいいんだろう。

 吐き気がこみ上げてくるのを堪えながら、棚の足へと縋りかけ――ぐるりと回った視界が輪郭を失った。まずい。廃工場の物音も、彼方で聞こえる声も、睡魔にかかればノイズとなり、思考と記憶のザッピングが始まる。

 男は身を屈めると、パレットに刺さった脇差を抜き取った。それから仰向けに昏倒した透架へ向き直り、ゆっくりと歩み寄る。

 強制終了した透架の電脳が再起動プロセスを開始する。オペレーションシステムに続いて、「いつもの」悪夢が読み込まれる。意識の彼方で唐津の注意喚起が聞こえるものの、手足の自由が効かない。透架の意思とは無関係に、特定の映像記憶が高速で再現されていく。

 全ては一年前、雨ケ谷が離反したあの日に遡る――


 鉄とコンクリートの地下施設 悪意あるプログラム 赤い警告灯 鈍重な音 閉ざされた隔壁 帰らぬ人 地面を掻く指先 起きろ 欠落した右腕 誰かが近づく足音 覚束ない平衡感覚 重い瞼 行かなきゃいけない 壁の先に


 伸ばした手は

 届 か


 ぼやけていた透架の焦点が合致した。だが青色の瞳が捕らえたのは、虚ろな顔の触媒泥棒ではない。白衣を纏った長身痩躯の男――雨ケ谷滲。

 その瞬間。男を見据える眼差しが尖り、床を掻いていた指先が「沈む」。

 爪の先端から第一関節。物体同士が「重なり合う」現象に続き、そこを基点に紫紺の光が瞬いた。光輝は一瞬で蜘蛛の巣状に広がり、回路の如き幾何学模様を描き出す。範囲は直径およそ三メートル。凍結した湖面が爆破され、亀裂が広がる様にも似た情景。それを機にある異変が訪れる。


「……?!」


 発光の圏内にあった雨ケ谷の上体がぐらつき、突如足場が抜けたような挙動でたたらを踏んだ。 床を構成する土間コンクリートに、男のくるぶしが二〇センチばかり飲み込まれている。それどころか圏内に巻き込まれた物体全て、棚や透架本人までが地盤沈下よろしく地面に沈み込んでいる。

 底の抜けたような光景に彼の両目が見開かれ、事態を理解できずに硬直した。生前の癖が残っていようと、猪狩本人にまともな自我はない。この反応は暗に操縦者である雨ケ谷の動揺を示唆している。

 サイボーグを構成するナノマシンには、各種活性プログラムが組み込まれている。それにより生身の人間では成し得ない能力を、サイボーグは「機能」として体得することができる。だが「物体を透過する機能」はいかなる研究機関でも実現されていない。

 透架の仕業である。が、当の本人は睡魔による頭痛が極まり、それ以上の身動きが取れない。

 狼狽する男の後方、地盤沈下の射程外で陽炎のような赤い輝きが爆ぜた。透架とは別種のナノマシン活性。間髪入れずに跳ね起きたかりなが、パレットの山を力任せに蹴散らす。それから床を蹴って跳躍すると、大上段に刀を構えた。

 怒涛の勢いで迫るかりなに男は身を翻して相対する。捨て身の大技はリスクが高い。男もそれを理解しているのか、冷静に太刀筋を見極め左右方向への回避を目論む。


[隙がでかい、見抜かれるぞ!]


 女子二人の電脳に唐津の怒号が飛び、反撃を計算した猪狩の唇が笑みの形を作る。

 透架自身、何もかも放り出して眠りたいのは山々だが、かりなを連れて引き上げないといけない。それには奴の注意を引かねばならない――地盤沈下が生じた圏内全域、紫紺の火花が小さく弾けた。ナノマシン活性が限界を迎え、透けていた床が実体を取り戻す。


「何!?」


 床に飲み込まれた諸々が反作用のごとく弾かれる。足場から吐き出された男も堪えきれずに膝をつく。彼が驚愕と焦燥の貼り付いた顔を上げると同時、最悪のタイミングでかりなの一太刀が振り下ろされた。

 絶叫、そして断末魔――。

 真紅の剣閃が男を両断する。左右対称に開かれた身体が前のめりに倒れ、その断面から血液や人工臓器が溢れ出す。刀を振り抜いた姿勢で固まっていたかりなだが、凄惨な光景を前に数歩ばかり退くと、その場でぺたんと座り込んだ。

 かりなを連れて撤退するはずが、どうしてこうなったのか。睡魔か頭痛か、それとも「ナノマシンの行使」による負荷か。天を仰いだ透架の視界が再びピントを喪失した――。

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