22:消えた透明人間
「どうして早く知らせてくれないんですか……!」
雪が本降りとなってきた夜明け前の早朝。サイボーグ銭湯・離れの会議室に少女の声が響き渡る。壁面に据え付けられたディスプレイでは大寒波に関するニュースが流れ、外出の自粛や道路の凍結に注意するよう訴えている。
透架に下りた出頭命令を知らされたかりなは、街中を駆けずり回ってその姿を探すものの、何一つ手がかりを得られないまま戻ってきた。電脳の通信機能を切っているのだろう、透架とは一切の通信が繋がらない。
部屋の奥では電子火鉢を抱えた唐津が丸くなっている他、ちゃぶ台には小型コンロとミルクパンが鎮座し、中で甘酒が温められている。
「お前が非番だったからな」
「時間がないのに、そんなのどうだっていいじゃないですか!」
透架が見当たらないことへの焦燥から、かりなは語気を荒げながら、拳をちゃぶ台に叩きつけた。唐津は労うように甘酒をマグカップに注いで差し出すが、かりなは手をつけない。
隠形術に限れば、透架の技は特務部どころか塵劫局でもトップクラスだ。本気を出されたら唐津の情報収集能力でも期限内に発見することは難しい。
「心配しなくても奴はBABELにゃ行かねえよ」
「では、どうして先輩から連絡が無いんですか?」
雨ケ谷の裏切りが原因で御厨は死んだ。仮にどれだけの好待遇を提示されようと、透架が能動的にBABELに寝返るとは考えられない。しかし出頭命令に対して透架は一切の弁明をしないまま姿を消した。理由があるとしたら――。
「迷惑をかけたくないんだろうな、お前に」
後輩の未来に陰を落とさぬために。
その回答に一瞬だけかりなの表情が消え、それから泣きそうになるのを隠すように俯いた。唐津は釘を刺すように言葉を続ける。
「これ以上この件に手を出すな。司令部の中ではお前が透架を告発したことになっている。お前から下手に撤回や弁明をしようものなら、偽情報を流していると受け取られかねん。後のことは俺がやる。何か聞かれたら、適当にしらを切っておけ」
「私の名前を勝手に使われて、知らん顔をしろとでも?」
「こういう時、普段なら透架は俺と連絡をとる。情報の裏を取った上で次の行動を考えるわけだが、それをしないのはお前がいるからだ」
唐津は出世に関心がない。組織における自分の立ち位置にも興味がない。世界を覗くことを愉しみとするが、それを変えようとは考えていない。ただ、身の回りにいる人間に対して、その幸福を願うくらいはする。故に御厨の死に囚われた透架を見守るくらいの義理はある。その透架がかりなの将来を願っているとすれば、叶えてやるのが親心ならぬ上司心というものだ。
「透架と接触したことで内通の疑いをかけられた時、俺はうまいこと立ち回って自衛できる。お前にそれができるか?」
「私が未熟なのは理解しています。でも、先輩が姿を消した理由は本当にそれだけですか?」
「どういう意味だ?」
まるで出奔には別の理由もあると言いたげな様子に、唐津は真っ黒のバイザーを向けながら問い返す。かりなは首を振り、紅い眼差しで正面から男を見据えた。
「先輩の記憶を消さないで貰えませんか? 先輩がBABELに嵌められたのだとしたら、彼らの思惑通りになるのは塵劫局の不利益にしかならないと考えますが」
思わぬ要望に唐津は固まった。
透架が失踪したもう一つの理由――記憶の消去を巡る組織への不信。人身取引組織に潜入する際のやりとりを聞かれたのだろう。痛いところを突かれ、どうやってはぐらかしたものか考える唐津だが、取り繕うのも今更かと思い直す。
「聞いてたのか」
「ええ。先輩が望まない以上、強制するのは看過しかねます」
「だが、奴があの調子だと任務に支障が出るだろう。どれだけ仕事ができても、誰かのフォローを前提とするのはきつい」
「そんなのは半人前の私が埋めればいいじゃないですか。先輩だっていつまでもその状況に甘んじる気は無いでしょうし」
即答だった。どうせ新人の間は先輩や上司のサポートを受けながらの任務となる。かりながここに配属されている間は支えてやれば済むことだ。
あらゆる不孝をなかったことにできたら、より合理的で満足度の高い社会になるかもしれない。しかしそれは共に生きた誰かが失われることを意味する。かりなが傷を残すように、透架も過去を手放すまいとしている以上、記憶を奪って皆が満足するという言い分は傲慢だ――。
かりなの主張に対して唐津は肯定も否定もしないまま、ディスプレイに映る気象情報を眺めている。近隣の県では数時間前から大雪によって交通機関が麻痺し、積もった雪によって道路が凍っているらしい。
「しかし、BABELもわざわざ透架を狙うのはどういうつもりなんだか……」
引き抜ければ塵劫局の弱体化とBABELの戦力増強を果たせて一石二鳥だ。もし応じずとも、抵抗させて塵劫局の手で殺すように仕向ければ弱体化の目的は果たせる。
しかし透架である理由が腑に落ちない。元特務部で機密情報を知っていると言っても、現場から一年も離れていれば様々な鮮度が落ちる。
雨ケ谷の時は上手いこと合意形成されたようだが、敵対組織からのヘッドハンティングはリスクも高い。特に諜報員の引き抜きは二重スパイの危険性も孕む。透架がエージェントとして優秀なのは確かだが、そこまでして欲しいかと言われると疑問符がつく。そんな中、かりながある仮説を口にする。
「先輩って、司令部に報告していない『機能』がありますよね」
「……まぁな。透架から何か聞いてるか?」
「詳しいことは特に。ただ秘密にして欲しいと言われたことは……」
未解明活性現象「不可触」。
何の気なく問うたかりなに唐津は唇の前に人差し指を立てるジェスチャーで応じ、以降の会話を電脳通信に切り替えた。壁面のモニターがオフにされ室内からあらゆる音を遮断する。塵劫局にすら聞かれたくない秘密。
[確か廃工場でも使っていたな。確かにBABELの連中に気づかれてもおかしくはねぇが]
[一体どういう由来なんですか? 塵劫局にも報告されていないようですけど]
唐津はコンロの火を止めてから、かりなが手をつけてないマグカップを指差し、冷める前に飲めと促す。音の少ない会議室で甘酒を啜る音だけが僅かに響く。
[ナノマシンが進化するって噂を聞いたことがあるか?]
ナノマシンの自己学習とそれに伴う進化。サイボーグに組み込まれたナノマシンは生物と同様の機能を備えている。故に何かのきっかけで学習、進化することがあり、その際に予測を超えた現象を起こすことがあるという。
[ええ。でも噂レベルの話で、人為的な進化に成功した例はないとも聞きますね]
[研究機関で正式に調べたわけでもなし、あくまで推測レベルの話だが。あいつがアレを覚えたのは一年前でな]
何かのきっかけ――その発生時期から推測される有力な要素は、親しい知人を喪った心因性ショック、あるいは右肘から先を失った身体性ショックだ。
[未解明活性現象は世界中の研究者が群がるネタだ。都市伝説と言いつつ、どこの研究機関も極秘裏かつ真面目に研究している]
[先輩が成功例だと知られたら不味いんですか? もしかしたら新しいナノマシン活性の開発にも繋がるかと]
[そうだな。やつの能力を「再現」するために、色々調べたり試したりするだろうな]
あらゆる科学は再現性が重視される。自分自身や物体の存在を希釈し、通り抜ける力――それが心身への強い負担から生じたものだとしたら? それを多くの研究者がこぞって再現しようとしたら?
その先はもはや動物実験と変わりあるまい。その過程で透架がどのような扱いを受けるかは推して知るべし。
[ですが、そんなものを任務で使ったら、周囲に見つかるリスクも高いのでは……]
[状況に迫られれば、そんなことも言ってられないだろ。使わなけりゃ、お前は今ごろ滅茶苦茶なことになってるんじゃねえの?]
[それは……]
自分を救うために使ったと言われたらかりなも反論に窮する。ここ数日で透架は何度か「不可触」を行使している。もし、雨ケ谷や亜夜乃がこの正体を見抜いたとすれば、積極的に取り込もうとするのも不自然ではない。
出頭命令の期限を過ぎれば透架はお尋ね者だ。亜夜乃のことだから、タイムリミットを過ぎて露頭に迷ったところで手を差し伸べ、選択肢を奪ったまま飼い慣らすつもりだろう。
だが仮にBABELが「不可触」を求めたとすると、一体何に使うつもりなのか?
[世の中、ろくな大人がいないからな……あいつには悪いが、忘れるものは忘れて、もう一度生き直させたほうがマシなんじゃないかと思っている]
[唐津さんの考えはわかりました。それでも私は先輩の意思を優先すべきと考えています]
[随分こだわるじゃねえか]
[当たり前です。先輩には色々面倒を見てもらいました。忘れられてしまったら、私は誰に恩を返せばいいんですか?]
今度は唐津が黙り込んだ。組織において合理性が人間性を置き去りにすることはままあることだが、それを飲み込めと言えないのがこの男だ。何よりその気質が自由人である為に、規則や権威で人を従えることを好まない。結果、どれだけ情報を集めて世界を知り尽くそうと、組織の中では微妙な立ち位置に留まるというわけだ。
かりなは言葉の消えた会議室から出ていくと、自分のロッカーから機械刀を取り出してバッテリーや刀身の整備状況を確認する。それが終わると、任務の命令もないのに戦闘用ボディスーツの着用を始めた。
[おいおい、どこに行く気だ? まさか司令部に直訴するつもりじゃねえだろうな]
[そこまで馬鹿じゃありませんよ。先輩の件も心配ですけど、唐津さんの話だと無尽桜を抑えにいく命令もありそうだなと思いまして]
[読みは悪くないが、そっちは既に司令部が手を回してる。いいからお前さんは待機してろ。必要になったらちゃんと呼ぶから]
唐津の報告を受け、今の無尽桜には司令部の命令で葉隠直属の戦闘ユニットが展開している。かりなと同型の活性プログラム「戦闘狂」を搭載した完全武装の強襲戦闘サイボーグが四人。人数は少ないが個々の練度は高く、ネットワークを通じて有機的に運用されている。いくらここが無尽桜に近いとは言え、新人のかりなにわざわざ声をかける理由はない。
冷たくなりかけた甘酒を流し込みながら、唐津の頭は現在の状況を俯瞰する。
――BABELはもう一度、無尽桜を狙う。
確かに雨ケ谷はそう言った。なぜか? そもそもそれは可能か?
中央管理棟の最下層。ナノマシン増殖炉周辺は大量の有害ナノマシンで満たされている為、テロの対象となり得る巨大な危険物であることは事実だ。
しかしナノマシンを生成する増殖炉本体は既に停止し、不正プログラムの混入を防ぐためネットワークからも切り離されている。隔壁は頑強極まりなく、外部から破壊するにしても、それなりの機材と時間は必要だ。何より増殖炉周辺はリアルタイムで監視されており、異変があれば即座に通知がくる。
つまり理論上、封印された増殖炉への物理的なアクセスは不可能に近い。だが、隔壁を「通り抜けて」最下層に至る方法があれば……?
まさか。
唐津の推測を確かめるにせよ、今は肝心の「本人」がいない。
それにしても今宵は寒い。やたら寒い。会議室でだるまのように動かず、座布団を温め続ける唐津が眉を顰めた矢先。館内の照明が一斉に消灯した。
一部のアクセスランプを除いたあらゆる光が失われ、周囲が闇に包まれる。




