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1:機忍と労災

 鋼鉄の隔壁が閉じた。

 肉も骨も構わず、肘から先を喪失したショックで吐き気が止まらない。右腕の断面から溢れ出たものが、足元に赤い泥濘を作り出していく。そのぬめりに靴底をとられて跪き、額を隔壁に叩きつけた。

 叫んでいるのは「彼」の名前か、単なる悲鳴か。言葉にならない激情をぶち撒け、焼き切れた五感が遠のいていく。


 義憤、懇願、絶望。

 嗚咽の中で意識が沈む。行かなきゃいけない。壁の先には「彼」がいる――


 全身がびくりと震え、垂れた髪が頬を撫でた。丸みを帯びた濃藍色のショートボブ。背中一面にじっとりとした汗が滲む。セルリアンブルーの瞳を見開き、困惑気味に辺りを見回した娘は、頭の中で呆れ混じりの声を聞く。


[……今、絶対落ちてたよな、大丈夫か?]


 冬の空気を肺に送り、意識を現実に馴染ませていく。鼓膜を介さない声。電脳に届いた音声データ通信である。うっかり拾った溜息も、悪夢の後味を宥めてくれる。


[だいじょーぶ。ちょっと白目剥いただけ……多分]

[いきなり舟を漕ぐんじゃねえ。頼むから任務中は勘弁しろよ]


 左手の指先で右の前腕部を探る。そこに強化チタン合金製の義手があることを確かめながら、娘は快活なトーンを装って応答する。


[ごめんごめん。ちゃんと起きてるし、もう沈没しないから。ターゲットはもう来てる?]


 冬の終わり。統京都緋桜市の港湾地帯。夕焼けの空と海が溶けた鉄のような輝きに染まっていく。

 経済成長期には町工場がひしめいていた一帯も、二○七○年の今はマニア向けの廃墟群と化して久しい。剥き出しの鉄骨に崩れた壁、倒れそうなクレーンに鉄屑同然の製造ライン。雨風に晒され錆が浮いたコンテナの数々。娘は三〇分前からその陰に潜み、命令を待ち続けている。


 芹沢透架(せりざわ・とうか)。年の頃は二〇歳前後。濃灰色のプリーツスカートに白のハイネックインナー、体躯より一回り大きい黒のマウンテンパーカーを羽織る。その顔立ちは童顔の部類に入るが、控えめな八重歯と巧妙なメイクのせいで、遊び慣れた学生のような印象を与える。

 そんな外見も半分は擬態だ。非公式の情報機関「塵劫局(じんこうきょく)」に属する透架は、肉体の七割が人工部品に換装されたサイボーグ諜報員――通称「機忍」である。

 頭蓋には最高レベルのセキュリティと処理速度を備えた電脳が搭載され、意識するだけで映像や音声を通信・共有できる。細身ながら筋肉質の体躯にはナノマシンが組み込まれ、自己修復やパフォーマンス管理といった多彩な機能が常時展開されている。電脳からの信号がナノマシンと同期する度に、青い光が皮膚の表面で幾何学的な模様を描き出す。


[現在地から4時方向、約三〇メートル。死角から接近して追跡しろ]


 ある人物の追跡と逮捕、それが今日の任務だ。かじかむ左手を強く握って指先に血を通わせながら、通信先の上司から与えられた情報を元に対象を追う。

 ひび割れて雑草が覗くアスファルトに、壊れたまま放置されたフォークリフト。通行人の皆無な廃墟エリアを標的と思しき人影が横切っていく。

 彼我の距離が縮まるにつれ、透架は意識を鎮めて五感の純度を上げていく。続いて青い燐光が娘の身体や装備の表面を駆け巡り、電子回路の如きパターンを描き出した。その現象をトリガーに娘の輪郭が揺らぐ。更にその存在が薄れて、背景が透け始め――やがてその姿は外部からの視認を許さなくなる。

 透架のナノマシンに組み込まれた活性プログラム「透明化(インビジブル)」。自身と触れたものを対象に、光の透過・屈折をコントロールすることで視覚的な存在を隠匿するものである。一般的に光学迷彩と呼ばれる機能に近い。


[目標を確認。身長一七〇センチ前後、黒のダウンジャケット。四〇代から五〇代の男性。服装、人相、共に報告と一致……制圧していい?]

[焦るな、目標が建物に入った。見失うなよ]


 目標は中肉中背で魚のごとき容貌の男。こちらが想定していたルートを外れ、廃工場の敷地から建物へと入っていく。その背中を透明人間が尾行する。

 過去にも多くの侵入者を許したのだろう。内部の窓ガラスは全て落とされ、壁一面に悪趣味なグラフィティが這い回り、通路の片隅には白骨化した鼠の死骸が転がっている。職業柄慣れているとは言え、気分のいいものじゃない。

 透架は埃によって「透明化(インビジブル)」の効果を損なわないよう、慎重に追跡を続ける。物音や靴跡を残さず、気配すら殺す隠形術は、幼少の頃から組織によって叩き込まれたものだ。


[相変わらず器用だな。一年ぶりの現場はどうだ?]


 唐津融(からつ・とおる)。透架にとって直属の上司にあたり、塵劫局(じんこうきょく)で緋桜市のエリアマネージャーを務めている。透架のように直接現場に行くことは少なく、監視カメラや機忍の五感を借りて情報を収集・分析し、指示を出す。

 その引きこもりぶりを透架は「こたつ上司」と揶揄しているが、その実力は折り紙付きだ。ネットワークに繋がるものは全て覗くという超一流のハッカー。尤もそんな人物がなぜ場末の下級管理職に留まっているかは定かではない。娘は足音を殺しながら、上司の問いに応じる。


[別に何も。起きてさえいられれば、どうってことないけど]


 起きてさえいられれば――つまり、起きていられないとヤバいということ。

 透架は一年前から睡眠障害を患い、食事中でも任務中でも、所構わず睡魔に襲われるようになった。ずっと眠っているというより、何かのタイミングで脳がいきなり強制終了シャットダウンする。一旦意識が落ちると数十秒から数分の眠りを強いられ、必ず同じ悪夢を見る。

 この突然死じみた居眠り癖によって、透架は機忍の任務から遠のいていたものの、職場はいつも人不足だ。情報機関という性質上、身元の確実さや能力の適正など、採用から定着までに様々なハードルが存在する。

 かくして業を煮やした唐津に泣きつかれ、詰られ、絡まれた挙げ句、しぶしぶ復職したのがつい本日のこと。すまじきものは宮仕え、職場環境は様々な意味で真っ黒(ブラック)だ。


[そもそも奴は何をやらかしたの?]

[なぁに、ちょっとした盗難事件だ。さっきまでかりなが追ってたんだが、あと一歩のところで逃しちまってな。お前のリハビリにゃ丁度いいだろう]


 電脳が目標のデータを受信し、視覚・聴覚情報として透架の五感に展開される。

 猪狩忠司(いかりちゅうじ)、五五歳。窃盗の前科がある住所不定の男。サイボーグ化された公的な記録はないとあるが、そこに透架は首を傾げる。

 生身の人間とサイボーグでは身体能力が桁違いだ。一対一の戦闘で遅れをとることはあり得ないし、逃げたところで乗用車程度なら走って追いつける。

 かりなも透架同様のサイボーグだが、より対人戦闘に特化していた筈。そのかりなが取り逃がしたという理由が思いつかない……そんな思考を巡らせていた矢先、透架と唐津の通信に割り込みが入った。几帳面そうな声質の少女、話題の飛崎(とびさき)かりな本人である。


[こちら飛崎。ターゲットを再追跡し、裏口に到着しました。突入・制圧の許可をお願いします]

[ご苦労さん、表から透架が尾行している。前後から挟み撃ちにして逮捕しろ。捕獲してデータを取る。殺すんじゃないぞ?]

[表から……了解しました]


 冷静な口調に躊躇うような気配が混じった。自分のミスは自分で取り返したいという感情だろうか。あるいは任務において仲間に寝落ちされたら堪ったものではない、という本音かもしれない。


[なんとなく嫌そうだったけど、そもそもあたし単独じゃなかったん?]

[馬鹿言え。今のお前を単独で動かすなんざ、怖くて出来ねえよ]


 かりなは一ヶ月前に配属された戦闘特化型の新人サイボーグだ。研修時の成績は実技・筆記共にトップで、司令部直属のエリート機兵部隊「葉隠」への配属を希望していたと聞く。

 そんな期待の卵がどうして緋桜市という寂れた下町に送られたのか……その疑問に対する唐津の説明は、透架に言わせれば存外悪趣味なものだった。


 ――できの良い若造は、ちやほやして調子に乗る前に「躾ける」んだ。理不尽と挫折と苦労の中にぶち込んで、それでも真面目に働いているなら折を見て上司が引き上げてやる。ちょっとやそっとじゃ動じず、上に忠実でシャカリキに働く幹部候補のできあがりだ。ここで疑問を持ったり、働かない奴は適当なところで飼い殺しだな。重要なポジションにはまず上げねえ。


 要は職務や組織への姿勢を試しているということだが、こうした話を包み隠さず教える唐津も大人としてどうかと思う。かりな本人には言うなと口止めされているものの、透架は内心ぶち撒けたくて仕方がない。

 尤もかりなの勤務態度は問題ないし、この分だと実績を積み重ねて「躾」が済めば、晴れて司令部に栄転となるだろう。組織のいやらしさには文句を言いたいが、後輩のモチベーションに水を差す理由もない。


[ま、かりなが来てるなら、あたしは見守り係として後は任せようかな!]

[手柄を譲るように見せて、サボるんじゃねえぞ]

[いやいや滅相もない。今時の教育は褒めて伸ばさないとね]


 戯けたようなやりとりで通信を〆ると、透架は漏れ出た欠伸を噛み殺しながら両まぶたを強くこすった。自分ひとりならまだしも、後輩との共同作戦ときた。

「やっば……リハビリっつっても、神経遣うわ」


 夜が近づき、冷え込みが増していく。冬場に「透明化(インビジブル)」を行使する際は、息に含まれる水蒸気で位置がバレないよう、呼吸をコントロールする必要がある。よって普段よりも脳は酸欠であり、欠伸の頻度も増加する。もちろん「透明化(インビジブル)」の制御にも電脳のリソースを食う。

 そんな状況だと身体より頭が持たなくなる。唐津にはああ言ったものの、正直眠りたくて仕方がない。自分一人なら居眠りしようと何をしようと全て自己責任で済むが、他人と役割を分担するチーム行動になるとそうは行かない。

 睡魔と折り合いをつけながら、辿り着いたのは倉庫フロア。あちこちにパレットが積み上げられ、ところどころが乱雑に崩れている。

 そろそろかりなと猪狩が接触する頃合いだ。万一、標的に気づかれた場合でも、その退路を透架が遮断すれば間違いなく確保できる。そんなシミュレーションを描きながら、透架は棚に潜んで顔だけを覗かせる、が――

 足跡の続くフロアの中央。埃の積もった床でうつ伏せに倒れている者がいる。

 黒のダウンジャケットに中肉中背の男。これまで追ってきた標的の姿だった。

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