23:雪でも機忍は出勤する
黒。辺り一面何も見えない闇。ロッカールームのかりなは、何者かによる襲撃の可能性を想定して身構えたが、そもそもこんな場所をピンポイントで狙われる理由などありはしない。
かりなの眼に暗視機能は備えていないが、この敷地内であれば目隠ししようと余裕で動ける。周囲に他者の気配はない。外界の状況を探るべく地上へ上がり、窓の外から様子を窺うが――街全体、あらゆる建物から光が消えている。
「……停電、ですね」
唐津と合流するため会議室に戻る途中、足元の非常灯が最低限の光を確保する。ただし、それ以外の照明や電気器具は沈黙したままだ。
「復旧……いえ、予備電源ですか?」
「俺が管理してる建物だぞ? 築何年だろうが停電ごときで止まりゃしねえよ。お前らはただのボロ家と思ってるだろうが」
「先輩じゃあるまいし、そんなこと思ってませんって。雪のせいか、あるいは……暖房で電力需要が高すぎるのかもしれません。ネットワークは大丈夫ですか?」
「距離によるな。中継局がやられてる場合、動いてる回線を探さない限り繋がらん」
停電の範囲によっては、かりなや唐津の電脳通信網にも影響が出る。それも非常用のネットワークを経由すればある程度はフォローできるが、通信レベルが低下するのは否めない。
そんな矢先、館内の廊下に設置した黒電話がけたたましい音を立てて鳴り響いた。データ通信の時代になって久しいが、唐津はこんな時に備えて古式ゆかしい電話回線を残している。銭湯の常連客にはウケがよく、何より原始的なものは災害時に強い。唐津はかりなにも伝わるよう、声を張って独り言のように応答する。
「毎度ありがとうございます! こちら火桜の湯で……あぁ、司令部? どうもお疲れさんで……は、例のユニットから連絡が取れず、無尽桜の状況もわからない? そりゃ停電ですからなぁ。非常用の回線を経由して、音声だけでも繋ぐことはできるんじゃないですかね」
停電というイレギュラーな状況によって監視が手薄になった今、事を起こすには最適のタイミングと言える。唐津のバイザーに「まずい」という文字列が表示され、それを受けたかりなはロッカールームへ戻って出撃の支度を再開した。
司令部からの情報によると、展開していた戦闘ユニット群からの連絡が途絶えたらしい。停電に乗じて奇襲を受けた可能性がある。雪で道路は凍結し、通信もままならない状況においては増援を派遣するのも難しい。
「通信が回復した? ……あー……サーバーに履歴が。なるほど、そいつは例のサイボーグで間違いないですな。個体の戦闘能力はともかく、搦手が得意なやつで……」
やがて通話を終えた唐津が姿を見せ、一言だけ告げた。
「ダイイングメッセージは『金の蛇』だとよ」
かりなの視線が尖る。高峰亜夜乃の仕業だ。通信妨害を仕掛けて連携を断ち、例の機械蛇で能力を低下させて各個撃破したのだろう。展開していたサイボーグは練度こそ高いが、いずれもかりなのような戦闘特化型だと言う。
装着を終えたボディスーツの繊維がかりなの身体を通じて電脳と連動する。生体データの計測はもちろん、筋肉の動きや血流の速度をサポートし、体温調節など生命維持の機能も果たす。人目につく市外活動時には外部装甲を外せば、コートなど私服の下に着用できる薄さもポイントだ。
「私は確か非番ですよね。だったら出かけても問題ありませんか?」
「どこへ? 非常召集がかかる可能性も考えとけよ」
「それも折り込み済です。司令部はまず、連絡の途絶えた無尽桜の確認を優先するでしょう。なので無尽桜へ出かける分には時短もできて良いかと」
無尽桜から一番近い支部はサイボーグ銭湯だ。数分以内に現場の偵察命令が下りる可能性もある。
「まぁ、透架が居ない以上、ここには火力しかねぇけどな」
「すみませんね、脳筋で。でも先輩がいれば、戦況は違ってくるかと」
「そうは言っても、奴がどこにいるのか判らんだろ?」
足元の非常灯を眺めながら、かりなは少し考え込む。
透架に与えられた選択肢は三つ。一つは逃げ続けた先に身柄を拘束され、濡れ衣を着せられたまま塵劫局に記憶を消されること。一つは引き抜きに応じ、過去の恩讐を捨ててBABELに飼われること。最後は出頭期限内に雨ケ谷を始末し、裏切りの冤罪を晴らすこと。
果たしてあの人は何を選ぶだろうか?
「……確証はありませんが、先輩は無尽桜へ向かう気がします」
消極策となる最初の一つを除き、透架が雨ケ谷と接触するには無尽桜に行かざるを得ない。
何よりかりなが透架の立場で追い詰められたとしたら、やはりあそこを死に場所にするのではないかと思っている。全てを失おうと、過去の傷と向き合える場所を――。
電力による館内暖房が切れたことで、室内も徐々に寒さが染み渡る。両手を擦り合わせながら唐津は頷いた。
「それならダメ元で賭けてみるか。案外、いいセン行くかもしれねぇぞ?」
「了解しました。既に高峰と雨ケ谷の両方が動いてると推測されます。連中を潰して、それをネタに先輩の弁明を考えます」
「連中の首を手土産にってやつか。上手くいけばいいが勝算がない。やつら相手にお前一人で何ができる?」
「なので先に先輩を見つけて確保します。連中と勝負するのはそれからです。ここには頼れる上司もいるわけですし」
出頭期限内にかりなと透架で無尽桜のテロを封じ、それから真相を報告する。そもそも透架の離反疑惑は連中のせいである。透架の冤罪と告発が偽りであることを証明してやれば、BABELに行く理由などなくなる。
「割と他力本願なのはしゃぁないか。そもそも一人で片付けられる連中じゃないが」
「順番の問題です。仮に連中を潰せたところで、先輩が見つからずに指名手配になっては意味がありません」
最優先は透架の確保であり、雨ケ谷と戦うことではない、というのがかりなの主張だ。
「万が一、透架が奴らの誘いに乗ったらどうする?」
「やらぬ善よりやる偽善……は何か違う気がしますけど。まぁ、その時は責任取って暴れてきますよ」
時間は刻一刻とすぎていく。本気で透架を連れ戻すなら、勝算の有無を細かく見積もっている暇などない。苦笑しながら唐津はかりなを送るべく車の手配に移る。ところが呼ばれてきたよかろうもんが首を振った。
「クルマ、ムリ。路面凍結、キケン。ソト、デマセン」
「ポンコツめ。俺みたいなことを言うんじゃねえよ。タイヤ交換すりゃいいだろ」
「一時間、カカリマス」
「はァ?! 手伝ってやるから、さっさとやれ」
こんな雪の日に車いじりときた。我ながらよくやるよとボヤいていた中年男は、裏口から改造軽トラのあるガレージへ出た瞬間、凍えながら絶叫した。カーキ色の防寒コートを着込んだかりながその後方で呆れたようにため息をつく。
「うぉおおおお! 寒ぃ! 無理無理無理、クルマムリ! こんな天気で仕事とかやべえだろ!?」
「だから大寒波って言ってるじゃないですか。普段、外に出ないからですよ……」
「昼間は出かけただろ! それより走って無尽桜に行く気か。ここからだとサイボーグの足でも時間かかるぞ?」
「仕方ないでしょう。どうせ現場に出かけるのは私ですし……唐津さんは部屋でぬくぬくしながら、指示だけやっててください」
もはや雪を通り越して猛吹雪だ。電気やインフラに交通機関まで途絶え、世間一般が外出の自粛を訴えようと、出勤を求められるのが塵劫局である。唐津はガレージの棚にあった軍手を嵌めると、交換用の冬用タイヤを転がし運ぶ。
「ヌクヌクー! ヌクヌクー!」
「うるせぇ、馬鹿! さっさとジャッキ持ってこい!」
ロボのくせに室内に戻りたがるよかろうもんを罵りながら、唐津は渋々タイヤ交換に取り掛かる。かりなが手伝えれば少しは違うのかもしれないが、何せ免許もなければ、車両の知識もない。そして今はこの待ち時間すら惜しい。
無尽桜へ行くのに一番早い方法――白い息を吐きながらかりなが呟く。
「この時間でも貨物列車は動いている筈です。ダメならその時は走って行きますよ」
「電車ってどこかで飛び乗る気か? 旅客は朝から運休らしいが、貨物はどうだろうなぁ……」
「予報だと吹雪のピークまで二時間くらいあります。動いていたら御の字で」
午前五時。透架の出頭期限まで残り半日を切り、完全武装のかりなが未明の闇に姿を消す。貨物列車への無賃乗車など、恐らく透架の入れ知恵だろう。ろくなことを教えないやつだ。
タイヤ交換をよかろうもんに引き継ぐと、唐津はかじかむ両手をポケットに突っ込み、離れへと戻っていく。通信回線は不安定だが、かりなのバックアップを務めなくてはなるまい。
扉を潜る直前、男は一度だけ無尽桜の方角へと振り返った。冬の嵐に紛れてその呟きが消えていく。
「まったく、かくれんぼ名人を探すのも骨が折れる……お前の苦労もわかるよ。なぁ、御厨?」




