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13:資源たちの逃避行

「この部屋にお客様を通すのは初めてだし、まだもてなし足りないわ――あなた、塵劫局(じんこうきょく)なんて辞めて『BABEL』へ来ない?」


 予想外の提案に透架は目を丸くした。

 激怒した亜夜乃と構成員からボコボコにされる展開かと思いきや、まさかのスカウトときた。横のかりなは無言だが、明らかに聞き耳を立てている。


「超いい度胸じゃん。あたしなんか誘ったら、BABELの機密をパクっちゃうかもよ?」

「こう見えて些細なことには囚われない主義なの。人材という言葉があるけれど、BABELが求めるのは『人財』。優秀かつ組織の理念に合っていれば誰でも受け入れ、その分の要望もしっかり聞き届ける組織。つまらない大義や目先の成果で『猟犬』を切り捨てるような塵劫局(じんこうきょく)とは違う」


 御厨の名前が出た途端、飄々としていた透架の眼差しが尖る。BABELの理念や塵劫局(じんこうきょく)の大義など知ったことではないし、まして目先の成果で彼が死んだなど到底聞き捨てられない。が、ここで熱くなったら後輩に見せる背中がない。腑が煮えくり返るのを堪えながら、できる限りの冷静さを装う。


「ふーん。雨ケ谷を引き抜いたのも人財だから? あのおじさん、財産になってるの?」


 恐らく奴の引き抜きを主導したのは亜夜乃と背後のBABELであり、彼が進めている小型増殖炉の研究についてもBABELが支援しているのだろう。室内に安置されたカプセルの遺体を横目に亜夜乃の説明は続く。


「彼の研究がどれほどの価値か知らないようね。未来や歴史を変えうる技術ほど、投資に値する。例えば小型増殖炉は遠隔操作で死体を動かせる。今の段階ではただのゾンビだけど、そのうち死者が本当に蘇ってしまうかもねぇ。そうしたら小型増殖炉の株は何倍になるのかしら?」

「投資や株って言うけれど、あんたたちのはどうせ真っ黒なお金でしょ? ちゃんと税金払ってる?」

「ナンセンスね。税金なんて国家が勝手に定めているだけで、そもそもお金に色なんてないわ。お金の価値は有意義に使うかどうか、それ以上でも以下でもない」


 脱税上等を謳う悪の組織。戯言の合間、かりなとは電脳を通じてデータコピーの進捗を問う。

[どう?]

[あと一二〇、いえ九〇秒は……]

[おっけ! うちらの話を聞きながら、それっぽく話を合わせて]


 かりなの動きを気取られる前に、もう少し亜夜乃の注意を引く必要がありそうだ。透架は興味がある素振りを見せつつ、もう少し話題を引っ張ろうとする。

 

「この仕事続けてまぁまぁ長いけど、BABELに誘われたのは初めてだわ。さっきの言い分だと、あたしも投資対象ってこと?」

「そうね。今現在の能力で言えば、せいぜい中の上から上の下ってところだけれど、将来性はそれなりに評価しているわ」

「何それ、大して高くないじゃん。期待してがっかりしたわ」

「こう見えて私の本業は人事ヘッドハンティングなの。置かれたところで咲けという言葉もあるけれど、合わない場所でつらい思いを続けるのは無意味な時間だと思わない? 将来を生かすも殺すも、全てはあなた次第――」


 亜夜乃の視線が透架から逸れ、かりなや室内を眺める動きを見せた。やばい。もう少し誘う必要がある。透架はこれ見よがしに鼻で笑いながら、胡散臭いと言いたげに肩を竦めてみせる。


「ふーん。透架さん、毎日楽しく過ごしてるから、あんまり困ってないんだけどな」

「そう? 塵劫局(じんこうきょく)じゃ冷や飯を食わされているって評判だけど」

「どこまであたしのことを調べてんだよ……ちなみに待遇はどうなの?」


 人差し指と親指を合わせて丸を作ってみせる透架に対し、亜夜乃も微笑みながら同じようなジェスチャーを両手で返しながら応じる。


「特務部の頃と同じくらい働いてくれるなら、今の5倍から10倍は余裕で出せるんじゃないかしら。給与はもちろん福利厚生も手厚いわ。BABELの最新テクノロジーでよく眠れるお薬を処方してあげる」

「いやいや、いい加減あたしはブラックな労働環境から開放されたいんだけど」

「特務部と同じくらいというのは、あくまで密度の話。休暇だって自由にしてくれていいわ。それこそ眠りたいだけ眠って、気が向いた時だけ働く形でも構わないし」


 ……どうしよう。年間休日が増えるなら、思ったより悪くない気がしないでもない。透架の視線が胡乱げに泳ぎ、電脳が人生の再設計を構築しかけたとき、横合いから後輩の冷ややかな声が届いた。


「……先輩?」

「なに、わかってるってば! やましいことなんて何も考えてないから!」

[やましいコピーが完了しました]

[……]


 地に足のついた現実というのは大切だ。透架はきっぱり、はっきり首を振ってみせる。後ろ髪を引かれてなどいない。本当に。


「興味深いけどやめとくわ。実力主義って言い換えれば不要になったらゴミ扱いされるってことだし」


 BABELも塵劫局(じんこうきょく)もテクノロジーに対して理念を掲げる集団という点では共通している。こうした組織が求めるのは、理念を突き進むためのリソースとそれを支える忠誠心だ。組織の存続や成長のためなら、個人の幸福や尊厳を軽視する、という姿勢も大差あるまい。それなら人間の欲望を煽り立てるBABELより、まだ人類社会の維持という大義があるだけ塵劫局(じんこうきょく)のがマシというものだ。


「あら。慈善事業ではないのだし、役立たずを追い出すのは当然のこと。組織としては高待遇なりの貢献をして貰わないと割に合わないでしょう? 例えば彼らのように――」


 そう亜夜乃が応じた直後、その後方で控えていた構成員らが、二人を制圧するべく室内へと雪崩れ込んだ。こうした展開は事前に予測している。透架が義手の指先を一定の角度で動かすと、扉を囲むように仕掛けたワイヤートラップが彼らの足元に絡みつき、その動きを瞬時に束縛する。


「役立たずかどうか、高待遇かどうか、ってところはお互いが判断することじゃない? とりあえず高峰サンのご活躍をお祈りしております……とでも言えばいいのかな」


 結局のところ、組織と個人の関係なんてそんなものだ。人的資源リソースという言葉が示すように、人なんて資源と一緒で都合よく使えればそれでいいのだ。誰かが消費されようと、それ以上の成果が見込めるなら良しとされる世界。

 心の底でざわつく苛立ちを飲み込みながら、透架はデータコピーを終えたかりなの手を取り、窓に向けて走り出す。機械蛇から受けたナノマシンドラッグが残っているのだろう。少女の足元が覚束ないのを見るや、その身体ごと左腕で抱き寄せ、はめ殺しのガラス窓を体当たりでぶち割った。

 この建物と向かいの雑居ビルを結ぶべく、事前に逃走用のワイヤーを仕掛けてある。ガラスの破片が煌めく中、透架はかりなを抱えて夜空へと躍り出た。それから義手の手首をスライドさせて、内蔵ギミックのワイヤーフックを射出する。ラッチ付のフックが空を裂き、ワイヤーへと食らいついた。

 高強度ナノ繊維製のワイヤーは日中でも視認の困難な細さだが、1トンの引張荷重を耐える強度を誇る。義手内部のリールでワイヤーを巻き取りながら高速移動し、二人は雑居ビルの非常階段へと着地した。この間、わずか五秒。


[よかろうもん、車回して!]

[目的地ヲ確認シマシタ。安全運転デ参リマス]


 怒涛の逃走劇は続く。かりなに肩を貸しつつ透架の指示が飛び、一対のヘッドライトが裏路地を照らした。エンジン全開で突っ込んでくるのは、よかろうもんが運転する改造軽トラック。非常階段から荷台に飛び乗り離脱する二人を追い、亜夜乃の部下たちがビルの通用口から出てくるものの――


「フツーに轢いてませんか……?」

「問題ないない。この車、見た目は安っぽいけど、強化するとこはしてるから」

「百人轢イテモ、ダイジョウブ!」


 実は車より人の心配をしていたかりなだが、透架とよかろうもんの様子にそっとツッコミを諦めた。そんな会話の傍ら、ノーブレーキの軽トラが敵集団を容赦なく跳ね飛ばし、追跡を振り切って未明の街へと消えていく。


 壁の一面を構成していたガラス窓が崩壊し、外界の空気がセキュリティルームに流れ込む。去っていく軽トラを眺めていた亜夜乃の脳内に緊急通信が届いた。雨ケ谷だ。普段は理知的に喋る男だが、今宵の口調は露骨に怒気を孕んでいる。


[ラボに来客があったそうだな]

[ええ。もう少し接待しようと思ったのだけど、たった今お帰りになったわ]


 侵入者と入れ違いに、赤いパトランプを備えた警察車両が複数台接近してくる。ここまで派手にやらかしたのだから通報の一つ二つは当然のこと。もっとも警察やマスコミなら金で黙らせれば済む話であり、さしたる問題ではない。

 それより通信相手に対する弁明の方が数倍厄介だ。研究者らしく大概の雑事には頓着しない男だが、この部屋にいる「彼」のことになると話は別だ。

 

[貴様の口車に乗って、安全神話を信じた結果がこれか?]

[あら怖い。そう凄まないで貰えるかしら。『ご子息』は無事よ。そんなに心配なら動けるようにして、手元に置いておけばいいじゃない]


 不幸中の幸いと言うべきか、室内のカプセルは手つかずのままだ。肉体だけなら小型増殖炉で動かせることが実証済だが、男がそうしないのは「それだけでは物足りない」ということだろう。


[動けばいいというものではない。物事には順番がある]

[まぁ、私のほうは何とでも誤魔化せるけれど、今は貴方のほうが危ないのではないかしら。「秘密基地」に招かれざる客が来るかも?]


 雨ケ谷の苦情については論点を逸らすことで対処する。実際問題、塵劫局(じんこうきょく)に雨ケ谷の潜伏先が伝われば、手練の部隊を派遣してくるのは間違いない。彼の舌打ちを最後に通信が途絶し、残された女もまた来客の対処に追われることとなる――。

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