14:滴る彩度
痛い、やばい、死ぬ。
「見つけたか?」
「いや、こっちにはいない」
「クソが! あのガキ、殺してやる」
痛い、やばい、死ぬ。血が止まらない。
「そう遠くには行ってないはずだ」
「血の痕があるぞ、近くを探せ」
己を探す声がする。
電気ボックスがあちこちに配され、赤や緑のケーブルが壁や地面を這い回る異国の裏路地。青や黄色のネオンサインで彩られた区画の最奥。ダストステーション近くのマンホールを下りた先には、内壁の劣化した下水道が広がり、生命と欲望の腐敗した空気が充満する。
排水音に混じって微かな呼吸が聞こえてくるが、その主は光学的に姿をくらますナノマシン活性により辛うじて追跡者の目を逃れている。
やらかした。へまをした。相手は海外に拠点を置くサイボーグ向けの違法臓器ブローカー。敵地の真っ只中。政情不安な国につき現地の協力など得られない。このまま生きててもろくなことにはなるまい。息を殺し、傷口から溢れ出る血を堪えながら、ひたすら意識が途絶えるのを待つ。「透明化」はちゃんと動いているはずだが、透架の頭上に伸びる通路では血眼の追跡者が飢えたハイエナの如く徘徊している。
盗聴防止のために電脳通信も切った。立ち上がる余力はどこにもない。寒い、眠い、お腹が空いた。これも退路を断たれた自分が悪い。死ぬのは致し方ないが、結構な深手を貰っているのに中々死なないのも性質が悪い。
これが正規軍の戦場なら投降という選択肢もあるだろうが、非公式組織のエージェントにマトモな身分保証はない。あの手この手で情報を搾り取り、使用価値が無くなった時点でエゲつなく処分されるのがオチだ。
壁に添えた耳が靴音を拾った。隠形術の混じった歩法。同業だとすれば厄介だ。苦痛も不満も多々あるが、それ以上に消えてなくなりたい。足音は確実に近づいてくる。通り過ぎろと祈りながらも、いっそ殺してと願う矛盾。
息を潜めて静かに絶えるか、暴れて殺して縊られるか。脳裏にこびりついた自問自答を繰り返すうち、白い思考は一つの結論に辿り着く――せめてマシな死に方をしたい。
「おい、起きろ! 生ゴミみたいに死ぬんじゃない」
近づいてきた男は下水道の一角、パッと見だと何もない位置で足を止める。黒髪とメガネの若干気難しそうな青年。聴覚と嗅覚に優れた特務部員「猟犬」である。心臓の拍動や呼吸音といったバイオメトリクスから透架の位置を探知したのだろうが、チームは既に撤退命令が出ていた筈。なぜ、という問いは喉に貼り付いて声にならない。彼は手負いの透架を背負うと音もなく下水道を走り出した。
やがて気づいた追手が集まり、銃声がぱらぱらと反響した。生と死の狭間で背中の温度を感じる。先程まで死に方ばかり考えていた自分だが、この背中だけは無事に返したい――朦朧とする意識において、娘の願いは青い燐光となって現れる。行使されたナノマシン活性が逃走する二人の姿を隠し、獰猛な喧騒は徐々に諦めから静寂へと移ろっていく。
※
帰国して数日後、透架は直属の上長に呼び出された。塵劫局の司令部内にある面談室と呼ばれる部屋。年季の入った机と古びたパイプ椅子しかない空間で、上長は冷ややかな目でこれを咎めた。
「何故、戻ってきた?」
特務部のエージェントは肉体から知識に至る全てが機密の塊だ。敵による捕獲、投降、離反といった行為は最も忌み嫌われる。故に援護や救助が不可能になった時点で、自ら死を選ぶのが掟だ。野蛮だの前時代的だの言われるかもしれないが、そもそも腹を切ることで責任を取ってきた民族の末裔である。サイボーグが自爆したっておかしくはあるまい。
それはさておき。ただでさえ窮屈な面談室は、窓もなければ照明も小さく閉塞感が半端ない。上長の詰問に、透架自身どうして生きていたのだろうと考え……。
「すみません」
死にたかったのは確かだが、どうにも生きてしまった……としか言いようがない。よくわからないくせに、求められるまま謝罪を述べる。卑屈だなと我ながら思うが、もちろんそんな詫びでは収まらず、上長の毒吐きは続く。
「退路を断たれた時点で判断しなかったようだが。お前を救出するために、要したコストとリスクがある。それを考えたことはあるか?」
救出は割に合わない=死んでいたほうがマシということであり、組織全体の利益を考えればごもっともなのだが、怒られたところで弁明に困る。次はちゃんと死にますとでも言えばいいのか。それとも逆ギレついでに腹でも切ろうか……回答に困って黙り込んだ矢先、面談室の扉が音を立てて開いた。何かを嗅ぎつけてきた御厨がずかずかと入り込み、文脈を無視して話に割り込む。
「あぁ、いたいた。コスト分は働いて貰わんとな」
御厨は強引に透架の襟首を掴んで立たせると、何食わぬ顔で室外へ連れ出そうとする。説教を中断された上長が机を叩いて怒鳴った。
「おい! 話は終わって……」
「お疲れ様です。任務があるんで『無骸』を借りたいんですがね」
「だから話が……」
「こいつを拾ったリスクは俺が払っているわけで、その分は働かせて取り返したいんですが。だらだらと反省文を書かせるより生産性もいいでしょう」
御厨はしれっと言い切り、引っ張った娘ごと面談室を後にした。部屋に残された上長の怒声が彼方で響き渡る。
そのまま二人は廊下を進んで階段を下り、勤務時間にもかかわらず裏口から通りへ出てしまう。仕事で自分を借りたいと聞かされていた透架は面食らいながら、青年を見上げた。
「あの、任務があるって……」
「あるとも。旨いものを食うために行列に並ぶ仕事だ。付き合いたまえ」
※
朝の光が差し込んだ。誰も居ない火桜の湯・本館のソファーで透架は目覚める。悪夢より遠い過去のこと。頬で乾いた涙の痕跡――。
正面玄関の引き戸には「臨時休業」の張り紙が出ている。客のない室内は振り子時計の音が刻まれ、離れの方角から話し声が聞こえてくる。
「これすごいですね。めちゃくちゃ治りが早いんですけど」
昨晩の任務で負傷したかりなが、実験室に設置した五右衛門風呂から出てきた。
唐津が考案したサイボーグ銭湯の裏メニュー。細胞修復ナノマシンを大量に使い、どんな重傷でも数時間から数日で全快する薬湯である。かりな自身の回復能力が高いこともあるが、想定以上の報告に会議室でくつろいでいた唐津も満足げに頷く。
「家族風呂みたいにして、高く売り出すのも悪くないな……」
「ある種の湯治ですよね。腰痛や肩こりにもいいんじゃないですか?」
「痛みは?」
「全然ないですね。肋骨もくっついたんじゃないかと」
「……いくらなんでもそれはねぇだろ。あと半日は暴れるなよ」
浴衣姿のかりながバスタオルで髪を拭いていると、本館からウキウキ顔の透架がやってきて、大きく手を振ってみせた。
「うぃーす、湯上がり美人。髪のツヤ良くなってんじゃん! かりなが出たなら、次入っていい?」
美容と健康のうるおいナノマシン温泉と聞き、透架は着ていたパーカーのジッパーを下ろしている。唐津はそれを呆れた素振りで眺めながら、にべもなく言い捨てた。
「ナノマシンはかりなの身体に合わせてプログラムしている。下手に入ってエラーが起きても知らねえぞ?」
「それじゃ、あたしのも作ってよ。毎日入るから」
「ばかたれ。必要量のナノマシンを個人にチューニングするのに、どんだけコストがかかると思ってんだ。大体お前は無傷じゃねえか」
「えー! コスト、コストって、昨日はちゃんと仕事したし。福利厚生ぐらいあってもいいじゃん!」
それを見ていたよかろうもんが、冷蔵庫からコーラを取り出して透架に差し出す。
「フクリコウセイ! イチニチ、イッポン!」
「いやいやいやいや! あたしの扱い、めっちゃ酷くない!?」
文句たらたらで栓を抜いた透架は、冷えたコーラを喉に流し込むと、昨夜の話題を切り出した。特にセキュリティルーム周辺は外部との通信を阻害する構造であり、唐津との情報共有が行き届いていない。だが犯罪組織に潜入して情報を奪ったという報告も、この娘にかかると盛りに盛って誇張される。
「……そこから奴の罠を見抜いた透架さんがさ。ピンチのかりなをパパーンと救い出すわけよ。小細工の好きそうな女狐でも、勇気と知性じゃあたしの敵じゃないよね。で、一度忍んだら、後は野となれ山となれ。そこにかりなの処理能力があれば、データなんて抜き取り放題。まぁ、そこに奴が来ちゃうんだけど、かりなとあたしの息の合ったコンビネーションがあれば、ちょろいもんだよね……」
…………
……
インスタントココアのマグカップに唐津が熱湯を注ぎ、かりながスプーンでかき混ぜている。遊園地の感想じゃねえんだぞ、と唐津は小さくボヤいた。
「かりな……簡単でいいから、後でまともな報告書をくれ」
「畏まりました……と、先輩。『彼』のことも報告したほうがいいのでは?」
それとなく促されたのは、セキュリティルームで見かけたポッドと少年のことである。忘れていたとばかりに手を叩いた透架は、実験室の方角を指差しながら言葉を続けた。
「あー、そうそう! さっきのお風呂じゃないけど、昨日もあんな感じのがあってさ。多分セットアップポッドかなぁ……あれに入ってるのは免疫賦活剤だっけ?」
ロールアウト直後、所謂できたてホヤホヤのサイボーグは免疫力が低下しているため、初期設定時は免疫賦活剤が充填されたポッドで回復を促進するのが常だ。しかしあの少年は全く動いていなかった。死体かもしれないと思う一方、死体の免疫を心配してどうするのかという疑問もある。果たしてあの部屋にいた彼は何なのか――報告も兼ねて共有された映像に、呆れ顔だった唐津の口数が減った。
「お前ら、このポッドに何かしたか?」
「ううん、何も。もしかして家族から捜索願が出てたりする?」
唐津の沈黙は続く。バイザーの外部モニターは何も映らない真っ黒のままだ。この男が会話時に表情を見せない時は、大抵言葉を選んでいる。そして言葉を選ぶ時は、その情報を伝えるか否か、あるいはどのように伝えるか考えていることを意味する。やがて意を決したように一呼吸を置いてから、男は短く告げた。
「雨ケ谷耀……奴の、雨ケ谷の倅だ」




