29:モノトーン・ネクローシス
洋の東西を問わず、人は繁栄と永遠を追い求める。それは二〇七〇年になっても変わることなく、いかなる財と権力を持ってしても死から逃れられた者はいない。
禁忌テクノロジー「不死」。神話の時代から否定されてきた最上級の神秘。国家運営AI「アマツ」は予言する――「不死」が叶ったとき人の歴史は終わり、永遠を手にした新しい人類が神の時代をもたらす、と。
もっとも予言は予言に過ぎないし、その正否を検証するのが人である保証もない。未来の行方は誰も知らない。
※
無尽桜の中央管理塔は巨大な円筒状の構造だ。制御室を出てからも透架と雨ケ谷の戦闘は続き、無人の館内に時折荒々しい物音が反響する。建物の中央部は巨大な吹き抜けとなって地下へと続き、各階で鋼鉄製の細い通路が空間をランダムに貫いている。
地上三階。空間の端に現れた雨ケ谷が血に汚れたコートを翻しながら、悠々と通路の中央へ向かっていく。その両拳には高周波発生装置を組み込んだインパクト・ナックルが装備されており、彼の打撃力を飛躍的に強化している。これは接触時に衝撃波を撃ち込むことで、プロテクター等の防御を無視してサイボーグの深部へ損傷を与えるものであり、直撃はもちろん掠めただけでもダメージが蓄積する代物である。
先行する男から数メートル後方に透架が姿を見せた。男と違って目立った出血は見られないものの、右足を僅かに引きずり、左上半身が内側に傾く。全身数か所に負った打撲の影響は、さしずめ戦闘能力にして三割弱の減衰といったところ。
それでも騙し騙しであれば……などと考えたところで自嘲気味の失笑が漏れた。そもそも偵察や情報収集を主任務とする自分が、逃げも隠れもしないガチンコ勝負を挑むなど正気の沙汰ではない。負傷と継戦能力を心配している時点で無理がある。
娘は獣のような呼気を吐き出しながら男の背中を追う。威嚇するような靴音を立てるのは、覚束ない足取りを隠してまだ戦えると虚勢を張るためだ。
「なりふり構っていられないようだな」
食い下がる娘を見て雨ケ谷は笑った。ろくな武装がないのに正面からの殴り合いを強いられ、頼みの「透明化」も通用せずジリ貧に追い込まれている。普段なら尻尾を巻いて退散しているところだが、今の透架には逃げ場がない。
「そーね。人間辞めかけてる相手に、手段を選ぶ余裕はないもんで」
敗北の先には三種類の選択肢がある。逃走、服従、あるいは死。いずれも嫌だと言うのなら、なりふり構わず勝つしかない。透架が建物に潜入してから、かれこれ三〇分近くが経過している。これまで頭、首、動脈、腱、心臓といった人体のあらゆる急所を狙い続けてきたが、雨ケ谷の体内にある小型増殖炉が再生ナノマシンを大量に生成するお陰で、致命傷だろうとたちまち回復される始末。ゴキブリよりもたちが悪い。
「手段を選ばなければ勝てると思うか?」
「どうだろう。あんたの『構造』が判れば、ワンチャンあるかなーぐらいには思ってるけど」
雨ケ谷は技術者あがりに過ぎず、元特務部の透架に比べれば個の戦闘技術に劣る。いかに火力が高くても、戦術やテクニックが伴わなければ攻撃ひとつ当てられない。こうした場合は手堅く戦い、相手の消耗を待てばいい。
しかし今の雨ケ谷にこの戦術は通用しない。無限の回復力を背景にした物量戦で、技術や性能を無視して圧し潰してくる場合、時間も援護も無い透架に勝ち目は無い。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず、とはよく言ったものだが。それで何か判ったか?」
雨ケ谷から小型増殖炉を取り除かないかぎり敗北は避けられない。それでも透架は戦意を示すように、人差し指で自分の胸元をとんとんと叩いてみせた。
「貴重品の隠し場所。心臓の裏側――でしょ?」
指し示したのは小型増殖炉の位置。
反撃を覚悟で急所を狙い続け、その回復速度を観察する。そこで最も早い回復を見せたのが心臓である。すなわちその近くに小型増殖炉が埋め込まれ、再生ナノマシンの恩恵を受けていると考えるのが妥当だ。
そして一般的にサイボーグの骨格はチタン合金やグラフェン、生体適合性樹脂など特に高強度な素材が選ばれる。心臓以上に重要な器官を配置するなら、胸郭の檻に囲まれたそこが一番合理的というわけだ。透架の推測に男は機械眼を赤く瞬かせながら頷いた。
「確かに。だが位置が判ったところで届かなければ意味があるまい」
雨ケ谷は通路の中央で振り返ると、インパクト・ナックルを嵌め込んだ手で誘うような仕草を見せる。今の透架は膂力と持久力、射程距離のいずれも彼には及ばない。通路という左右方向の移動が制限された空間で、敏捷性と機動力だけを頼りにどこまで戦えるのか――。
気力を振り絞った娘が金網状の床を蹴って疾駆する。通路の骨組みが軋み、ガシガシとけたたましい足音が周辺空間に響き渡る。両者の間合いが一定距離に達するや否や、透架は雨ケ谷の足首を縫い付けるように苦無を投擲し、反応した男が半歩下がった。
次の瞬間――耳を劈く炸裂音とともに、男の両脚に複数の裂傷が刻まれた。続いて噴出した鮮血が周囲の床を赤く染める。
「仕込みか……?!」
ここに来て雨ケ谷の声に動揺の色が混じった。苦無が直撃した金属床からは細い白煙が立ち上り、辺りには火薬特有の尖った臭いが充満する。先程の苦無には事前に細かい切れ目を掘り込み、一定以上の衝撃と火花に反応する火薬を塗布している。これにより金属床に強く接触したタイミングで爆散し、刃の破片が一定範囲の対象を切り裂くという凶悪な効果を発揮する。
特務部仕込みの暗器術を披露しながら透架本人は通路の柵を蹴って上方へ跳躍し、雨ケ谷の顎先を目掛けて飛び膝蹴りで強襲する。一方の雨ケ谷も機動力を殺されたことに苛立ちこそするが、その場で構え直して左右インパクト・ナックルの二連撃で冷静に透架を迎え撃った。
だが放たれた拳が飛び膝と相殺する直前、透架の蹴り足を基点に紫紺の光が瞬いた。ナノマシン活性の光が回路のような模様を描いて消え、鉄拳をすり抜けた飛び膝が雨ケ谷の顎を粉砕する。接近戦において「不可触」は敵の攻撃を掻い潜るのにも有効だ。足元から頭部へ彼の意識を上下に散らしたところで、透架は雨ケ谷の鳩尾目掛けて渾身の右掌底を放った。
「っ、ぁあああっ!」
足、膝、腰、背中、肩、肘、前腕、そして掌底。打撃とは全身の筋力が連動して初めて本来の威力を発揮する。それでもこれ一発で倒せるとは思っていない。本命は義手に仕込んだフック付きワイヤーアンカー。この射出は義手本体に内蔵したカートリッジのガス圧で行われ、ゼロ距離で開放すれば戦車の装甲すら貫通する。単装式故に連射はできないが、今の透架が持つ唯一かつ最大火力の一撃だ。
――くたばれ。
トリガーとなるのは透架の電脳信号。神経インターフェースの命令により、カートリッジから解放されたガスがアンカー射出口に繋がるバルブへと流れ込む。轟音と共に射出されたアンカーが雨ケ谷の胸郭を破砕して奥にある心臓をぶち抜いた。
勢いよく吹き出した返り血を浴びながら、透架の靴底が床を踏みしめる。ここで倒しきれなければ負ける。本命の小型増殖炉を破壊しない限り、心臓を何度潰したところで再生されるのがオチだ。
だがアンカーが小型増殖炉に到達する直前、両者の間に耳障りな音と白い閃光が爆ぜた。衝撃と反動――まずい。解放されたガス圧が生み出すアンカーの推進力より、透過の全身を押し返して弾き飛ばそうとする反作用が大きい。奥歯を噛み込んで両足で踏ん張り、全身の膂力を絞り出して堪えようとするものの、アンカーが小型増殖炉へ食い込む気配は1ミリたりとも見られない。
小型増殖炉の光は更に増す。正反対のベクトルがぶつかり合って臨界点を迎えると同時、透架の体躯が後方へと吹き飛ばされた。何が起きたのかわからないまま通路を転がり、ワイヤーの巻き取り機構が自動的に作動する。透架は手すりに凭れながら小型増殖炉の様子を睨みつけた。ワイヤーアンカーが撃ち込まれた胸郭内部は高熱によって黒く焦げ、筋肉の塊だった心臓も、原型を留めずに炭化した肉と化している――だが。
「……クソが!!」
その奥には小型増殖炉が燦然と輝いている。最大出力のワイヤーアンカーを以て傷一つ残せなかったことに透架は愕然とした。
「小型増殖炉のエネルギーは回復に転用しなければ、それ自体を防護する。心臓など後でいくらでも再生できる」
心臓が跡形なく破裂し、周辺にある肺も半分以上が焼け爛れている。気管から鼻や口へと逆流した血液を吐きながら雨ケ谷は凄惨に笑う。
増殖炉を起点に白く輝くゲル状のナノマシンが生成され、それらが心臓や血管を再形成していく。この発光はナノマシンの活性化現象によるものであり、透架やかりなに搭載されたものと原理は変わらない。内臓器官の再生が終わると、今度は筋肉や皮膚組織がその周囲を覆っていき、数分もすれば復元が完了する。回復の過程を呆然と眺めながら、娘は開き直った口調で告げた。
「いやぁ、ドン引きだわ。アンタの場合、頭が潰れても平気で生きてそうだし、ゴキブリもびっくりじゃない?」
「害虫呼ばわりは心外だな、仮に頭が潰れようと知性ごと回復するから心配は不要だ」
軽口を叩いてみたものの、透架の手札は完全に尽きた。発射直後のカートリッジは内圧の急激な低下によって恐ろしいほどに冷たい。うっかり周囲に触れようものなら、指先の水分が吸い付いて離れなくなる恐れがある。一定の温度になるまで再装填は難しい。それでも透架は追い込まれていることを顔に出さない。ポーカーフェイスというより、ある種の負けず嫌いだ。
その様子を一瞥した雨ケ谷は、血液で汚れた顔の下半分を拭いながら、透架の前に傲然と立ちはだかった。
「面白いものを見せてもらった礼をしよう。増殖炉のエネルギーは攻撃にも転用できるが、例えばこういう方法もある」
生き物の骨格が軋むようなおぞましい音が聞こえ、雨ケ谷の背中、正確には肩甲骨の位置から細長いものが飛び出した。そこから肉が骨を覆うように、ゲル状のナノマシンがそれを追随して包み込む。完成したのは左右二対、合計四本の追加機械腕。雨ケ谷自身が元々長身であり、追加腕の射程範囲は透架の蹴り足と同程度のリーチを誇る。二本の足、六本の腕、そして赤い機械眼とくれば……
「何それ、ますますアレじゃん。アルビノのゴキブリ?」
「……もう少し気の利いた表現をして欲しいな。BABELで開発中の戦闘用追加義肢『阿修羅』だ」
外見を揶揄したのはいいが、格闘戦において手数が倍増したことも意味する。透架に残っている武装は先程用いた爆散苦無が一本だけ。既に仕込みは知られているし、衝撃で発動する性質から斬り合いにも使えない。丸腰同然の透架を前に、雨ケ谷は六本の腕を縦横無尽に巡らせて格闘戦の構えを形作る。
「高効率、高エネルギーで生命活動を維持できれば、人間や既存のサイボーグを超えた運用も可能になる。それがアルビノのゴキブリでもな」
足の傷が塞がり機動力を取り戻した雨ケ谷が、四本の機械腕による拳撃をランダムに繰り出す。通路というロケーションでは左右方向の退避が難しく、移動方向は上下前後に限られる。手数もリーチも相手が上。逃げ出したいのは山々だが「透明化」は通用しないし、もたもたすると塵劫局からガチで追われる羽目になる――かくして戦略も戦術もないまま拳闘に応じた透架は、数秒持たずにめった打ちにされた。
「……つっ、ぐ……ぁっ、は――」
後方へ吹き飛ばされ、金属床を滑るように倒れ込む。立ち上がろうにも足元が覚束ない。それでも手すりに縋り付こうとする透架の脇腹目掛けて、重量級の回し蹴りが叩き込まれた。
衝撃に耐えきれなかった手すりが拉げ、通路から足を踏み外した娘は地下深くへと落下していく――。




