7話 アンジェラの本心
その日の夜中、こっそりクレーデル邸を抜け出してアンジェラ様が待つ宿へと向かった。
ご令嬢の服装じゃあ危険だからいつものグレーのワンピースに瓶底眼鏡姿になって。クルトの案内でたどり着いたのは高級ホテルの庭園だった。
真夜中でも灯りがいくつも灯っているからそこまで怖くない。アンジェラ様は池のほとりのベンチに座っていた。少し離れてお付きの人も立っている。
「こんな夜分に呼び出してしまい申し訳ございません」
「いえ、気になさらないでください。それよりお身体は大丈夫ですか? 夜は冷えますし」
王都はそこまで寒くなることはないけれど、それでも夜は冷え込む。赤いワンピースの上に皮のコートを羽織ったアンジェラ様はゆるく首を横に振った。
「大丈夫です。それより、パラディス商会の……ええと」
「フローラです。フローラ・リンク」
「フローラ様、お願いがあるのです」
クルトと思わず顔を見合わせる。
依頼内容の変更かな。アンジェラ様の気持ちが何か変わったのかもしれない。
「ヨハン様と本当に結婚していただけないでしょうか」
「……はい?」
素で首を傾げちゃったわたしに罪はないと思う。
一体何を言ってるのこの人は。
「大変勝手なことを言っているのは承知しています。ですがあの方は正直で誠実で素晴らしい人ですし、あなたはとても健康そうで……」
「ちょ、ちょっと待ってください。それは無理ですよ」
クルトもアンジェラ様のお付きの人もぎょっとした顔をしてるじゃない。思い詰めたように話し出したアンジェラ様を止めて、わたしは彼女の隣へ座った。
「ヨハン様が好きなのはあなたです。それにわたしはここにあくまで仕事として来ているんです」
「そう……ですよね。すみません。こんな突拍子もないこと……」
「一体どういうことかお聞きしてもよろしいですか?」
「……すべて私のせいなんです」
アンジェラ様はぽつりぽつりと話し出してくれた。
ヨハン様とアンジェラ様が出会ったのは数年前。バース地区領主の誕生会にヨハン様が出席したときのことだという。ヨハン様がアンジェラ様に一目ぼれして猛アタックしたのが始まりだったらしい。最初こそ戸惑ったようだけど、ヨハン様の一途な想いにアンジェラ様が応えて交際することになった。
そのまま婚約もしたのだけれど、アンジェラ様は生まれた時から身体が弱く世継ぎを産めるかわからない状態だった。そのことを遠回しにマルレーン夫人に言われて彼女はヨハン様とこのまま結婚していいのかわからなくなってしまったらしい。
ちょうどその頃クレーデル家の経済状態も悪くなっていて、マルレーン夫人が他に裕福な婚約者候補を捜していると風の噂で聞いたアンジェラ様はヨハン様と距離を置こうとした。だけどヨハン様はそのことに納得しなかった。その気持ちは嬉しかったけれど、そんな誠実なヨハン様だからこそ自分に縛り付けてはいけないと思ったようだった。
「……でも、どうしてもヨハン様の様子が気になってしまって一度でもお顔が見られればと」
なんだヨハン様のことが大好きなんじゃない。
思わず脱力してしまったわたしをアンジェラ様は半べそで見つめてきた。
「ヨハン様はあなたとの婚約を破棄する気はまったくないようですよ」
「それは……でも……」
「アンジェラ様はそれでいいんですか?」
クルトの言葉にアンジェラ様が顔を上げた。
「きっとこんなことをしてもヨハン様は喜びませんよ。好きな女を不安にさせたなんて知ったら自分が情けなくなるだろうな……と思います」
男性目線のクルトの言葉にわたしもうんうんと頷いた時だった。
「その者の言うとおりだ、アンジェラ」
「……え」
「ヨハン様……!?」
茂みの暗がりの中から人影が出てきたと思ったらヨハン様だった。
どうしてここに彼が?
慌てるわたし達をヨハン様が見回した。
「真夜中に屋敷を抜け出すところを見かけたので追ってきたんだ。アンジェラ、まさか君がそんなことを考えていたとはな」
ということはアンジェラ様の話も全部聞いてたということになる。
ハラハラしているわたし達をよそにアンジェラ様が立ち上がり一歩前へ出た。
「ヨハン様、今回のことはすべて私が言い出したことです。私が……あなたとの婚約を解消したいと」
「アンジェラ」
ヨハン様がアンジェラ様を抱きしめた。
きゃー、これ見ちゃっていいのかな? と思ったけどとりあえず今は背景になりきるしかない。クルトとわたしはちらりと視線を合わせて静かに頷きあった。
「不安にさせてしまってすまなかった。私の不甲斐なさのせいだな。母の言葉も詫びよう。私はどんな理由があろうと君意外と結婚するつもりはない」
「ヨハン様……!」
アンジェラ様が感極まったようにヨハン様の背中に手をまわした。
わあ、素敵。物語みたいね。ヨハン様も男気があってかっこいいなあ。なんてのんきに考えていたらアンジェラ様が呟いた。
「でも……お義母様になんと認めてもらえればよいか」
「それなら考えがあるんですけど」
「え?」
「あ、あ! すいません……!」
ようやく背景にいた人達を思い出してくれたのかヨハン様とアンジェラ様がばっと身体を離した。
どうするんだ? というクルトの視線にわたしは椅子から立ち上がる。日中会ったときとはまったく違う瓶底眼鏡にグレーのワンピース姿の地味なわたしを怪訝な顔でヨハン様が見た。
「レオノーラ嬢……?」
「パラディス商会のフローラ・リンクと申します。仕事の都合で偽名を名乗っておりました。申し訳ございません」
「そうか、貴方達にも面倒をかけたようだな」
「いいえ、仕事なので。でも、アンジェラ様。今回の依頼はキャンセルということになりますよね」
「……はい、申し訳ありません」
真っ赤になったアンジェラ様が縮こまった。
もうヨハン様と別れようなんて考えていないみたいだ。
ただ一度依頼した仕事をキャンセルすれば当然キャンセル料がかかる。それもすでに人が動き出していればその分高額になってしまう。
「それならば、依頼内容を変更されるのはいかがですか?」
「ロッティただいま」
「フローラどうだった……って、ヨハン様?」
真夜中のクレーデル邸にこっそり戻ったわたしに留守番をしてくれていたロッティが駆けよってきた。だけど隣にいるのがヨハン様だと気づいて目を丸くしている。そりゃあ驚くよね。
「色々あったの。大丈夫、ヨハン様には協力してもらうことになったの」
「どういうこと……?」
「それについては後で話すね。それよりやらなければならないことがあるの」
目を白黒させるロッティにわたしは微笑んだ。
「キャラ変更よ」
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