表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/33

2:透明人間の憂鬱

「うっわ、マジか……」


 ぴくりとも動かない対象に透架は唖然とした。裏口から回り込んだのだろう。フロアを挟んだ対角の位置に、深紅色のショートパンツと黒のハイネックインナー、その上にカーキ色のミリタリーコートを羽織ったかりなの影が見える。しかし判断に迷っているのか、状況を窺うだけの指示待ち状態で固まっている。


[いやぁ、えらいことになったな]


 透架の視覚を通じて状況を見ていた唐津が、他人事のような感想を漏らした。


[……とりあえず生きてるかどうか確認しとく?]

[そうだな。先輩らしく手本を見せてやれ]


 手本などと言われると別の意味で緊張を強いられる。透架は嫌そうな顔をしながらも「透明化(インビジブル)」を解除して対象の傍へと近づいた。不意打ちに警戒しながら、倒れている男を仰向けに転がし、呼吸と瞳孔の反応、頸動脈の拍動を探り……いずれも無いことを確認する。

 男の顔は虚ろな無表情。争ったり、苦しんだりした様子はない。建物内で声や物音は聞いておらず、この短時間で猪狩が第三者と遭遇した可能性は低い。


「心臓止まってるし、めっちゃ死んでるんだけど。これガチで急死?」

「逃走中の犯人が暴れているうちに突然死する、ということは稀にあると聞きますが……」


 転倒した際に顔面をぶつけたのだろう。腫れ上がった鼻から出血している以外は目立った外傷もなく、体温もまだ残っている。ついさっき死にましたと言わんばかりだ。それまで身構えていたかりなも困惑混じりに歩み寄ってくる。


[オーケー、手間が省けていいじゃねえか。とりあえず死体漁りだな]


 日没を迎えた建物で小型ライトが視界を保つ。眺めるだけの上司は気楽なものだとボヤきながら、透架は本日何度目かの欠伸を我慢した。

 ライトの先では片膝を立てたかりなが所持品を調査している。戦闘を前提に出動したのだろう、その腰には大小二本の機械刀が提げられている。透架より二歳程年下だが、背が高く手足も長い。後ろで一纏めにした煉瓦色のミディアムヘアと赤い瞳。年齢より大人びて見える顔立ちもあって、二人で並ぶとどちらが年上かわからなくなる。

 死体をどれだけ探ろうと、目ぼしいものは見当たらない。身分を証明するものはおろか財布すらない。事件の具体的な内容を聞かされていない透架は、投げやりな口調で質問を投げた。


「なーんも出てこないんだけど。そもそも今回は何が盗られたの?」


 彼らが属する塵劫局(じんこうきょく)は、既存の情報機関や警察組織のように他国や犯罪者を相手にするものではない。

 禁忌テクノロジー――倫理や道徳面で社会に悪影響を与え、人類の存続を脅かすとされる最先端技術。それらの開発・利用を監視し取り締まる非公式の情報機関。それが塵劫局(じんこうきょく)である。透架をはじめとする職員たちは大なり小なり先端テクノロジーの恩恵を受けており、それを駆使して任務にあたる。ナノマシン活性「透明化(インビジブル)」もその一つだ。

 そんな職場故に、透架自身も唐津の言う「ちょっとした」盗難事件で済むとは思ってなかったりする、のだが……。


[一昨日、通報があってな。研究機関からナノマシン増殖炉の触媒が消えたんだとよ]


 しれりと告げられた事実に透架は目を丸くした。

 ナノマシン増殖炉。事前にプログラムしたナノマシンを、超高速で自己複製させる設備である。医療やエネルギーに環境改善など、広範囲の用途が見込める技術だが、制御面や安全性での課題も存在する。盗まれたのは増殖炉の稼働に要する一パーセントにも満たない量だと言うが、僅かであろうと技術を悪用される懸念は付きまとう。


「何、その重大案件。リハビリがてら片付くレベルじゃなくない?」


 暗闇と寒さが眠気を誘う中、安請け合いしたことを後悔した。下手をすればテロ犯罪に繋がる事件であり、盗まれた触媒は地獄の底まで追いかけて、一粒残らず取り返す羽目になりかねない。復帰早々面倒なことになったと、透架はうんざりした気分で欠伸を漏らす。


 人が緊張を維持できる時間には限度がある。特に物事が滞りなく終わると感じるタイミングが危ない。一通りの調査を済ませたかりなが、撤収を意識して周囲を見回す。二人の注意が死体から逸れた瞬間――頃合いを見計らっていたかの如く、猪狩の肉体が跳ね起きた。

 不意を突かれた透架の前で猪狩はかりなに肉薄する。狙いはその腰にある脇差サイズの機械刀。男はその柄を握って鞘から抜き取ると、かりなの腹部目掛けて一直線に突き出した。


「な……ッ!?」


 予備動作抜きの手際よい奇襲だが、かりなは即座に胴体をひねってこれを凌ぐ。串刺しこそ免れるものの、刃筋がかりなの左脇腹を浅く掠めた。なおも猪狩は追撃の手を緩めず、手繰り寄せた刃を水平に振りかぶる。


「かりな、下がって!」


 両者の間に叫ぶ透架が割り込むと、右腕の義手でその凶刃を受け止める。耳障りな金属音が響き、接触による摩擦熱で白煙が棚引く。睡魔のせいで頭の芯が重い。起きろと自身に言い聞かせながら、透架は奥歯を噛み締めた。


[どうなってんだ! 死亡確認してねえのかよ!?]

「したってば! つーか、こいつ絶対サイボーグなんだけど! 出力おかしいって!」


 音量無視の怒声が電脳に刺さり、顔を顰めた透架が実音声で叫び返す。

 猪狩の膂力は未改造の人間を大きく凌駕する。それも戦闘特化のサイボーグに近い。話が違うと思ったところで、もう遅い。

 唐津への対応で注意が散漫になった隙に、猪狩は透架の腹部目掛けて前蹴りを叩き込む。衝撃で呼吸が詰まり、苦痛が全身を強張らせる。それでも後方へふっ飛ばされる寸前、透架は掬い上げるような軌道で男の手首を蹴り返した。その手から解放された脇差が縦に回転しながら宙を舞い、落下の勢いによって木製のパレットへと突き立つ。続いて透架本人は背中からフロア内の棚へと激突して停止した。


「が、は……ッ…………ぐ……!」


 肺から空気が漏れ、殺しきれない呻き声が出る。ここは「透明化(インビジブル)」で姿を隠し、仕切り直して奇襲を狙う……そう考えていた透架の脳天に鈍い衝撃が走った。目から星が出るような激痛に続き、頭から右半身にかけて液体を浴びたような妙なぬめりを覚える。更に一拍の間を置いて、ぐわんぐわんと空っぽの金属容器が立てる騒々しい物音が響き渡った。


[なんなんだっ、つの……!]

[あーあー。コントみたいな真似しやがって。棚の残置物だ。気をつけろ]


 畜生、あんまりだ。唐津に促されて周囲を窺うと、近くに転がったペール缶から黒い液体が漏れ出ている。臭いから察するに機械油の類だろう。酸やアルカリじゃないだけマシだ。自身に言い聞かせながら透架は身体を起こすものの、油に靴底を取られて尻餅をついた。

 猪狩は依然として健在だったが、その表情は相変わらずぼんやりしたもので、思考や感情といったものが読み取れない。

 身動きの取れない透架に代わり、横合いから抜刀したかりなが斬りかかる。少女が手にした機械刀は約十年前から普及した武装で、古来より受け継がれてきた日本刀の鍛造方法に最先端の材料工学を融合させることで、刀身の硬度、耐久性、柔軟性が飛躍的に高められている。だが特筆すべきはその殺気。それなりの鉄火場を潜ってきた透架が息を飲む程、その太刀筋は攻撃的で荒々しい。

 かりなの猛攻に猪狩は一旦防戦に回る。男は暫く回避に専念していたと思いきや、刀のリーチや攻撃のタイミングを読み取ると、紙一重で躱しながら反撃に転じようとする。見た目からは想像のつかない学習能力。透架の視界を共有していた唐津が警告する。


[読まれてるぞ、突っ込みすぎる前に止めろ!]


 後退していた猪狩はその場で跳躍すると、天井のチェーンブロックから垂れ下がる大型のフックを掴んで、かりなを牽制するように投げつける。

 その軌道を見抜いたかりなは即座にサイドステップで往なすものの、弧を描くフックはその奥にいる透架を狙う。機械油が右目に流れ込んで視界の覚束ない透架は、こめかみにフックの直撃を食らい、もんどりうって倒れた。


「先輩!?」


 自分の回避が裏目に出る――周囲の状況を把握せず、部分最適に徹した結果がこれだ。かりなが動揺を見せた隙に、猪狩は積み上がったパレットの山を荒々しく崩した。目測が狂ったかりなの斬撃は空を切り、パレットの雪崩に巻き込まれる形でかりな自身も下敷きになる。

 轟音が一帯を揺らし、舞い上がった埃が静まる頃、猪狩は倒れ伏したかりなをパレット越しに踏みつけながら、透架に挑発気味の一瞥をくれた。


「クソが……!」


 手強い。想定の甘さは否定しないが、それにしたって手強い。頭痛を堪えながら透架は男を睨みつける。そもそも透架は姿を隠しながらの奇襲や一撃離脱を得意とし、正面からの近接戦は本分ではない。しかし今の透架は動くだけで機械油の跡が残り、「透明化(インビジブル)」は事実上封じられた状況にある。


[妙だな……]


 部下たちの苦戦に唐津が呟く。生きたサイボーグ同士ならまだしも、遠隔で死体を操作するには各種生体信号までリアルタイムでプログラムする必要がある。つまり命令の入力に伴い、それなりのタイムラグが生じる筈……にもかかわらず、透架とかりなの両方をあしらいながら臨機応変な戦術を構築するのはどういう技術か。

 もし猪狩の電脳が生きていれば、その補助によってシームレスな操作が可能になるかもしれないが、透架たちの死亡判定に誤りがあったとも思えない。そんな思考を見越したかのように、眼前の男は乾いた声で「嗤った」。


「あの『無骸(むがい)』が酷いザマだな。部下の前でとんだ醜態じゃないか」


 骸無き者という辛気臭い名を耳にして、透架は露骨に眉を顰めた。無骸――一年前、配属が変わった際に捨てた、嘗てのコードネームである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ