25:灯火と激情
空模様はより崩れ、風が強まり吹雪と化す。サイボーグ銭湯を出たかりなは、下町の入り組んだ構造を逆手にショートカットを経由しながら無尽桜へ急ぐ。
夜明け前の闇は深く、刺すような寒さが嫌でも全身を強張らせる。目的地への最短ルートは昨日透架から教わったばかり。線路の上を跨ぐ陸橋に差し掛かると同時、かりなは橋の反対側に人の姿を認めた――都市迷彩調のボディスーツにファーコートを羽織った亜夜乃である。
両者は橋の中央で足を止めて向かい合う。
「朝早くからお仕事なんて大変ねぇ」
「そっちこそ無尽桜の見張りはいいんですか?」
かりなは腰に挿した機械刀に手を添え、いつでも斬りかかれるよう鯉口を切る構えを見せる。剣呑な態度の少女とは対照的に、亜夜乃は愉しげに唇を舐めながら、芝居がかった仕草で両手を広げた。コートの合わせ目からはナノマシン反応を纏った機械蛇が顔を覗かせている。
「出世のお手伝いをしてあげたのに随分じゃない。裏切り者の『無骸』を始末すれば、忠誠心を求める塵劫局では今後重宝される筈。求めれば真摯に働く優等生なんて、上層部が放っておかないでしょう? たちまちエリート街道が用意され、上はあなたを引き立てて、下はあなたの一挙手一投足を窺う。二束三文で臓器を抜かれる生活より断然幸せじゃない?」
――触れられたくない過去がある。
そこに最悪の相手が最低のタイミングで踏み込んできた。逆撫でされた神経を宥めるのに、かりなは数秒を要する。こういう手合いに感情を見せるのは得策ではない。奥歯を軋ませ激情を飲み込み、限りなく仏頂面に近い無表情を装うのがやっとだ。
これが互角以下なら既に斬り込んでいるところだが、かりなは未だ踏み切れずにいる。それは最優先事項が透架の捜索と確保ということもあるが、個対個の戦闘技術において自分が亜夜乃に及ばないことを自覚しているからに他ならない。
「小さな親切、大きなお世話と言いますが、よくご存知ですね。私の履歴書でもご覧になりました?」
「そうね。サイボーグ部品を扱う組織は幾つかツテがあるけれど、下請け企業から貰った過去の仕入れリストにあなたに似たお嬢さんを見かけたものだから、つい」
苛立ちを通り越し、血圧が跳ねそうになる。よりによって……と思う一方、広い世の中そういうこともあるだろうと妙な納得もする。
殺したいと願った相手がここにいる。その事実は怒りに焦げついた思考をクリアにする。
そんなかりなの心理をどこまで察したかはともかく。黄金色の輝きを帯びた機械蛇が、亜夜乃の腰から胴体にかけて巻き付きながら移動し、やがてコートの襟元からずるりと這い出てくる。肩に積もった雪を蛇に払わせながら、亜夜乃はある話題を切り出した。少女の興味を引き、内面を土足で踏みにじり、その不安と怒りを煽るべく――。
「ところで。『無骸』とは昨晩お話したのだけれど、あなたと一緒じゃないのかしら」
「先輩に……会った?」
会って何を話したのか。嫌な予感にかりなは震えそうな声で問う。対する亜夜乃は少女が食いついたことに黒曜石の瞳を輝かせた。
日没時の裏路地――出頭命令を知った透架が、塵劫局の追っ手を見逃した光景。
亜夜乃が打診したBABELへの誘いを跳ね除けた態度。
機密漏洩と敵対組織への寝返りという二重の疑惑を掛けられ、透架の口数が減っていく様子。
そして雨ケ谷の居場所が書かれたメモを受け取ったという結末。
亜夜乃の語り口は一言一句が過度に丁寧だ。全てはかりなを焦らし、その反応を愉しむため。判っていながらも、対するかりなは内心の動揺を押し殺すことに苦慮している。
「あの子も塵劫局からは厄介者扱いでしょうに、あなたたちのことは信頼しているようね」
その通り。だからこそ透架がいなくなって心配している。
どうして何も言わないのか。どうして連絡を絶ったのか。その理由は――。
「だから言ってあげたの――『何でも相談できて羨ましいわ、私なら共犯と見られたら堪ったものじゃない』……って」
女を見ていた赤い瞳が憎悪と軽蔑に染まる。
芹沢透架という人間の価値観を把握し、その繊細さと不器用さにつけ込んだ誘導。
全てはかりなに迷惑をかけたくないという遠慮と配慮。一方、そうさせてしまった自身の未熟さが歯痒くて仕方がない。そんなやり場のない激情に戸惑っていた矢先、電脳が唐津の声を拾う。
[熱くなるな、二〇秒後に貨物が来る。予定通り無尽桜へ向かえ]
音質は悪く、音量はか細い。遅延やノイズも混じっている。大雪でインフラがやられている中、生きている回線を無理やり使って通信を繋いだのだろう。
側方から丸い光点が見え、次第に大きさを増していく。機関車の前照灯――深夜運行の貨物列車が陸橋の下を潜り抜け、ごうごうとした走行音が電脳通信をかき消す。かりなは意を決して柵を飛び越え、コンテナの屋根へと飛び乗った。
列車が向かうのは無尽桜方面。昨日の今日で乗るとは思わなかったが、透架のアドバイス通りに時刻表を把握していたのが功を奏する。
流石の亜夜乃もかりなの挙動に少々面食らったが、見逃すつもりは無いらしい。貨物列車の音や速度に臆することなく、しなやかな動きで跳躍すると貨物列車の最後尾へ着地する。そしてコートの奥に隠れていた機械蛇の群れが、亜夜乃の両足から列者の屋根へと展開する。
「ここまで挑発して逃げるなんて。この間は怖がらせてしまったかしら?」
「まさか。構って欲しければ相手しますよ」
鋼鉄製の屋根は雪に濡れると滑る。それが暗闇の中を時速数十キロで動いているのだから、常に転落の不安が付き纏う。機動力を活かしづらいロケーションに眉を顰めつつ、抜刀したかりなは亜夜乃の動きを注視する。
「嬉しいわ。でもあなたの相手ならこの子たちで十分」
そう告げた亜夜乃は、展開させた黄金蛇を屋根と貨車の両側面に分散させ、号令のように右手を正面に突き出した。命令を受けた蛇の群れが、かりなの正面と左右の三方向から襲いかかるべく牙を剥く。蛇の動きは見た目よりも遥かに俊敏だ。細長い全身は人工筋肉で構成され、多彩な可動域と運動能力を両立している――が。
「……あら?」
機動力を活かしづらいのは亜夜乃と蛇も同様らしい。貨車の側面に張り付こうとした数匹が風圧に耐えきれず、雪の塊に流される形で落ちていった。一度脱落した蛇は列車に追いつくこともできず、そのまま遠ざかっていく。
かりなは刃の切先で近づいてきた残りを易々と払い落とし、それを見ていた亜夜乃は少し黙り込む。このロケーションでは前回のように蛇をけしかけ、弱らせた敵を始末する……という戦術が使えそうにない。
手元で刀を回しながら、かりなは揶揄混じりに肩を竦めて見せる。
「十分って意味、わかります?」
煽られた女の双眸に漆黒の殺意が煌めく。亜夜乃は羽織ってきたコートを脱ぎ捨て、その四肢に黄金蛇を巻き付けた状態で格闘戦の構えを形作った。さらに招くようなジェスチャーで攻めてこいと挑発する。
「失礼。退屈されたかしら? この子たちの使い方は色々あるの。今日は特別――あなたの得意な斬り合いに付き合ってあげる」
そうは言っても機械蛇のナノマシンドラッグは健在だろう。迂闊に踏み込むのは危険だが、透架の出頭期限を考えればもたついている暇はない。意を決したかりなは摺り足気味に踏み出すと、刀身のセキュリティを解除しながら袈裟懸けに斬りかかった。
威力が大きく、攻撃範囲も広い初太刀。しかし刃の軌道やリーチを見切っているのか、亜夜乃は放たれた剣撃を紙一重で躱しきる。サイボーグを切り裂く剛剣だろうと刃に触れない限りは意味がない。滲み出るかりなの焦燥を煽るように亜夜乃は嘲笑う。
「先輩の助けが無いのに、勝算はあるのかしら?」
斬撃を放った直後。その僅かな隙を逃さず、亜夜乃は攻撃へと転じた。
両者の間合いは刀剣から徒手空拳の距離へ。かりなの足を刈るような下段の蹴りから、顔を狙うジャブをフェイントに織り込んで上下に注意を散らし、最後にガードが及ばない腹部を狙って鋭いフックを叩き込んだ。
見た目によらず亜夜乃の打撃は重い。臓器を揺らす衝撃にかりなは息を飲み、本能と苦悶から身を守るように背を丸める。
その動きを察していたように亜夜乃は半歩だけ引いて距離を取り直す。そしてかりなが周囲を窺うべく顔を上げたタイミングに合わせて、右こめかみに鮮烈な上段回し蹴りを叩き込んだ。
「……っぐ、ぅ!?」
かりなの脳が踏み止まるよう三半規管に信号を送るものの、胴体に被弾したダメージが足に来ている。半ば崩れるように転倒したかりなは、コンテナ車両同士の隙間へ落下するが、間一髪で貨車本体の手すりを掴む。ダメージと運動量で肺が空気を貪ろうとし、流れ込んだ冷気に咳込みながら狭い夜空を見上げる。
一般論として、素手の亜夜乃より刀剣を持つかりなが優位だ。しかし間合いを正確に見切って動ける技量を前に、かりなの猛攻はことごとく躱され、かすり傷一つ与えられない。サイボーグとしての身体能力、空間認識能力、そして戦術の柔軟性。両者を隔てる厳然とした差が浮き彫りになる。余裕の微笑を浮かべながら亜夜乃は屋根の上からかりなを見下ろした。
「私の手元に来たモノは全てデータを採取しているの。あなたの素体性能も全て把握済。BABELがこれまで蓄積した塵劫局との交戦データに加えて、そこにあなたの情報を掛け合わせれば、将来発症する病気、結婚相手のタイプ、想定生涯年収から戦闘能力の上限まで概ねわかるってわけ。その上で私の出した計算だと……これからあなたが血を吐いて玉砕しても、私の性能には及ばない」
愉悦と冷笑の入り混じった勝利宣言。
その瞳に抗う意思を込めて、かりなは天空を睨み返した。




