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24:途方に暮れて紅を編む

 未明。アパート兼事務所という風情のこぢんまりとした建物。雪の積もった無人の屋上に、靴底の形だけが刻まれていく。足跡の主はその端から音もなく飛び降りると、非常階段の裏とゴミ箱の陰に潜り込んだ。

 昨晩の出頭命令から十二時間が経過した。街中では塵劫局(じんこうきょく)の追跡者と思しき姿がちらほらと見受けられる。知った顔からそうでない者まで様々だが、彼らを撒きながら極寒の街を逃げ続けるのは、さすがの透架でも億劫だ。

 かくして「透明化(インビジブル)」を活性化させ、多少遠回りでも配備が少ないルートを選ぶことでなんとかやり過ごしている。だが、そこまでの注意を払っても、足跡や白い呼気は誤魔化しようがない。勘のいい追跡者であれば、こうした景色の「違和感」に気づくものだ。

 そんなことを思っていた矢先、複数の追跡者が示し合わせたように透架の潜む方へと向かってくる。一息つきたいのは山々だが、囲まれてからでは厄介だ。透架は小さく舌打ちすると逃走を再開した。


 目指すのは司令部でもサイボーグ銭湯でもなく、亜夜乃から渡されたメモの場所――稼働を停止したジオエンジニアリング施設「無尽桜」。

 広大な区画に多数の桜が植えられた、地元住民にとっては憩いの公園。しかし一年前の試験稼働に失敗して以降、調査のため一般人の立ち入りが禁止されている……というのは国民を統治するための大本営発表に過ぎない。

 桜の下には死体が埋まっているなんて言うけれど。まさか有害ナノマシンがぎゅうぎゅうに押し込められているとは思いもよるまい――。


 その無尽桜に繋がる市街地の外れ。追跡者を撒いて、撒いて、撒きまくった末に行き着いたのが、黒と黄色のバリケードテープで囲まれた取り壊し寸前の雑居ビル。テープを潜って通路に身を隠したところで、ようやく透架は「透明化(インビジブル)」を解除した。

 普段なら滑らかなグラデーションを描いて出現するはずが、今日に限ってその過程がぎこちない。解除が遅れて視認できない部位が数箇所ほど残り、全身が虫食いのようになっている。何よりナノマシン活性を制御する青い発光パターンが見られない。

 「透明化(インビジブル)」を長時間ぶっ続けで行使したことで、電脳から全身まで若干「焼き付き」かけている。同じ画像を延々と表示したディスプレイは画面を切り替えても残像が残る、という現象に近い。この状態を放置・悪化させると綺麗に透けることができなくなり、最悪の場合は体内のナノマシンを除去して再度組み込む必要がある。


 ……なんて。


 いつ死ぬかわからないのに、そんな心配は今更だ。人の気配がないことに安心しながら、透架はアウターのフードを被り直して瞑目する。やがて「透明化(インビジブル)」が焼きついていた箇所も徐々に実体を取り戻していく。

 寒い、眠い、お腹が空いた。本能に基づく欲求は電脳であろうと健在だ。加えて右肘の付け根、義手の接合部が疼くように痛むのは、ストレスと疲れが溜まってきた証拠でもある。

 心に刃と書いてしのびと読む――情報機関に属する者は多かれ少なかれ、バッドコンディションを耐えるように訓練される。そうして生きるうちに、理不尽な目に遭っても動じなくなる。それを強くなったとするか、鈍くなったとするかは判断に迷うところだが。

 そんなわけで黄信号の体調など慣れっこだ。行けと言われれば行き、死ねと言われれば死ぬ。この娘はそうやって生きてきた。生存を蝕む苦痛とその先にある結末。BABELに踊らされている状況は不本意だが、死そのものに抵抗はない。

 体育座りに背中を預けた壁はあちこちで塗装が剥がれ、コンクリートの地が剥き出しになっている。鉄とコンクリートの近代建築といっても半世紀程度で廃墟になるのだから、どこぞの銭湯よりも断然儚い。濃藍色の髪が溢れ、伏し目がちだったセルリアンブルーの双眸が睡魔と疲労でピントを失っていく。

 出頭命令を知った上司や後輩は、今頃どんな顔をしているだろうか。厄介者扱いされても仕方ないし、心配していたとしたら、尚更ごめんとしか言いようがない。


 それでもこの記憶は抱えていたい。

 いつかどこかで、この命が尽きるまで――。


 ジオエンジニアリング施設「無尽桜」。敷地の中心に位置し、設備の稼働状態をコントロールする中央管理棟。かつて訪れた建物は時間帯と天候を除いて何の変化もない。監視カメラの位置も記憶通りだ。

 事前に亜夜乃や雨ケ谷がいると聞いているが、他にも仲間がいる可能性を踏まえて状況を窺う。まず、出入り口付近に警備員姿の男が一名。一見すると違和感のない景観だが、中央管理棟は一般市民の立ち入りを禁止しており、日中の定期巡回を除いて基本的に警備員は常駐しない。こんな時間なら尚更のこと。

 はじめBABELの戦闘員かと思った透架だが、よく見ると表情が乏しく雰囲気がおかしい。視線は常に一点を見据え、建物の正面玄関付近を規則正しく行き来する。プログラムされたゾンビのような挙動は廃工場の一件を彷彿とする。


 透架は「透明化(インビジブル)」を再起動すると、相手の視界に入らないよう距離を詰めていく。靴底が僅かに雪を散らすが、気づかれることはない。続いて男の背後へ回り込みながら、左右の頸動脈へ手刀による強打を叩き込む。頸部に衝撃を加えると共に、脳への血流を強制遮断することで瞬時に意識を刈り取る技。その場で昏倒した警備員を手際よく担ぐと、監視カメラの及ばない物陰へ引っ張り込む。

 彼と透架では体格差がありすぎる。装備や認証キーを奪ってなりすますには服のサイズが微妙だ。内心で舌打ちしながらも、脱がせた上着で相手の頭部を覆い、両腕を背中に回して縛り上げる。万一目覚めても、彼の電脳に透架の姿は一切残らないという流れ。仕上げに武装を確認し――そこで僅かに息を飲んだ。


 折りたたみ型の電磁警棒スタンロッドに、市街地など狭い範囲で有効な衝撃手榴弾グレネード。腰背面には鉈のような得物がセットされ、柄にはある刻印が施されている。八匠はっしょう工業のTATARIシリーズ。塵劫局(じんこうきょく)の強襲サイボーグが扱う認証機能付き機械刀、かりなが扱うものと同系列のそれ。

 この系列は一般に流通しておらず、一つ一つシリアルナンバーによって管理されている。さらに所有者のナノマシンと一対一で紐付けされることから、持ち主以外の者が使おうとしても、その性能を十全に発揮することはできない。また、紛失や盗難に遭えばロックが掛かり、位置追跡システムに現在地を送信するという機能も備えている。

 つまり彼は塵劫局(じんこうきょく)の関係者だ。殺さなくてよかった……と言うべきだろうか。正面からやり合えば、こちらが深手を負わされていた可能性もあるが、同胞殺しは後味が悪すぎる。

 今現在、体温と脈拍こそ確認できているが、この状態で彼が生きていると呼べるかどうかはわからない。実は既にゾンビで無理やり操られているのかもしれない。

 廃工場で遭遇した猪狩は胸に小型増殖炉が組み込まれていたと聞くが、この場で彼を解剖して中身を確かめる気にはなれない。手榴弾だけ拝借すると、感情の隅に残った仲間意識を持て余しながら、拘束した男を植栽の側に転がした。

「お仕事、お疲れさん」

 労いとも憐憫とも皮肉ともつかぬ言葉を投げかける。彼は恐らく葉隠所属の戦闘強襲ユニットだ。何らかの情報を掴んだ塵劫局(じんこうきょく)が、無尽桜のトラブルに備えて守備部隊を送ったものの……といったところだろう。

 ユニットは四人組で動くのがセオリーであり、残る三人も同様になっている可能性が高い。単純な戦闘能力ではエリートだが、例の高層ビルでかりながボコボコにされたように、搦め手の戦術には脆いところがある。ここに亜夜乃がいるとすれば、恐らく苦戦は否めまい。

 実はこうした主力部隊をバックアップするのも特務部の職掌なのだが、今現在それらしい気配は感じ取れない。元所属者の透架に情報流出の疑惑がかかったことで、身動きが取れないのだろうと推測しつつ、娘は正面玄関を避けて建物の裏へと回り込む。


 地上一階、女子トイレの壁に紫紺の燐光が灯る。白黒の大理石を模した壁材に、光が人型の輪郭を作り、その形状はやがて一点に収束しながら消えていく。未解明活性現象「不可触(アンタッチャブル)」を駆使して壁をすり抜けた透架である。この位置を選んだのは、人の出入りが少なく警備が手薄だろうという理由だが、そろそろ玄関の一人がやられたことに気づきそうな頃合いでもある。

 「透明化(インビジブル)」で姿を隠したまま通路を進んで一階の正面ホールへ到達する。館内はところどころに照明が点いているものの、室温は外気温と変わらない。透架の想定通り、確認できた警備員は三名。いずれもこのフロアに集中している。

 娘は義手をこねくり回しながら女子トイレに戻ると、先程拝借した衝撃手榴弾を最奥の便器に放り込んでフタをした。最早お行儀よく洗面台に寄っている場合ではない。「不可触(アンタッチャブル)」を纏ったまま猛ダッシュで壁を抜け、隣接する男子トイレを素通りして給湯室へ飛び込んだのと同時――建物全体を揺らすほどの轟音と衝撃が爆ぜた。

 衝撃手榴弾。破片を散らさない代わりに衝撃波で殺傷するタイプの兵器。直撃すれば爆轟によって呼吸器をはじめ内臓をずたずたにする代物だが、透架はその衝撃波を建物の壁と「不可触(アンタッチャブル)」によってしれっと凌ぎきる。


 爆音に反応した警備員がトイレに続く狭い通路へ呼び寄せられる。メインフロアから角を二、三回曲がってようやく個室に到達するという、公共施設のトイレにありがちな構造。極力個室を隠そうとするお上品な地形は、待ち伏せやトラップに最適だ。

 全ての警備員が通路に踏み入れた瞬間――ばすっ! と音を立てて一人の足首が切り落とされた。残り二人が異変を察した時には既に遅い。見えない刃で各自の四肢が次々と切断され、床や壁に鮮血を飛散させながら手足が無造作に転がっていく。

 給湯室から回り込んだ透明人間がその様子を醒めた顔で眺めている。悲鳴なり絶叫なりがあってもよさそうなものだが、彼らの反応は希薄だ。例え電脳の痛覚受容体を切っていても、仲間の惨状を見れば言いたいことの一つ二つはあるだろう……にも関わらず、誰一人として意味のある言葉を発さず、麻酔をかけたカエルのようにびくびくと痙攣する。

 やがて三人の頭上に複数の赤い線が顕現し、その一部からナノマシン活性現象による青と紫紺の燐光が零れ落ちる。


 彼らを切り刻んだのは通路に張り巡らされたワイヤートラップ。透架の義手から伸びたワイヤーを「透明化(インビジブル)」によって見えなくし、一部には「不可触(アンタッチャブル)」による物質透過も重ねている。こうして虚実を取り混ぜることで、切断箇所をコントロールしたというわけだ。

 飛散した血液を踏まないよう注意を払いつつ近づくと、透架は倒れた一人の首筋に目を留めた。ボディスーツに残されたごく微細な穿孔痕。かりなの身体に残っていた傷と同じものだ。彼らが亜夜乃と交戦したのは確かだが、このフロアに気配は感じられない。雨ケ谷共々他の階にいるのだろうか。

 覚束ない照明の下、近くの監視カメラを見上げながら透架は「透明化(インビジブル)」を解除する。姿を見せた娘はレンズに中指を立てて宣戦布告を済ませると、踵を返して場を辞した。

 向かう先は地上三階。無尽桜の設備全体を監視するオペレーションルームへ――

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