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10:摩天楼

 緋桜市に隣接し、高級ショッピングモールやオフィスビルが立ち並ぶ商業地域・港東区。その中心部に存在する七〇階建ての高層ビル、エデンズ・トレードセンター。大小の立方体をモザイク状に積み上げたような造形とガラス張りの外観が特徴的な建築物だ。

 中層階は企業のオフィス利用が大半であり、商社や金融サービス、テクノロジー企業などがひしめく。一方、下層階には小洒落た喫茶店や大小のコンベンションスペースが設けられ、最上階周辺もレストランフロアと展望台があることから、不特定多数が出入りする商業施設の役割も果たしている。

 唐津が監視カメラの情報を偽映像で上書きした隙に、かりなは一時駐車場から警備スタッフの詰め所へと侵入する。少女の全身を覆う赤と黒の戦闘用ボディスーツは各所に重要な臓器や血管を守る外部装甲(プロテクター)を備え、筋肉や関節の動きをサポートし、心拍数や皮膚温に血流速度といった各種バイタルサインを唐津に知らせる役目を果たす。額から顔の上半分を覆うシャープな外観のフェイスガードは視覚と聴覚をサポートする他、こうした潜入任務時において敵の目から表情や人相を隠す効果がある。腰には廃工場同様、大小二本の機械刀を装備し、その鞘はボディスーツと同色のスリングで固定されている。


[悪い、待たせたな]

[問題ありません。先輩が来る前に片付けますから……]


 詰め所にはサイボーグ化した警備員が数名巡回しているが、戦闘力は一般サイボーグの範囲内。かりなは彼らの死角を潜るように接近すると、正確な急所に適切な打撃を叩き込んで、その意識を刈り取っていく。次いで腰背面のポーチからシリンジを取り出すと、ナノマシン入りの鎮静剤を彼らの静脈に注ぎ込もうとする。

 このナノマシンは彼らの電脳に到達した際、記憶操作の作用をもたらす……のだが、かりなはこうした工作に不慣れだ。タフな個体を相手に手間取っている間に、焦った手元からシリンジがすっぽ抜け、あらぬ方向へと転がっていく。


[お前、結構不器用だな……]

[すみません……]


 見兼ねた唐津がしぶしぶ最終手段の許可を出した。


[もういい、そいつは黙らせちまえ]


 ごすっ! と鈍い物音がして、辺りは静寂に包まれた。


 一時駐車場から繋がる搬入用エレベータは下層階で打ち止めだ。そこから先、かりなは非常階段に回ってオフィスフロアのある中層階へ向かう。犯罪組織の事務所が大都会の商業地域、そのど真ん中にあるというのは中々いい度胸だ。きらびやかに見えて嘘だらけという社会の真理にかりなは毒づいた。


[摘発のリスクが気にならないんですかね。この分だと警察も手懐けてるんでしょうけど]

[こういうのは表向き正規の企業がテナントとして入居している。中には無関係の会社もあるだろうが、違法取引における隠れ蓑として機能すれば十分だ。俺らの銭湯と大差ないな]


 かりなの潜入状況に合わせて監視カメラの映像操作はもちろん、電子ロックも手際よく解除されていく。今日の目的地は、ある商社が契約している42階から四四階の三フロア。商社の実態はペーパーカンパニーであり、その中身は例の人身取引組織である。


[なんか縁起の悪い階数ですね。四二階は『死に』ですか]

[そこは一般的なオフィスフロア、実態は末端構成員の溜まり場だな。四四階はサイボーグの組み立てや改造を行う工房スペース。真ん中は研究開発施設で、一部フロアに『商品』置き場がある。四三階だけに『資産』ってな]


 商品という生臭い表現にかりなは肩を竦めつつ、ぐるぐると続く非常階段を足早に登っていく。目的とするのは四三階のセキュリティルームだが、この階だけは非常階段からのアクセスが遮断されており、隣接するフロア、即ち四二階か四四階からの直通階段を用いるしかない。


 四二階、非常階段とフロアを隔てる鉄扉が開いた。間近に位置する商談用の応接室は、天井が高く、窓からの眺望もよい。内装は黒を基調にまとめられ、絨毯やテーブルといった調度品もシンプルながらデザイン性を重視したもので揃えられている。犯罪組織の事務所にしては、上品すぎるというのが唐津の感想だ。

 草木も眠る丑三つ時。まともなオフィスなら大半のスタッフが退勤している時間帯に、このフロアは煌々と灯りが点いている。中ではスーツ姿のビジネスマンから、全身にタトゥーを入れた輩まで、それぞれデスクワークや談笑に興じている。人身取引組織のメンバーといってもその外見は様々だ。しかし、いずれも戦闘やハッキングに特化した違法サイボーグであることに変わりはない。

 侵入者の姿にいち早く気づいた者が声を上げる。かりなは駆け出しながら機械刀を抜き放ち、声の主を袈裟懸けに斬り捨てた。悲鳴に続いて一帯に警報が鳴り響き、異変に呼び寄せられた構成員が続々と集い始める。

 かりなは柄を握る掌から電脳に至る感覚を研ぎ澄ませていく。この機械刀――八匠(はっしょう)工業のTATARIシリーズは、所有者が持つナノマシンの固有パターンによって認証が解除され、対サイボーグ用近接兵器としての真価を発揮する。

 刀剣としての物理的な切れ味は勿論のこと、焼き入れの工程で特殊なナノマシンを組み込んでいる。それらが斬撃のタイミングで敵サイボーグの機構に干渉ジャミングすることで、強度や回復性能を一時的に減衰させる効果を持つ。かくしてサイボーグ殺しの刃は、向かってくる者をバターのように切り裂き、阿鼻叫喚の光景を生み出した。


[派手すぎるだろ、もう少し潜入らしくできんのか……]

「生憎と育ちが悪いもので、力づくが一番得意なんですよ」


 敵サイボーグが次々と斬り伏せられる様子に、通信先の唐津がツッコミとも諦めともつかぬ感想を漏らした。かりなは無表情で応じながら、椅子で殴りかかるスキンヘッドの男を座面ごと真っ二つにする。


「なんなんだ、警察か!?」

「馬鹿言え、毎月いくら握らせてると思ってんだ!」


 ガサ入れが来ないよう、公権力には定期的な根回しをしているらしい。逃げ惑う彼らの会話を小耳に挟みながら、かりなは四三階に向かう通路へと差し掛かった。その先で番人よろしく佇むのは、分厚い防御装甲で全身を覆った鉄仮面の巨漢である。かりなの視覚を共有していた唐津が渋った。


[でかいな。ガチる気か?]

「時間がありません、正面から蹴散らします」


 かりなと目が合うや否や、巨漢は一直線に突進を開始した。通路というロケーションに上下左右の逃げ場はない。単なる体当たりと言っても、直撃すればサイボーグでも圧殺される質量である。地響きを立てて迫る塊に対し、かりなは納刀すると腰を低く構えた。大小のシルエットが交錯した瞬間、フロア中に衝撃音が響き渡る。そして大型トラック並の推進力が少女を容赦なく蹂躙する――筈だった。


「!?」


 装甲の奥、巨漢は驚愕に目を見開く。かりなの靴底が床に食らいつき、背中から両腕の筋力をフル稼働させ、前方へと突き出した両掌でタックルを受け止めている。少女の口元に獰猛な笑みが浮かび、その全身に陽炎のような赤い燐光が瞬いた。サイボーグに組み込まれたナノマシンが活性化する際の現象。続いてかりなの放った正拳が顔面装甲を爆砕し、巨漢はその場で崩れ落ちた。


 活性プログラム「戦闘狂(ブラッドクレイズ)」。

 肉体や精神のストレス・ダメージを切っ掛けに発動し、ナノマシンが脳内物質の生成を開始する。この脳内物質はかりなの神経伝達、筋力、耐久性のリミッターを外して身体能力と反応速度を跳ね上げ、理性を備えた狂戦士(バーサーカー)として運用することが可能になる。窮地にあるほど戦闘能力が向上する性質は潜入工作と相性が悪いが、扇動役には最適と言える。

 四二階から四三階へ。間接照明で柔らかく照らし出された通路をかりなは粛々と歩いていく。その端々に瀕死の違法サイボーグを転がしながら、電脳に展開された立体地図を確認する。


[透架は近くまで来ている。適当にかき回してから、セキュリティルームで合流しろ]


 やがてかりなは頑丈そうな扉の前に辿り着いた。扉の横には解錠用の小型のコンソールが埋め込まれている。このセキュリティルームには重要機密が保存された端末やデータサーバー、サイボーグ改造用の設備が設置されているという。数時間前に唐津がハッキングを試みているが、この部屋ばかりは時間不足でアクセスできなかったらしい。

 コンソールから虹彩や声、指紋といった生体認証を要求され、かりなは頭を抱えた。転がした構成員の頭や指をダメ元でセンサーに押し付けてみたが、期待した反応は得られない。


[生体認証か。こいつを通すのは厄介だぞ]

[時間稼ぎだったらやりますけど……]

[馬鹿言え、俺でもあと二時間はかかる。それまで増援を相手にする気か?]


 透架ならば隠れてやり過ごすという芸当も可能だが、かりなはそうも行かない。間が悪いことに唐津は乗っ取っていた監視カメラから、ビルの屋上にあるヘリポートに敵の援軍が到着したことを確認する。高峰亜夜乃、ここの総責任者である。


[まずいな、ここのボスが戻ってきた。透架の奴、何やってんだ……]

[いいじゃないですか。総責任者なら流石に認証は通るでしょう?]


 やる気満々のかりなに対して唐津は気が進まない。任務の目的は戦闘ではなく潜入であり、能力が未知数の亜夜乃を相手にするのはリスクが高すぎる。一方、漆黒のファーコートを纏った亜夜乃は、ビル内に設けられた隠し通路へと消えていく――。

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