26:十億の女
事実を突きつけ優越感に浸る――本来、ここまで舐めた真似をされて黙っているかりなではない。しかし現実に力が足りない。がり、と耳障りな音を立ててかりなは奥歯を噛み締めた。亜夜乃が言うように自分は「汎用」サイボーグに過ぎず、覚悟だけで覆せる実力差でもない。
そんな絶望一歩手前の思考に唐津から通信が届いた。
[おぅ、やっと繋がったか。案の定苦労してるようで何よりだ……いいか、そいつ相手に刺し違えるのは無理だと思え]
[相打ちすら無理って、あと他にできることなんて無いんじゃないですか?]
音量こそマシになったが、非常回線を経由し音声だけを届けているのは変わらない。応答にも一秒程度のラグがある。
敗北が運命だと諭されてギブアップするくらいなら、玉砕するほうが余程マシだ。かりなの自暴自棄な泣き言を、通信先の上司は鼻で笑う。
[なんだ、思ったより諦めが早ぇな]
[言うは易しですね……]
[問題解決の基本は現状把握からだ。奴の限界がどこにあるか、弱点が何か、観察と分析をしろ。試合じゃあるまいし、お行儀良く戦ってないでみっともなく食い下がれ。焦らんでも無尽桜まで時間があるだろ。時間を稼ぎまくって、くたばるのはそれからにしろ]
唐津の指摘は的を得ている。確かに亜夜乃を叩き伏せることに全力を挙げるばかりで、観察と分析はおざなりだったかもしれない。かりなは手にした刃を半回転させて納刀すると、コンテナの側面を蹴って屋根へ飛び上がり再び亜夜乃と対峙した。さらに攻撃の隙が大きい刀から小回りの利く脇差に切り替え、刃を逆手に守りの構えを見せる。
「もう守りに入るつもり? あなたの得意分野に合わせたつもりだけど、及ばないってことが理解できたかしら?」
かりなの反応を誘うべく、亜夜乃は付かず離れずの距離で挑発を重ねる。やがて半歩だけ踏み込んだ女の膝が僅かに上がった。それをローキックの予備動作と見たかりなが、蹴り足を受けるべく脛を立てて反応する――瞬間、その膝を基点に蹴り足が巻き上がるような軌道へと変化した。
「……!?」
まずいと気づいた時には後の祭り。かりなの顎が側面から撃ち抜かれ、口の中に血の味が広がる。かりなはとにかくフェイントに弱い。経験がないというよりも亜夜乃の技術が巧みすぎる。
しかし両者の間にナノマシンの活性化を示す陽炎のような燐光が揺らめいた瞬間、亜夜乃は追撃を断念してバックステップへと転じた。続いてそれまで女がいた場所を、凶猛な太刀筋が横薙ぎに引き裂く。かりなのナノマシンが持つ特性――活性プログラム「戦闘狂」。
打たれ強いかりなの場合、多少ふらついてもその場で踏み止まって斬り返すことができる。さらに脇差なら短く取り回しが利く分、フォロースルーや次の攻撃に繋ぐまでの隙も小さい。いくら十億円の素体と言えども、機械刀に触れればひとたまりもない。よって亜夜乃もヒットアンドアウェイにならざるを得ず、必然的に長期戦を強いられることになる。
それでも格闘戦における駆け引きや経験値、攻撃の精度とスピードについては亜夜乃が優位だ。フェイントを交えた一撃離脱戦法を慎重に繰り返すことで、時間をかけて削ってしまえばかりなに勝機はない。
[……こういうの、なんて言うんでしたっけ]
[ジリ貧か? それでいいんだよ、我慢と忍耐がお前の長所だ]
[それが役立てばいいんですけど]
[役立つさ。勝負時を間違えなければな?]
幾度かの攻防を繰り返すうち、かりなは苦悶混じりの呼気を吐き出した。唐津の指示は未だ防御一辺倒であり、ジリ貧を耐え続けるのは心理的にも中々キツい。膝が笑って足元が覚束ない中、弧を描くように放たれた亜夜乃の三日月蹴りが腹部に突き刺さる。人間ならば一撃で悶絶する肝臓狙いの蹴り技は、サイボーグでも地獄の苦痛を与える。
「……っ、がァ…… ッ、は!?」
呼吸が止まって視界が霞み、後方数メートルほど吹き飛んだところで片膝をついて堪えた。気温は氷点下、風と雪が吹き付ける中でかりなの額に汗が滲む。今の自分に逆転の可能性があるのか定かではないが、悪い状況から逃れるためなら藁にも縋りたいのが人情だ。電脳通信の声も心なしか遠くなる。
[流石に……やばいんじゃ、ないですか……これ]
[さぁな。今のだって直撃はしてないだろ]
[?]
[マトモに食らったら、今頃お前動けてねえぞ]
長期戦に伴い、攻撃の精度と威力が落ちている――。
亜夜乃の攻撃は速く正確だが、その正確さを逆手にとれば攻撃のポイントをある程度読めるようになる。そして機械刀を恐れているのか、被弾そのものを嫌うのか、ある程度の優位が担保されない状況では積極的に攻め込んでこない傾向にある。黄金蛇によるナノマシンドラッグを用いるにせよ、このロケーションでは小型かつ軽量な蛇は吹き飛んでいってしまう。
一方、かりなは致命傷さえ貰わなければ「戦闘狂」で継戦能力を維持できる。適切にダメージを重ねているにも関わらず、中々倒れない様子に亜夜乃は苛立ちを露わにした。
「汎用型のくせに中々しぶといわねぇ……そろそろ立ち上がれなくしてあげる」
確かに亜夜乃は優秀だ。しかしその性能の高さから苦戦した経験がなく、あらゆる敵を短時間で倒してきたことがここに来て災いしている、というのが唐津の見立てだ。長期戦を知らないことで不安や焦燥を抱き、それが技に影響する。
[覚えておけ。百戦錬磨ってのは、弱いやつばかり相手にすることじゃない。戦士の価値を決めるのは、どれだけの修羅場を生き抜いてきたか。それだけだ]
列車の進行方向に黒い影が見えた。小高い丘をくぐり抜けるように設けられたトンネルである。長期戦になっても亜夜乃は未だ無傷であり、かりなの劣勢自体は変わらない。しかしかりなの戦意は衰える気配がない。
貨物列車が地響きのような音を立ててトンネルに吸い込まれると同時、それまで守りに徹していたかりなは屋根を蹴って疾走し、亜夜乃へと斬りかかる。
「それで意表を突いたつもり?」
裂帛の気合いで放たれた斬撃を、亜夜乃は横方向への軸移動で辛うじて凌ぐ。
「眼球……サイボーグで言うカメラは個体による性能差こそあれど、多少の闇ぐらいなら見通せる。少し暗くなった程度で動じると思ったら大間違い」
侮るなと警告した亜夜乃は、かりなの手首に裏拳を叩き込んで追撃を牽制し、さらにその腹部目掛けて前蹴りを叩き込む。身体をくの字に折って跪くかりなの前で、亜夜乃は勝利を確信し、愉悦の笑みを浮かべた。
さらにこれ見よがしに右腕を肩の後方へと引いて貫手を形作ると、そこに巻き付いた二本の黄金蛇が牙のような穿孔器を露わにする。
「外部環境に影響されないトンネルなら、この子たちの使役も余裕。拙い奇襲で一発逆転に賭けたんでしょうけど、これが汎用型の限界ねぇ」
亜夜乃からすれば予定より多少の遅れが生じたとは言え、全ては想定内の範疇だ。優れた自分が劣った他者を圧倒し、蹂躙する優越感。あらゆる物事が計算通りに進んでいく過程は、恍惚と万能感を与えてくれる。
だが、かりなへ歩み寄ろうとする女は、その背に迫るモノに気づいていない。
――人は暗闇に入る時より、出る時のほうが無防備になりがちだからね。
かりなの記憶の中で透架が屈託なく笑った。つい昨日のことなのに、ずっと前のように思える。あらゆる要素で自分を上回る敵に対し、かりなが唯一持つ優位性は――土地勘。即ち経験であり、過去。透架の言葉は更に続く。
――特にトンネルを出た直後はカーブで見通しが悪いし、今は木が伸びていてヤバいから。そこだけ注意して。
亜夜乃の視界には自分しかいない。漆黒の女が黄金の貫手を放った瞬間、その両目が驚愕に見開かれた。背中から木の枝に貫かれた亜夜乃の上体が大きく仰け反り、蹲っていたかりなはその間隙を見逃さない。
赤い輝きを纏った短刀が貫手を迎撃し、黄金蛇ごと巻き込むようにその手首から前腕部を突き穿った。鮮血と黄金のナノマシンを撒き散らし、串刺しにされた亜夜乃は屋根から転落する。
亜夜乃の断末魔を見届けてから数十秒、疲弊したかりなはその場に座り込んだ。全てを覗いていた唐津が電脳で囁く。
[やつが十億なら、お前は百億の女だな]
そんな戯言にかりなは小さく笑って応じる。
[ちょっと安くないですか? ここは一つ……値札のない女で]




