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11/33

11:真夜中の青

 同時刻四四階。下層階が襲撃されたという情報により、構成員が厳戒態勢を敷いている。そこに夜間通用口のエレベーターが1階から上がってきた。こんな時間に来客などあり得ない。扉が開いた瞬間、銃を構えた構成員たちが無数の弾丸を撃ち込んだ。けたたましい銃声が反響し、硝煙が立ち込める……ところがエレベーターの内部は血痕一つないもぬけの殻。

 彼らが怪訝そうに顔を見合わせた瞬間、エレベーターの天井ハッチが開いてスモークグレネードが投げ込まれた。吹き出す白煙には神経系に作用する麻酔薬が含まれており、逃げ遅れた構成員が次々に倒れていく。


[急げ、十億円が資産の確保に向かってる]

[了解。いざって時は『アレ』を使うから、かりなには死なないように言っといて]

[退路も見直しが必要だ。非常階段とエレベーターは黒スーツのSPに抑えられてる]

[はいはい。上手いことやるってば。こういうのはスマートじゃないとね?]


 十億円による資産の確保=亜夜乃が四三階に来ている。

 隠語じみた言い回しに苦笑いしながら透架は「透明化(インビジブル)」を解除した。自分たちを追い回して殲滅するより、退路を絶って囲い込み、時間をかけて手堅く始末したいようだ。組織力に自信がある証拠と言える。唐津が乗っ取ってきたセキュリティも徐々に取り返してくるだろう。

 グレネードの煙でフロア中が満たされ、照明や誘導灯の光が侵入者を照らし出す。狐面を模したガスマスク姿の娘。アウターのフードを被り直した透架は、ナノマシンの発する青い燐光を明滅させながら、最終目的地へと向かっていく。


 その目的地。セキュリティルームの前でかりなと亜夜乃が対峙している。身長は170センチ中盤、腰まであるロングストレートの黒髪。切れ長の黒い瞳に、同じく黒のアイメイク。計算され尽くした日本人形のような美人――エキゾチックな雰囲気に対する好みはあるだろうがこれが十億円を投じた世界最高峰のサイボーグらしい。赤いルージュを引いた唇が笑みの形を作ると、落ち着いた色の声が柔らかく語りかけた。


「お仕事ご苦労様。雨ケ谷さんから話は聞いているわ」


 口調こそ慇懃なくせに、お前の素性は判っていると言いたげな挨拶だ。廃工場での遭遇に伴い、そこそこ情報が伝わっているらしい。元よりフレンドリーに接すべき相手でもない。活性プログラムによりナノマシンを赤く発光させながら、かりなは刃を突きつけてみせるものの、女は顔色一つ変えずに言葉を重ねた。


「赤い波長……残念ね。特務部の青い子は別行動? 折角だから塵劫局(じんこうきょく)の機密でも聞こうと思ったのだけど」

「恐縮ですが、当該のスタッフは休暇中でして――!」


 お前はお呼びじゃないと言いたげな亜夜乃を睨みつけると、かりなは身を低くして疾駆し、喉笛を貫くような刺突を繰り出した。その太刀筋を冷静に見極めた亜夜乃は、間合いを正確に測りながら後退すると、羽織っているコートを大きく翻す。


[何か隠してるぞ、気をつけろ!]


 監視カメラから戦況を見ていた唐津が警告を発した。コートの裾や袖が宙を舞い、紐状の何かが多方向に躍り出る。全長約三〇センチ、直径約一センチ――黄金のナノマシン反応を伴った機械蛇、その数約二〇匹程度。フレキシブルなセグメント構造を生かして床や壁を這い、上下左右からかりなへ襲いかかる。

 ロボットの使役は数と命令の精度によって難易度が跳ね上がる。おそらく搭載する電脳もハイエンドだろう。亜夜乃が十億円のマスターピースとすれば、かりなは大量生産のコモディティだ。それでも戦闘時の瞬間風速なら負けないプライドがある。その代償に多少の負担があるとしても、それは必要経費もしくは投資だ。

 赤い剣閃が黄金の群れを薙ぎ払う。短期決戦で押し切ろうとするかりなに対し、亜夜乃は後退しながら次々と機械蛇の投入を続ける。やがてかりなの放った切り下ろしの一太刀に、亜夜乃は反転して踏み込むと前腕で刀を保持するかりなの手首を受け止めた。パワーやスピードという基本的な身体能力は勿論、反撃に転じる際のタイミングを測る判断力、身体の使い方というテクニカルな面でも手強い。


塵劫局(じんこうきょく)の汎用強襲型サイボーグ。戦場のストレスによって脳内物質を分泌し、身体能力を向上させる。身体の使い方は判ってるみたいだけど、多少の被弾なら食らってもいい……ぐらいに思ってそうね」


 両者の膂力が拮抗する中、黒曜石のような亜夜乃の瞳が微笑んだ。かりなが刀を引くのと同時、天井に回り込んだ機械蛇の一つが少女の背面、ボディスーツを覆う装甲の隙間を狙って飛びかかる。かりなは舌打ちを漏らしながら、機械蛇より眼前の亜夜乃を優先した。致命傷以外の傷は、ナノマシン活性で火力に変えてしまえばいい。それが深手であるほど武器になる。だが、かりなの背には何かが触れた感触こそ残れど、痛みは一切感じられない。

 怪訝に思いつつもバックステップで距離を取り直し、亜夜乃の攻撃に備えようとする。ところが飛び退こうとした膝に力が入らない。その理由を察する前に、ボディブローを叩き込まれて呼吸が詰まり、ローキックで脹脛を削られ体勢を崩す。そこから流れるように繋がれたハイキックが側頭部に直撃した。かりなの表情を隠していたフェイスガードが破砕し、焦燥と苦悶の滲む双眸が露わになる。


「っ、ぐ……」

「あら、可愛らしい顔をするじゃない。わたし程ではないけれど」


 ガードもままならずに食らった三連撃で足元がふらつき、意識が飛びそうになる。それでもこのダメージで体内のナノマシンさえ稼働すれば、もう少し戦闘能力を底上げできる――気力を振り絞って刀を構え直した時、赤い発光パターンが完全に停止していることに気づいた。かりなの動揺を見透かしたように嘲笑いながら、女は床に這う機械蛇の一つを愛おしげにつまみ上げた。


「こんなはずじゃないって? 痛みというのは閾値があって、それ以下の刺激は認識されないの。この子は微小な穿孔器を搭載していて、接触と同時にナノマシンドラッグを注入しているのだけど……気づかなかったでしょう?」


 判ったところで後の祭り。かりなの「戦闘狂(ブラッドクレイズ)」は脳内物質の分泌を増やして代謝を上げることはあっても、薬物の排除や中和という機能は持たない。体内に注入されたドラッグは血流によって広がることでかりなの神経系を蝕み、その結果として筋力の減少、感覚の混乱、反射の遅延などの症状を引き起こしている。

 ドラッグの影響が電脳にも作用しているのか、唐津との通信もノイズだらけで繋がらない。薬物の有効時間は定かではないが、これで圧倒的に分が悪くなった。仮に透架と合流しても、亜夜乃を倒さない限りは扉の認証解除ができない。


「御高説どうも。それだけ腕が立つのに、わざわざ毒まで用いるなんて慎重すぎません?」

「私は正々堂々なんて興味ないの。合理的に済ませる最適な手段を選んでいるだけ」


 にこやかな笑顔で言い捨てた亜夜乃は、自然体で歩み寄って間合いを侵食していく。いかなるサイボーグでも身体能力を削がれてしまえば後は木偶と変わらない。起死回生を賭けたかりなの刺突は横に往なされ、ガラ空きの腹部にカウンター気味の膝蹴りが突き立つ。チタン合金製の強化肋骨が二本ばかりへし折れ、セキュリティルームの扉に背中から叩きつけられたところで少女の意識は途絶した――。


「まぁ、使い捨ての汎用型にしては頑張ったんじゃないかしら?」


 亜夜乃の電脳にSPの再配備が完了したという報告が届く。不在時に相当散らかしてくれたようだが、これで後始末に専念できる。侵入の目的や塵劫局(じんこうきょく)に関する情報など、たった今ねじ伏せた少女から聞き出せばいい。女が唇を舐めながら踏み出したのと同時、その背後で硬質な靴音が響いた――廃工場で雨ケ谷と遭遇したのは、かりなの他にもう一人居たと聞いている。だが振り返った亜夜乃の眼に襲撃者の姿は映らない。


 コードネーム「無骸」。活性プログラム「透明化(インビジブル)」を行使する、元特務部のエージェント。塵劫局(じんこうきょく)の中でも特務部は厳格な指導を受けており、死んでも痕跡を残さないと聞く。これを捕獲できれば、BABELにおける亜夜乃の地位も上がる。

 靴音は陽動を誘うように壁や天井へと散らされながら、速度を増しつつ迫り来る。たとえ不可視の敵でも高性能の聴覚と計算能力を備えた亜夜乃なら、音と速度からその位置を割り出すことは難しくない。着地のタイミングを測って、見えない襲撃者の首筋に狙いを定め、女は正確無比な貫手を放つ。


 奪った――


 ところが、あらゆる計算の上で構築された確信の一撃は空を切る。予想を裏切られた亜夜乃の双眸に困惑と苛立ちの色が混じった。


「ウチの新人、結構強いんだけどなぁ……もしかして何か盛ってくれた?」


 揶揄うような声がころころと響く。亜夜乃とかりなの間に「透明化(インビジブル)」を解除した透架が姿を現し、金色の機械蛇を踏み潰した。亜夜乃はその断末魔を聞かされながら、貫手を放った姿勢のまま動けずに固まっている。透架の位置とは背中合わせ。女は背後を取られた屈辱に修羅の形相を浮かべると、身を翻して後ろ上段回し蹴りを放った。姿を消して逃げ隠れしようと、かりなを守りながら戦うのは至難のはず――。

 だが、蹴り足には手応えがない。敵を捉えきれないことに焦り、振り返った亜夜乃の視界を強烈な閃光が漂白する。さらにその耳を轟音が劈き、三半規管が衝撃に揺れた。透架が持ち込んだのは非致死性のスタングレネード。炸裂すると音と光で対象を圧倒し、傷つけることなく行動力を削ぐという代物である。

 莫大な光量によって狂わされた視覚が戻る頃、二人の姿はその場にない。扉の前で愕然とする亜夜乃の傍、紫紺の燐光が一粒だけ舞って――消えた。

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