表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/33

17:リフレイン

 彼方から聞こえる電車の音。散歩道を行き交う子ども連れや老人の声。ぽかぽかとした暖かな日差し。冬の河川敷――薄目を開いた透架は、傍らを見て絶句した。


「どうした、早く食いたまえ」


 黒髪碧眼の青年が丸メガネの縁を上げ直し、二人の間には買ってきたばかりのコロッケ詰め合わせが鎮座する。困惑気味の透架が遠慮していると思ったのだろう、青年は包装紙にくるまれた一つを無理やり押し付けた。


「あの、お金払うけど……なんか悪いし」

「君は無粋なやつだな。先輩の奢りはありがたく食うのが礼儀とは思わないか?」

「ぇ、えー……」

「炭水化物を揚げる背徳感。カロリーは元気の基本。拷問部屋に何時間もいたら腹だって減るだろう。それともストレスで胃に穴が開く繊細なタイプかね?」


 拷問部屋。窓のない面談室を揶揄しながら、二人は並んでコロッケを齧る。ほくほくの芋は仄かに甘い。一つ平らげたところで、胃袋と本能がもっと欲しいと要求する。御厨が言うように空腹なのは確かであり、遠慮という社会的な理性が外れた途端、透架は次から次に手を伸ばしてばくばくと頬張り出す。

 御厨はその様子を呆れ半分、面白半分に眺めている。


「腹が減るのは結構だが、まるで欠食児童だな」

「まぁ、その……こういうの食べるの初めてなんで」

「確かにスペシャルなコロッケなのは確かだが、君は普段から何を食っているんだ」

「一日で七〇〇〇カロリー、うちタンパク質が一五〇g、ビタミンAは一四〇〇μg、ビタミンCは二〇〇Mg……」


 趣旨を外しまくった回答に青年は呆れ顔でツッコミを入れる。


「それは飯じゃない、ただの数字だ。もっとあるだろう、肉とか寿司とか甘いモノとか……」

「PFCのコンプリートバーかな。月曜は黄色、火曜は緑、って決めてるけど。特注で頼んでるから腹持ちはいいよ」


 女子とは思えぬ回答に御厨は頭を抱えた。PFC、フードパフォーマンス社の略。サイボーグ向けの合成食を製造する最大手であり、全ての栄養素を固めた棒状の機能食品で知られている。彼の心境を喩えるなら、好きな食べ物を聞いてプロテインと言われた時の気持ちに近い。

「君は別に舌や胃袋までサイボーグ化したわけじゃないだろう。美味いものを愉しむ嗜みはないのか?」

「食事は消化してエネルギーに変えるのが重要で、美味い不味いは二の次って教わったんだけど……でも、美味しいものっていいよね。消化効率はともかく、なんか幸せな気がするし」


 透架の身体は七割がサイボーグだが、骨格や筋肉といった運動性能に関わる部分と脳神経系、循環器系が重点的に置き換えられており、消化器官はそのままだ。故に普通の食事を味わうこともできるはずだが、そうした体験は希薄だった。


「仕事柄、何でも食えるのはいいことだが、物を食うとは我慢することじゃない。不味い飯が当たり前になったら味気ないだろう」


 旨い飯を食え。自分の感覚を大事にしろ。御厨の説教を呆けた顔で聞いていた透架は、首を傾げながら恐る恐る問い返す。


「ありがとう。我慢できないんで最後の一個食べていい?」

「……どうぞ。ほんと燃費悪いな、君は」


 こうしてコロッケの山を平らげた透架が礼を言い、御厨は満足そうに頷いた。食後のまったりとした時間が過ぎゆく中、前々から――それこそ異国の地で救われたあの日から、聞きたかった疑問を言葉にした。


「思ったんだけどさ。御厨さんは、どうしてあたしの面倒を見てくれるの?」


 情報を集めて報告し、役目を終えたら消える。洗練された道具になるよう躾けられた透架だが、あの場所で救われて以降、御厨から面倒見という名のちょっかいを出されている。それ自体は別に嫌ではなかったが、その理由に心当たりがない。

 

「ああ、ただの道楽だな」

「道楽!?」

「そうとも。見返りは全く期待してないから安心したまえ」

「そう言われるとなんて言うか……ちょっとぐらいは期待して欲しいんだけど」

「一生懸命生きてる後輩に餌やりをしているだけさ。消えたがりの君を、もう少し生き汚くしようと思ってね」


 そんなことを言ってたくせに、先に消えたのは御厨だった。

 残された自分は生き汚く、かつての記憶に固執している――


                   ※


 体温を感じ取る頬。あたりを窺う寝ぼけ眼。薄っすらと開いた視界にかりなの横顔が見えた。色白で整った顔立ちだが年齢よりも大人びて、可愛いと言うより美人に近い。透架は寄りかかった先の肩で眠っていたことに気づくと、慌てて跳ね起き背筋を伸ばした。日が傾きかけているのに、かりなが動いた気配は感じ取れなかった。現在時刻から逆算すると、かれこれ二時間近く寝ていたことになる。


「眠れました?」

「ごめん。起こしてくれてよかったのに……」

「よく寝てたので」


 寝起きの頭で周囲を見回し、状況を把握する。当然だが御厨の姿はない。今朝に続いて、どうしてあんな夢を見たのか。娘はふわふわとした夢の残渣に思考を委ね――。


 あ、そうか。

 今の自分は彼と同じことをしているのだ。


 慕ってくれる後輩の、現在と未来を寿ぐということ。

 記憶を辿っていた透架は深くため息をついた。そうして互いに物言わぬまま時が過ぎ、先に口を開いたのはかりなだった。

「先輩はどうして塵劫局(じんこうきょく)に来たんですか?」

 思わぬ問いにセルリアンブルーの双眸をぱちくりと瞬かせてから、透架は肩を竦めてみせる。


「さぁ? 物心ついたら存在してたって言うか――いわゆる孤児だった、みたい」


 伝聞なのは以前の記憶がないからだ。

 情報機関において能力と信頼を兼ね備えた人材確保は重要である。まして塵劫局(じんこうきょく)のような非公式な組織では尚更のこと。そこで身寄りのない子どもを集めてサイボーグ化し、技術や思想などの教育を施すことで組織に忠実な手駒とする……人権にうるさい団体が見たら卒倒しそうな仕組みが、塵劫局(じんこうきょく)の人事部内に存在する。


「消え方。逃げ方。戦い方。盗み方。隠し方。壊し方。騙し方。奪い方。殺し方……大体のことは教わったし、そこは感謝してるんだ」


 透架はエージェントとしての優秀さと、ナノマシン活性の性質から特務部に配属された。

 極秘の作戦から塵劫局(じんこうきょく)内の監視まで。この部署は組織内において公にできない任務を取り扱う。故に他部署からは頼られる反面、疎ましがられることも多い。それでも当時は人類の守護と社会の維持という組織の理念を信じ、その為に生きて死ぬのだと素で思っていた。だが――。


「でも、やらかしてからあたしはポンコツになっちゃったからなぁ。かりなはなんかやりたいことある?」


 ポンコツ。睡眠障害もあるけれど、組織への不信を抱いた時点で、塵劫局(じんこうきょく)における透架の存在価値は著しく劣化したと自覚している。

 今だって塵劫局(じんこうきょく)の掲げる理念は間違っていないと思っている。だが、個人の幸福を犠牲にしてでも守ることかと問われるとわからなくなる。

 あの日、騙し討ち同然で御厨を捨て駒にされたことは納得していない。しかし騒ぎ立てたところで、小娘風情が何を言うかとあしらわれるのがオチだ。だからこの義憤を飲み込みはする。しかし忘れはしない。

 透架が自らの立ち位置について言葉を濁す一方、質問を返されたかりなは考え込んでから真顔で答えた。


「私は……ここで十分やりたいことができてますから」


 葉隠への配属を希望していたのに? と聞きかけて口を噤んだ。こんな場末の支部でやりたいこととは何なのか。


「えー、人生もっと楽しまないと損じゃない?」

「正直、私は昨日のような連中を潰せれば満足なんです。悪くないですよ、ムカつく奴を殴るのは」


 露悪的に告げた少女はシニカルに笑った。しかしその表情や仕草を透架は作り物だと見る。優秀さや意志の強さに隠れがちだが、真面目な子というのは傷だらけだ。まるで復讐こそがライフワークだと、自身を戒めるようなかりなの主張に考え込む。


「いやぁ……その面白さは判らなくもないけど、仕事以外にも楽しいことってあるじゃん?」

 透架だって人に値札をつける奴らはくたばればいいと思っている。でも、それ以上にかりなはもっと幸せになればいいのにと願う。なのに凡庸な問いかけしか出てこない。こんな時、御厨ならば上手いことを言ってくれるだろうに。

 そんな透架の内心はさて置き、かりなは仄かに笑ってみせる。


「なんせ社会を知らないので、どんな楽しさがあるのかわかりません……なんだったら、また教えてください。変な裏道とか、美味しい惣菜屋さんとか?」


 川の水面に傾きかけた陽が反射して輝く。少しずつ冷えてきた風が寝起きの頭に心地よい。二人して同じ方向を眺めながら、とりとめのない会話は続く。


「先輩」

「なに?」

「色々教えていただいて、ありがとうございました。このお礼は必ず……」


 生き急ぐ後輩に、消えたがりの自分。

 そこそこブラックでなかなか理不尽な職場だが、少しでも日々が楽しいものであるように。御厨の見せてくれた背中を思い起こしつつ、透架は先輩風を吹かせようとする。


「いいよ、見返りとかいらないから」

「何言ってるんですか、お世話になった分は返さないと私の気が済まないんですけども」

「いや、いいって。こういうのは別に道楽だし」

「道楽って言われても、なんか期待されてないみたいじゃないですか?!」


 御厨の真似をしてみたものの、透架と違ってかりなは真面目だ。倍にして返す、返さないと、人目も憚らず妙な言い合いが始まり、互いがムキになりかけた矢先。ふと表情を緩ませた透架が蒼い瞳を細めながら告げる。


「だったら自分のこと――価値がないから売られたなんて言わないでよ」


 真面目な話も、しょうもない言い合いも、全てひっくるめて慈しむように――煉瓦色の髪に左手を伸ばすとくしゃりと撫でた。

 御厨がいなくなってから、透架が穏やかな眠りを得られたのは初めてのことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ