6話 屋敷への侵入者
翌日、茶会は午後から開かれるので午前中は自由時間だ。と言ってもわたしはレオノーラとして過ごすわけだけど。
クルトは夜の内に使用人用の棟に帰ったので今は別行動中だ。
「ヨハン様、午前中は仕事に行ったみたい」
「ちゃんと帰ってきてくれるかな……」
最悪、すっぽかされる可能性もある。昨夜のあの様子なら大丈夫だと思いたいけれど……。
ロッティが淹れてくれた紅茶を飲みながら周囲を見まわしてみる。
今わたしがいるのはクレーデル邸の庭園にある東屋だ。ずっと部屋にいるのも息が詰まるし外の空気が吸いたくて散歩しにきた。さすがにロッティと二人で街へは出られないけど。昨日みたいなことがまたあったら困るからね。
庭園といっても敷地の限られたタウンハウス内なのでそんなに広くはないけれど庭師によって木々や花々が綺麗に整えられていた。
周囲を眺めていたら急にロッティが袖をひっぱってきた。
「……フローラ、あれ」
「え?」
小声で囁いたロッティが視線で合図する。その先の庭園の茂みに紛れて目深にフードをかぶった人がこちらを覗いていた。
ええ、誰? というか不法侵入者? おそらく体格的に子供か女性だろう。
フードを被ってるけど視線がばっちり合ったのがわかった。向こうも慌てた様子で逃げ出した。
「待って!」
立ち上がってロッティと追おうとしたとき、ちょうど表門の方から誰かが歩いてきた。使用人の誰かかと思ったらヨハン様じゃない!
「何者だ!」
「きゃっ!」
わたしたちとヨハン様で偶然にも挟み撃ちをすることになってしまって、フードの人はあっさりとヨハン様に腕を掴まれてしまった。
「ヨハン様」
「ああ、驚かせてすまない。ちょうど母に言われて君を迎えに来たところだったんだが……」
ヨハン様はわたしを呼びに来てくれたみたいだ。昨日と同じグレーの制服姿。おそらく仕事から帰宅してそのままこちらの来たんだろう。
彼の元まで駆け寄るとフードの人は俯いてじっと縮こまっていた。
さっきの悲鳴から考えて女の子だよね。
「まったくもう少し警備を考えなくてはならないな。このように簡単に人を侵入させるとは。ほら、顔を見せろ」
「あ!」
ヨハン様が少々乱暴にフードをはぎ取った。
さらりと綺麗な黒髪が零れ落ちる。そこにいたのは色白でまっすぐの絹のような黒髪の美しい女性だった。
思わずわたしもロッティも見惚れてしまうくらい。
だけどヨハン様は驚愕して目を見開いていた。
「アンジェラ……!? どうして君がここに」
えええ!?
この黒髪の女性がアンジェラ様なの?
一体どうしてここに彼女がいるの?
「どうしてアンジェラ様がここにいるの? 彼女が王都に来るのは1ヶ月後のヨハン様の誕生日のはずなのに」
「……今はヨハン様と話してるみたい」
様子を見に行っていたロッティが帰ってきた。
ヨハン様はアンジェラ様を連れて行ってしまったからわたしも仕方なく客間に戻った。もちろんこのことは誰にも言わないでくれと口止めされてね。
一体どうしてアンジェラ様がここにいるんだろう。
今回の仕事の打ち合わせはルトガー様が担当していたから、彼女とは今日が初対面だ。
もしかして気が変わってしまったのかな。
「依頼した仕事の様子が気になったとか?」
「それでわざわざご令嬢がバースから? トビアスからでも馬車で半日以上かかるのに」
というかアンジェラ様は本物のご令嬢よ。今頃きっと大騒ぎになっているんじゃないかな。
もしかしたらこの仕事、中止になるんじゃないかな。と、考え込んでいたらノックの音がした。ロッティが扉を開けるとそこにいたのはヨハン様だった。
「先ほどは失礼した。今、彼女には私の部屋で休んでもらっている。じきに迎えが来る予定だ」
「そうですか。……あの方は」
「昨日話した、私の愛する人だ。アンジェラ・バース。バース子爵家の娘だ」
客間のソファに座ったヨハン様の向かいにわたしも腰かける。
レオノーラはアンジェラの存在自体を今まで知らなかったという設定なので、まあ彼女のことは知っていたけど知らない演技をする。
「そう……だったのですね。でもどうしてこちらに?」
「君には大変失礼な話になるが、私は彼女と婚約している。だが、母はあまりこの婚約に乗り気ではなかった。我がクレーデル家の問題もあり、彼女が身体が弱いというのもあって」
なるほど、家の経済的な問題の他にアンジェラ様自身への不安もあったのね。貴族のご令嬢はやっぱりお世継ぎを産むことを期待されるから。
「アンジェラはどうやらクレーデル家が新たな婚約者候補を捜していることを噂で聞いたようだ。それが宝石商の娘だということを知ってここに……」
というかアンジェラ様から依頼されたからわたしはここに来たわけなんだけど。一体本当にどういうつもりなのだろう? 一度アンジェラ様と話をしないといけないな。
「きっと不安に思われたのでしょうね」
「ああ……まったくうちの母親には困ったものだ」
アンジェラ様もさすがに王都に一人で来たわけではないらしい。お付きの人を宿に残して抜け出してきたみたいだ。今日の所はヨハン様の側近がこっそり宿へ連絡してアンジェラ様を帰すことにしたそうだ。
「レオノーラ嬢、君にも茶会の前からこのような騒ぎに巻き込んでしまって申し訳ない」
頭を下げられてなんと言っていいか戸惑ってしまった。
この仕事はこの先どうすればいいんだろう? アンジェラ様の真意がわからないと動きようがないもの。
結局その日の茶会もヨハン様が急用があるということで流れてしまった。
ところがその日の夜、クルトが部屋にやってきた。
コンコンと窓をノックされて開けるとひょっこりとヘーゼルの頭が見えた。ここ2階なんだけど身軽だなあ。
「フローラ、アンジェラ嬢がお前に会いたがってる」
「アンジェラ様が?」
渡されたメモには宿の名前と住所が書いてある。
アンジェラ様は明日にはバースへ帰らなければならないらしい。だからできたら今夜中に会いたいという。
ロッティが少し心配そうにこちらを見た。
「大丈夫?」
「不安はあるけど、一度話をしておいたほうがいいよね。クルト、お願いできる?」
「わかった」
返事を書いてクルトに渡す。
宿はこのクレーデル邸からそれほど離れていない場所みたいだ。
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