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27:真理への叛旗

 中央管理棟、地上三階。地下のコントロールルームが増殖炉の監視に特化するなら、このフロアを占めるオペレーションルームは無尽桜全体の指揮系統を担う。室内の中程に白いチェスターコートと黒いスラックスの男が座っている。190センチ近くある身長、彫りの深い顔立ちには年相応の皺が刻まれ、細いサングラスで目元を隠している。


 特一級テックテロリスト・雨ケ谷滲。

 壁一面に配されたディスプレイには、トイレ近くの通路で戦闘不能に追い込まれた手駒たちが映し出されている。男は腕時計に視線を落とす。外出した亜夜乃が予定時刻を過ぎても戻らない。


「二箇所ともしくじるか。計画はまだしも、業務遂行能力には難があるな」


 設備内の気温は氷点下を下回り、もはや外界と変わらない。記録的な大寒波とくれば、暖房の一つ二つは欲しくなる。しかし今の中央管理棟は近隣地域の停電によって非常電源に切り替わっており、電力の無駄遣いはできない。

 ぼんやりとした照明の下、雨ケ谷の吐息だけが白く棚引く。亜夜乃が戻らない以上、来客の対応は自分ひとりで行うしかあるまい。男は監視カメラの録画を巻き戻しつつ時間を潰す。


 画面に映し出されるのは、館内の警備として配置していた三人が通路に誘引された瞬間、その手足がぽろぽろと落ちていくシーン。

 亜夜乃が鹵獲したサイボーグはこれで全て使い物にならなくなった。いずれも小型増殖炉を組み込み、電脳にウイルスを流し込んで強制的に操作したものだ。それでも手足を落とされてしまえば、自力で復旧するのは難しい。

 映像内に侵入者の姿はなく、彼らが自ら切り刻まれに行ったようにも見える。だが、よくよく観察すると人や器物の陰で侵入者の吐いた白い呼気が見てとれる。監視カメラと障害物の位置を把握し、映像内で見つかりづらいタイミングを狙っているのだろう。

 特務部が得意とするのは諜報、工作、そして暗殺。一年ほど離れたとは言え、透架の技術に曇りはない。映像の再生を進めると、姿を見せた娘が中指を立てた。任務であれば間違いなくやらない行為だが、それを芹沢透架(せりざわ・とうか)個人の意思表示と見て男は笑う。


 そもそも、この計画を描いたのは亜夜乃だ。ナノマシン増殖炉をもう一度稼働させるにあたり、透架の「不可触(アンタッチャブル)」は非常に有用であり、それだけでも利用価値はある。しかし合意の元に引き抜けるかと言えば話は別だ。

 しかし透架は塵劫局(じんこうきょく)の理念を信奉するわけでも、組織の評価でアイデンティティを保つ気質でもない。つまりBABELと反目するのは塵劫局(じんこうきょく)への忠誠心ではなく、御厨に関する過去の経緯が尾を引いているだけに過ぎない。

 塵劫局(じんこうきょく)という後ろ盾を奪って孤立無援に追い込めば、嫌でもBABELに縋るだろう――というシナリオだが、用意した手駒は全て潰され、肝心の亜夜乃も戻ってこない有様だ。


「職場が変わっても、誰かの尻拭いをするのは変わらんか……」


 苦々しげな愚痴が漏れた。BABELに属した今も亜夜乃に対する同胞意識などない。預けていた息子さえ無事なら後はどうだっていい――。


 二〇七〇年現在、一般市民に許されたサイボーグ化率は五割が上限だ。この五割という数字に科学的な根拠はないが、社会秩序の維持という名目がこれを阻んでいる。サイボーグ技術が普及しても、その安全性や公平性に疑問を呈する声は大きい。急進的な反テクノロジー主義者の中には、サイボーグ化すると人間らしさが無くなる等と主張する者もいるくらいだ。

 この社会秩序と人間らしさという言い回しで、雨ケ谷の息子は切り捨てられた。確かにテクノロジーは人類史に不可逆的な破壊をもたらす可能性がある。だがテクノロジーの進歩と可能性から目を背け、個人の幸福を踏み潰しながら、社会秩序の維持を謳う――そんな塵劫局(じんこうきょく)のあり方が大義と言えるだろうか。


 椅子に身を預け、男は無表情で思案に耽る。

 仮にその大義が欺瞞だとしても、テクノロジー利用の正当性を訴えるために、増殖炉のテロで無辜の市民を殺戮することが正しいこととは言えないのも確かだ。そもそも正しさとは何か。多数決で幸福の最大公約数を求めることか。

 世間からの非難に晒されようと、雨ケ谷は我が子に可能性を差し伸べたかった。テクノロジーが願いを叶え、その先に幸福がある――親として家族として科学者として当然の願い。その為なら過去の名誉を手放し、悪名高きBABELを利用し、かつての仲間だって殺す。


 男は彫像のように固まったまま宙の一点を凝視し続ける。壁のモニターが映し出す映像に変化はない。やがて時間の止まった室内でほんの僅かに空気が揺れた。扉や窓は1ミリたりとも動いていない。隙間風ともまた違う。

 姿を隠して壁をすり抜け、室内に忍び込んだ者がいる。

 黒いパーカーに濃藍色のショートボブ、チャコールグレーのプリーツスカートを翻した娘。しかし今や肉体から着衣までいずれもナノマシン活性の干渉下にあり、第三者による光学的な認識を許さない透明人間と化している。


 塵劫局(じんこうきょく)、元特務部所属「無骸」。現緋桜地区一般職員――芹沢透架。


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