21:蛇の毒
五分にも満たない動画が終わり、透架は渡された携帯端末を呆れ顔で弄ぶ。
「いやァ、ほんと出演料を取りたくなるわ。どうせなら感動的なBGMや泣ける演出をつけてくれてもいいんだけど」
情報漏洩単体ならまだしも、内通疑惑を喚起するフェイク動画の二段仕立て。たちが悪いのは、音声も動画もある程度事実ということ。透架が日頃から品行方正ならばまだしも、残念ながらお偉いさんからのウケは悪い。
「出演料ねぇ……あなたが私たちと契約してくれたら、即金で払ってもいいのよ?」
「いらねー。アンタらが嘘のクレームを入れたせいで、変な疑いをかけられるし、すげえ迷惑してるんだけど。クビになったらどうしてくれんの」
「ふふ、その時こそBABELに来ればいいじゃない。これでも上司や後輩は疑わずに擁護してくれると思ってる?」
「それはそれで仕方ないけどね。自分の信用がなかっただけの話で」
たとえ上から好かれずとも、日々の業務ではなんだかんだ責任を果たしている。
腕を組みながらふてぶてしく言ってのける透架に、亜夜乃は白々しい称賛を込めて手を叩く。細い裏路地にぱらぱらと拍手が反響した後、女は渡した端末を取り上げながら、透架の耳元で囁いた。
「何でも周囲に相談できて羨ましいわ。私なら共犯と見られたら堪ったものじゃないけれど」
共犯という表現にぞわりとしたものが背筋を駆ける。機密を知る元特務部員の離反。塵劫局も神経を尖らせている以上、唐津やかりなに要らぬ疑惑がかからないとも限らない。
――ここで十分やりたいことができてますから。
思い起こすのは河川敷で聞いた言葉。
半ばドロップアウト気味の唐津は兎も角、新人のかりなは組織の評価を気にするだろう。もし自分の存在が彼女の未来に陰を落とすとしたら――。
透架の不安を煽りながら、亜夜乃はコートの袖口に忍ばせた機械蛇と戯れる。
「私たちはあなたと争う気はなくて、むしろ手を組みたいのが本音。このまま出頭しなければ、塵劫局は命令違反としてあなたを処分するでしょう。でも、手ぶらで出頭して疑惑が晴れる保証はあるのかしら?」
「今どき動画なんていくらでも編集できるし、それだけで一次資料になるわけないじゃん? あたしが電脳の記録を提出すれば一発でチャラでしょ」
信憑性の怪しい動画を真に受けるほど、塵劫局だって馬鹿じゃない。それを確かめるための出頭命令であり、完全にクロと判断されているなら出頭を通り越して処分命令が下りている筈。
そんな透架の希望的観測を受けて、亜夜乃はこめかみの位置に掲げた人差し指で、くるくると円を描くようなジェスチャーを作ってみせる。
「あら怖い。あなたが出頭すれば、これ幸いと電脳を弄って記憶や自我を改ざんするかもしれないわねぇ」
「塵劫局は曲りなりにも倫理や道徳の組織ですぅ。悪逆非道でやりたい放題のBABELさんと一緒にしないでくれる?」
「あら、瑕疵があって特務部を外されたあなたでも、過去の機密データは保持してるでしょう。私が上司なら恐ろしくて放っておけないわ」
言葉に詰まった。特務部を離れて以降、記憶を消せと言われたことは幾度かある。それは睡眠障害の原因を取り除くという意味合いもあるだろうが、組織として扱い切れない人物を適切に処理することで、各種リスクを軽減する側面も否定できない。
それが塵劫局の理念、人倫や道徳に沿ったテクノロジーの運用と言えるかは別として――。
「瑕疵があるって、人を不良品みたいに言わないでくれる?」
「そうね。睡眠障害なら治る見込みもあるけれど……組織への忠誠心が低いようでは、むしろ致命的な瑕疵と言ってよいかも」
透架の苦情もどこ吹く風。亜夜乃の態度は終始余裕に満ちている。
恐らく塵劫局は透架の存在を持て余しているし、それは他ならぬ透架自身も感じている。不正を働いたわけではないが、かといって忠誠を尽くして働くでもない。勤務態度が悪い上に、一年も休職していれば上の覚えが悪いのも致し方ない。かと言って、クビにして一般社会に放り出すには何かと知りすぎている。
まったく、考えるほど居心地が悪くなる。こんな時は向こうが嫌がる話題にすり替えてしまうのが一番だ。例えば動画の信憑性が低いことは向こうだって気にしているだろう。透架は亜夜乃に取り上げられた携帯端末を指差し、鼻で笑ってみせる。
「なかなか手が混んでるけど、撮影したのはあんたの事務所でしょ? そもそも得体の知れないやつのタレコミを信用するわけないじゃん」
亜夜乃は動じることなくポケットへ端末を仕舞い込む。そして些細なことだと言いたげに肩を竦めて首を振った。
「馬鹿ね。のこのこ匿名で送るわけないでしょう。こういう時は信用のおける人物を騙るに決まってるじゃない。例えば飛崎かりなさん――ここ数日、あなたと一緒にいた後輩さんとかね」
出てきたのは、ついさっきまで同行していた少女の名。
仕事に意欲的かつ勤勉で、塵劫局への忠誠心も問題ない新人。透架との付き合いも短く、義理立てする理由もなければ、逆に透架を陥れる動機もない。となれば、嫌でも告発の信頼性は高まってくる。
無論、かりな自身がこれを否定すれば済む話であり、事情を説明すれば協力してくれるとは思う。しかし――。
「あの後輩さんは律儀そうだし、あなたが頼めば弁明くらいはしてくれそうね。でも、塵劫局としては面白くないでしょう。あなた個人の正当性が証明されたところで、塵劫局には何のメリットもないもの」
続く言葉が透架の懸念を言い当てた。組織にとって構成員は大切な資源であると同時に、忠実な駒であることが求められる。塵劫局にとって、現状は透架という資源を忠実な駒に戻す好機とも言えるわけで、下手に弁明されるくらいなら理由をつけて「再教育」できたほうが都合がいい。
口数の減っていく透架の様子を愉しげに眺めながら、亜夜乃はその背後に回り込むと、蛇が這うような仕草で左右の肩へと両手を添えた。
「塵劫局も社会の維持と言いつつ、都合の悪いことは隠蔽するのだから困ったものね。私たちはあなたが塵劫局に都合よく壊されないか心配しているの」
壊されるように仕向けておいて、よく言えたものだ。市長が辞任するに至った内部告発、あの一件をタレ込んだのは雨ケ谷だろう。透架が上半身を捻りながら肩の手を払うと、亜夜乃はコートのポケットから一枚のメモを取り出した。
「私と雨ケ谷はここにいるわ。二四時間を過ぎればあなたはお尋ね者か再教育でしょうし、どうせなら『思い出の場所』で良い回答を聞きたいものだけど」
透架にメモを押し付けるや否や、亜夜乃は身を翻して路地の奥へと向かっていく。
その背中を一瞥した透架は、スカートの下に手を伸ばして太腿のナイフを引き抜き、アンダースローで投げつけた。刃は宵闇に溶け込むシルエットへと向かい、乾いた金属音を立てるに留まる。女の靴音は変わらず刻まれ、それもやがて遠くなった。
穏やかだった日中から天候は傾き、分厚い雲が夜空を覆う。底冷えするような風が建物の間を吹き抜けた。予報通りの大寒波が迫りつつある。
「また明日、か……」
雑居ビルの壁に背を預け、路地裏で一人呟いた。交わしたばかりの約束を果たせそうにない自分がいる。
見慣れた銭湯の煙突が遠い。流れ込む冷気にナノマシンの青い固有パターンを散らしながら、透架の姿が環境に溶け込んでいく。
これからどうする……司令部に出頭する? それとも職場に行って唐津やかりなに相談する? 何をどう相談しろと言うのか。出頭期限を過ぎれば、塵劫局は芹沢透架という存在を危険分子として消しにかかるだろう。
――一生懸命生きてる後輩に餌やりをしているだけさ。
寒さで義手の継ぎ目が疼く中、思い出すのは御厨の声。彼が消えてから一年が経過しても、その存在はこの右腕に残っている。しかし透架が記憶を失えば、御厨との過去も失われるだろう。河川敷で美味しいコロッケにありついたことも、上長から詰られていた時に助け舟を出されたことも、死の淵において生を手繰ったその瞬間も――。
では、BABELの誘いに乗ればいいって? 塵劫局への忠誠はともかく、最低限の節操ぐらいは持ち合わせている。そして元より生きることへの執着などありはしない。
――消えたがりの君を、もう少し生き汚くしてやろうと思ってね。
再び義手が脈打った。生き汚くはならなかったが、この記憶には執着している。そこまで幸福や感謝に満ちた人生だったとは言わないが、自分を自分で居させてくれた人たちのことは消したくない。だが、この分だとそれも恐らく許されまい。
世界から消えることで生きてきた。今までも、そしてこれからも。単に御厨と出会う前に戻るだけだ。
闇に沈む路地裏で、娘は誰にも届かぬ逡巡を飲み込んだ。やがてその姿は夜の街へと消えていく。雪のちらつく中、一粒の青色を残して――。




