5話 クレーデル家の事情
ヨハン様の住むクレーデル子爵家のタウンハウスにわたし達が着いたのは予定より大幅に遅れて夕刻になる頃だった。
貴族を狙う強盗に遭ったせいで憲兵から事情を聞かれたり、殴られたクルトの治療をしていたからだ。タウンハウスまではあの金髪の男性が話をしてくれたらしく憲兵が護衛をしてくれたので助かったけど。
出迎えてくれたのは何人かの侍女とクレーデル伯爵夫人、ヨハン様のお母様だった。濃い紫のドレスを着こなしたなかなかの美人だ。
「初めまして、レオノーラ・リンクと申します。お会いできて光栄です」
「遠いところをようこそいらっしゃいました。マルレーンですわ」
馬車から降りてまずは丁寧なカーテシー。名前はもちろん偽名を使ってる。立ち振る舞いもこの半年きっちり指導されたし、没落したとはいえ元貴族の家だから、母からそれなりに貴族令嬢としてのお勉強はさせられていた。だから意外とぱっと見ちゃんと令嬢に見えるらしい。
案内された客間で今はマルレーン様と向かい合ってお茶を飲んでいる。
「あなたのような可愛らしいお嬢さんが来てくださって嬉しいわ。地元はトビアスだと聞いているけれど」
「もったいないお言葉です。……実家はトビアスで宝石商を営んでおります」
「そう、いつか色々見せて頂きたいものだわ」
「ええ、ぜひ」
レオノーラはトビアスで宝石商をしている家の娘という設定だ。クレーデル家に出入りしている輸入雑貨の行商人が婚約者選びをしているレオノーラのことを紹介し、今回ヨハン様に会うためやってきたという設定だ。
ちなみにその行商人は元々王都で活動しているパラディス家の密偵なんだって。
今回設定が貴族の令嬢じゃなくて宝石商の令嬢なのにも理由がある。クレーデル子爵家は当主であるクレーデル子爵が少し前に急な病で亡くなった。その後事業が失敗してできた借金があることがわかり大分お金に困っているらしい。だからわかりやすくお金持ちな宝石商の娘との縁談にクレーデル家はあっさり飛びついてくれた。
マルレーン様がアンジェラ嬢との婚約に反対なのはこういう理由があったのね。
控えめなノックの後に侍女が入って来てマルレーン様に何か耳打ちした。はあ、と困ったように一度小さなため息をついたマルレーン様が顔を上げる。
「……ヨハンが、今日は仕事で急遽帰りが遅くなるようなの。まったく予定を開けておけと言ったのに。ごめんなさいね」
「いえ、お仕事でしたら仕方ありませんわ」
「明日の午後のお茶会には必ず出席させるから、その時にお話ししてくれると嬉しいわ」
ヨハン様はお城で事務方の仕事をしているらしい。
本当に仕事が忙しくて会えないという可能性もあるけれど、たぶん違うんじゃないかなあとわたしは思った。
彼はおそらくわたしに会う気がないんだ。だってヨハン様はアンジェラ嬢が好きだから今更別の女と見合いしろなんて言われて反発してるんじゃないかと思う。
「あー疲れた……」
「フローラ、服がしわになる」
「はあい」
案内された客間のソファにどさりと座り込むとロッティから注意されてしまった。
ようやくロッティと二人だけになれたから気が緩んでしまった。やっぱり令嬢を演じている時はそれなりに緊張感もあるからね。
「そういえばクルトは?」
「ヨハン様の様子を見てくるって」
今回は御者として同行してるクルトは屋敷の中までは入れないから、情報収集などが主な仕事だ。
さて、わたしはどうやってヨハン様に取り入ればいいのかなあ。
「そういえばアンジェラ嬢は婚約破棄された後のことって考えてるのかな」
「どういうこと?」
ふと思ったことを呟くと侍女姿のロッティが隣で首を傾げた。
だって不思議に思わない?
「この仕事が上手くいってヨハン様がアンジェラ嬢と婚約破棄したとしても、わたしは偽物だし消えるわけでしょう? そうしたらまたヨハン様はアンジェラ嬢とよりを戻そうとするんじゃないかと思って……」
「だから大勢の目撃者がいる誕生パーティーで婚約破棄させようとしてるの。貴族って面子があるから、一度自分が婚約破棄を突き付けた相手とよりを戻すなんてできない」
「そういうものなんだ……」
貴族ってめんどくさいな。知ってたけど。
淡々としたロッティの説明にわたしは苦笑いしてしまった。
ところがその日の夜、突然ヨハン様がわたしのいる客間までやってきた。
深いブラウンの髪に緑の瞳、そばかすがまだ少し残っていて少年みたいな雰囲気が残っている人だ。グレーの制服はおそらく仕事用だろうから帰宅してまっすぐこちらに来たのだろう。
「夜分にすまない。私がヨハン・クレーデルだ」
「初めてお目にかかります。レオノーラ・リンクで……」
「申し訳ないが、私は君と婚約するつもりはない」
「え?」
いきなり?
そりゃあそうだろうなと思ってたけど茶会で顔合わせもせず断られるとは。しかも夜分やって来て扉を開けたらいきなりこれだよ。後ろに控えているロッティも呆気に取られていた。
「母が余計なことをしたようで申し訳ない。私には他に愛する女性がいるんだ」
「え、は、はぁ……」
「それだけを伝えに来た。だからここにいてもあなたにとっても時間の無駄だろう」
だから早く帰れと。
ヨハン様はそれだけ言うとさっさと背を向けてしまった。
なんていうか、取り入る隙もないんですけど!? ……ってだめだ。このままじゃ話にならない。
「ヨハン様! ……その、せめて明日の茶会でお話をしていただけませんか?」
ちらりとこちらを振り返ったヨハン様が嘆息した。
「致し方ない。招いたのはうちの母だ。このままではあなたに恥をかかせることになるか。茶会には出席しよう。……ただしそれだけだ」
「ありがとうございます」
このままじゃ明日の茶会にすら顔を出してくれないかと思ったけどなんとかそれは回避できたみたい。
それにしてもヨハン様、思った以上に手ごわい。アンナはちょっと女が微笑めば簡単よ、とか言ってたけどやっぱり全然そんなことなさそうだよ?
去っていくヨハン様の後姿を見ながらわたしとロッティは思わず顔を見合わせたのだった。
「どうしよう……。わたしとてもあの人を振り向かせる自信無いんだけど」
「思った以上に一途な人みたい」
ヨハン様が去った後、わたしたちは作戦会議を始めた。だけどわたし、とてもあのヨハン様を一時的にとはいえ気を引くなんてできそうもないんだけど? 今までは意地悪な令嬢としていわば依頼人の引き立て役に徹してればよかったけど今回は違う。
わたしの隣に座ったロッティがぼんやりした顔で紅茶を飲む。
「それがさあ」
わたしとロッティの向かい側には窓からこっそり入ってきたクルトがクッキーを摘まんでいた。
「ヨハンとアンジェラ嬢は仲の良い恋人同士だったらしい。だから今回母親がレオノーラとの婚約を勧めようとしてるのに屋敷の使用人たちも驚いてるみたいだったぞ」
わたし達とは馬車を降りてから別行動だったクルトは屋敷の使用人たちから情報収集をしていたみたいだ。
「アンジェラ嬢は婚約破棄したがってるのに? どういうことなんだろう」
「少なくとも周囲から見ると仲が良く見えた……」
ロッティがぽつりと呟いた。
なるほど、本当のところは二人にしかわからないよね。だけど、少なくともヨハン様はアンジェラ嬢を本当に好きなわけで。
「明日の茶会で頑張るしかない」
「それはわかってるけど、あの様子で上手くいくかなあ」
「大丈夫、フローラは可愛い」
「ええ? 嬉しいありがとう。ロッティだって可愛いよ」
「褒め合ってる場合かよ」
ロッティ可愛いこと言ってくれるじゃない。というか彼女のほうこそわたしよりよっぽど可憐で可愛らしい顔立ちをしている。クルトの呆れ声に我に返るとわたしは腕を組んで思案した。
「ヨハン様の気を引くには、かあ」
うーん、とクルトが腕を伸ばしてソファの背もたれにひっくり返った。
「とにかく一度ヨハンと話してみるしかないんじゃないか? あなたに好意を持ってますって感じを前面に出せば男だったら悪い気はしないはずだぞ」
「そういうものなの?」
「クルトだけじゃないの?」
「うう、信用ないなあ」
わたしとロッティにジト目で見られてクルトが縮こまる。
まあでも男の子目線からのアドバイスはありがたい。
「とにかく明日の茶会でなんとかヨハン様に近づかないとね」
「このままじゃ社長にも報告できないからな」
うう、今その名前を出さないで。
氷のような視線でこちらを見下してくるルトガー様の姿を思い浮かべて急に胃が痛くなってきた。
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