20:制限時間
日没の空が赤く染まり、街並みが影絵のごとく浮き上がる。十年に一度の大寒波とはよく言ったもので、流れ込む風が凍みるように冷たい。河川敷からの帰路。透架とかりなはまた明日、と約束を交わして別れた。
透架がひとりになってから数分後。どうも何者かに尾行されている気配がする。敵を作る商売と言えど、自分が抱えるのは雨ケ谷の案件だけだ。その雨ケ谷を追うことはあれど、逆に追われる覚えはない。
追跡者の心当たりがないことに内心モヤモヤしつつ、透架は気づかないふりをして人通りのない裏路地へ入る。そこから左右に角を曲がること数回。付かず離れずの距離を保って追跡者を誘いながら、タイミングを見計らって「透明化」で姿を消した。
対象を見失い、入り組んだ路地に取り残された追跡者は、挙動不審に周囲を見回す。小走りで進んだり、元来た道を戻ったりしても、目当ての姿は見当たらない。
その背後から密かに忍び寄った透架は、追跡者の頸に腕を回して引き込むと、その背中に片刃のナイフを押し当てた。
「!?」
「鈍いなぁ、まずは尾行そのものに気づかれたことを察しないとね」
心臓の裏側を探り当て、脅すようにナイフの峰を押し込んでやる。追跡者は中肉中背の青年男性。用件を吐かせるべく耳元でカウントを囁きながら峰への圧を高めると、苦々しげに声を絞り出した。
「『無骸』だな。司令部から貴様に出頭命令が出た。二四時間以内に司令部へ出頭しろ」
はて。雨ケ谷や亜夜乃の手下ならまだしも、塵劫局とはどういうことか。素行が悪いのは否めないが、出頭を要求されるほど怒られる理由もわからない。透架は怪訝そうな面持ちでセルリアンブルーの双眸を瞬かせた。
「何、アンタご同業? 所属どこ? 出頭の理由が聞きたいんだけど」
「知るかよ」
「腕が悪いくせに、態度も悪いってどうなの。任務失敗のついでに死んどく?」
ナイフの刃を立てて先端を着衣に埋め込みながら、徐々に力を加えていく。服の繊維がぶちぶちと切れていき、やがて先端が彼の皮膚を突き破ろうとした瞬間――
「わかった! ちょっと待て! 情報漏洩だ。増殖炉での活動記録が外部に漏れたことが判明した……その容疑者として、お前の名前が上がっている」
「はァ!? まったく覚えがないんだけど。ま、あたしに信用がないのは事実だけどさぁ……」
観念した追跡者は両手を肩の位置に上げると、全てを洗いざらい吐き出した。尾行技術は論外だし、この程度の脅しで音を上げるなら特務部ではあるまい。
あくまで今は容疑をかけられた段階に過ぎないと見る。覚えのない状況に透架は困惑しつつも、尾行していたのが塵劫局の者ならば、これ以上脅しても仕方あるまい。追跡者を開放し、安心しろと言わんばかりにその背中をぽんと叩いてやった。
そんな透架の態度を多少なりとも信用したのか、青年は振り返り様に言葉を残す。
「本当に覚えがないなら、早いところ釈明した方がいいぜ。お偉いさんたち、割とおかんむりだからな」
「はいはい、お仕事ご苦労さま。今度はフツーに話しかけてよね」
スカートの下、太腿のホルダーにナイフをしまいながら思案を巡らせる。唐津は帰っているだろうか。状況を確認すべく電脳にアクセスした瞬間、背後から艶のある声を耳にした。差し込む夕焼けを背に裏路地へと現れたのは、漆黒の黒髪を棚引かせた長身の女。
BABELの人事部――高峰亜夜乃。
「情報機関で機密漏洩の疑いなんて困ったものね。例えばハラスメントの相談窓口が当事者とグルだった……というのはままある事。こういう時の相談相手はよく選ばないと危険じゃないかしら?」
「耳聡いなぁ。盗み聞きしてたん?」
「蛇の道はなんとやら。市長さんの辞職絡みで、塵劫局にとって聞き捨てならない内部告発があったみたいねぇ」
増殖炉の記録が流出したことと市長の辞職。それがどう関係するのかわからず、透架は首を傾げた。一体自分に何の用か。周囲の気配から察するに相手は亜夜乃一人。事務所を荒らされたお礼参りにしては良心的だ。
「痛くもない腹を探られるのは癪だけど、火のないところに煙は立たぬってね。塵劫局も馬鹿じゃないから、フツーに釈明すれば問題ないし」
特務部に居たのは伊達ではない。情報の扱い方については散々叩き込まれているし、同時に情報に接した際の護身術というのも学んでいる。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず。要するに潔白かつ辻褄が合っていれば、追求の余地を与えることもない。
先刻遭遇した青年も、増殖炉での活動記録に関する情報流出と言っていた。当核の情報については一切外部と共有していないし、万一透架を嵌めようとして捏造されたものだとしても、そもそも増殖炉の封印現場に居た人物は透架を除いて二人しかいない。そのうち御厨が死亡扱いとなれば、残るは雨ケ谷一択だ。いくら透架の評価が悪かろうと、雨ケ谷を先に疑うのが筋というもの。
所属する組織から疑惑がかかっても平然としている透架に、亜夜乃はポケットから携帯端末を取り出して投げ渡した。その画面にはある動画が再生されている――。
※
数時間前。火桜の湯・別館の会議室。戻ってきた唐津は缶の汁粉を片手に、空間投影ディスプレイ経由で打ち合わせをしている。相手は塵劫局の司令部。先刻、雨ケ谷の暗殺に失敗したことも、彼から告げられた無尽桜へのテロ予告も洗いざらい報告したところで、ある議題が取り上げられた。
緋桜市長が辞職に至った件で週刊誌が嗅ぎ回っている。司令部の調べによると、無尽桜の事故で死者が出て、密かに隠蔽されたと言うタレコミがあったらしい。
一年前に増殖炉で起きたことを指しているのは明白であり、塵劫局としてはアマツと連携して裏から手を回し、情報操作などあらゆる手段で事態を収集するとしている。
問題はその機密情報を何者かが部外者に漏らしたことだ。当時あの場にいた者は、生存が確認された雨ケ谷と先に離脱して難を逃れた透架の二人。雨ケ谷は当然処分対象となるが、透架もまた事情聴取の必要があるだろう――。
という話の流れに、唐津はうんざり気味のため息を漏らした。雨ケ谷が匿名でタレ込んだと言っていたアレだろう。まったく、クソ仕事を増やしやがって。だが司令部からの確認は想定外の方向に向かう。
[「無骸」がBABELのエージェントと接触したと聞いているが、これは事実か?]
接触も何も、亜夜乃の事務所に殴り込んで戦闘に及んだのは事実だ。それは司令部だって承知しているはず。だが、ディスプレイに映し出された映像に唐津は言葉を失った。
※
「あなた、塵劫局なんて辞めて『BABEL』へ来ない?」
高くはないが落ち着きがあり、それでいてミステリアスなトーンの声。
エデンズ・トレードセンター、43階。セキュリティルーム内で向かい合うのは透架と亜夜乃の二人。カメラの位置は透架の斜め後方、彼女と同行していた者の視点を思わせる。
「どこまであたしのことを調べてんだよ……で、待遇はどうなの?」
人差し指と親指を合わせて丸を作ってみせる透架に対し、亜夜乃も微笑みながら同じポーズで応じてみせる。
「特務部の頃と同じくらい働いてくれるなら、今の5倍から10倍は余裕で出せるんじゃないかしら。給与はもちろん、福利厚生も手厚いわ。BABELの最新テクノロジーでよく眠れるお薬を処方してあげる」
「いやぁ、あたしもいい加減ブラックな労働環境から開放されたいんだけど」
「BABELは求めるのは『人財』。優秀かつ組織の理念に合っていれば誰でも受け入れ、その分の要望もしっかり聞き届ける組織。つまらない大義や目先の成果で御厨を切り捨てるような塵劫局とは違う」
※
ぱっと見では、動画・音声ともに編集の痕跡は見受けられない。また、動画内の透架がBABELの勧誘にはっきりと応じているわけでもない。
このご時世、限りなくリアルに近いフェイク動画など、簡単に生成できてしまう。こんな動画一本を真に受ける塵劫局ではないが、情報漏洩の疑惑も絡むとなれば、極めて間が悪い。
「この映像はどこから?」
[数時間前に飛崎が告発してきた。新人ながら忠誠心の高さは評価できるな。彼女に免じて、
君の監督不行届は大目に見よう。ただし二四時間以内に出頭しなければ、「無骸」こと|芹沢透架は懲戒処分となる]
なるほど。動画におけるカメラの位置はかりなの視点を思わせるし、かりなが自らの電脳に記録した情報を提出した形に見えなくもない。
しかし、だ。仮に映像が事実だとして、かりなが上司の唐津を差し置いて司令部に報告するとは思えない。そもそもこの会話を黙って見ている性格でもない。まずは透架とかりなを呼び戻し、事実確認を固めるのが最優先だ。
「……承知しました。『無骸』について飛崎は何か言ってましたか?」
[特に何も。それより奴は一度、記憶を消したほうがいいと思うが]
嫌なところを突いてくる。司令部の相手も気分的にはクレーム対応と変わらない。こういう時は仰るとおりです、きつく指導しておきます、と適度に頭を下げつつ落とし所を探っていくのがセオリーだ。
「それが最近調子を上げてまして。先日の潜入調査では、飛崎と上手くやってたんですがね。記憶消去はリスクも伴いますから」
[君が頑なに庇うものだから黙っていたが、貴重な人的資源を一年も遊ばせていたのでは、示しがつかんよ。君の技術は評価しているが、もっとチームの成果を考えて貰いたいものだ]
居心地の悪いミーティングを愛想笑いで終わらせた後、唐津は歯噛みした。あの様子だと、透架が素直に出頭しても強引に記憶を消される可能性がある。透架の評価が悪いのはあくまで組織に従順ではないという一点であり、それさえ無ければ非常に優秀なエージェントなのだ。
かと言って、使えないから記憶を消すなどと知れたら、透架の中における司令部への心象が悪くなる。換えの効く駒だと割り切るならそれでもいいが、透架の能力は特殊だ。その気になれば、物質透過能力を行使して塵劫局から逃げ出すことは十二分にあり得る。御厨の件で遺恨を抱えている以上、容易にBABELに靡くとは思えないが、行き場を無くしてしまえば背に腹は変えられまい。
恐らくそれこそが――奴らの狙いだ。




